京都の嵐山にある有名な竹林で、竹の幹に落書きをしようとした米国人に注意したところ、「だってみんなやってるやん!」と言ったとか言わなかったとか。
たぶん関西弁ではなく英語で言ったのだと思いますが、周りを見て多数の落書きがあったので、やっても良いものだと理解して記念に残そうとしたのでしょう。
噴水があれば小銭を放り入れて、小石が積んであれば同様に積み上げるように、ここでは竹の幹に記憶を刻み込むのがならわしだと勘違いするのも仕方がないかもしれません。
だいたい竹の幹に傷がつくとすぐに枯れてしまうということは、なかなか一般的に知識として共有されていません。
その事の重大性を知らしめるのも大切ですが、いったん多数の落書きがされてしまったあとでは、いくら注意書きをしたところで「みんなやっているから大丈夫」という認識は、仕方がないのかもしれません。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ではありませんが、海外からの旅行者だけでなく、私達日本人にも同じ感覚があるのでしょう。
「落書きが落書きを呼ぶ」とも言いますし、まずは一斉に落書きを消す、この場合は落書きされた竹を伐採することになるでしょうが、ことから始めることになるのでしょう。
落書きや写真撮影など、普段は問題がないことでも時と場所によっては禁止されていることがたくさんあります。
また神社や仏閣でのしきたりや風習、公共交通機関でのマナーなど、私達日本人の中でもこれはどうかという破壊的な仕草で毛散らかしていく人も少なくありません。
これを称して民度と言うのでしょうか?
みんながやっているからと無意識に真似をするのではなくて、自分の行動の影響を考える習慣をつけるようにしたいと思います。
