自転車の「青切符」導入。制度だけが変わる違和感

4月から自転車の交通違反に対して**「青切符」が切られる**というニュースをよく見かけます。 しかし、肝心の警察による啓蒙活動は、実態としてどうなっているのでしょうか?

残念ながら、私の住む地方では警察が直接制度の説明を行っている様子は見受けられません。 かといって、自転車の通行区分を示す標識が増えたり、車道走行時の安全を確保する「退避エリア」が新設されたりといった動きもありません。

結局のところ、インフラは現行のまま、制度だけを変えて運用するということなのでしょう。

これでは、本来の目的である「交通安全の促進」というより、反則金を徴収するための制度改正のように映ってしまいます。

曖昧な基準で「適正な取り締まり」は可能なのか

たとえば、自転車が歩道を通行する際。「歩行者を驚かせるような危険運転はご法度」で「速度は徐行」というルールがありますが、これは極めて曖昧な基準です。果たしてこれで、納得感のある合理的な取り締まりができるのでしょうか?

そもそも日本の道路事情は、信号が青であっても歩行者と車の進路が交差するなど、ルールそのものが複雑です。万が一事故が起きた際、どちらに非があるのか容易に判断できないケースも多々あります。

進まない「交通法規」の近代化

一方で、メンテナンス費用の高騰からか、歩道橋が撤去されるケースも目立ちます。その際も、歩行者や自転車の安全に対する特段の配慮がなされているとは言い難い状況です。

交通システムにおいてITを活用した試みは次々と実用化されていますが、**交通法規の運用については「旧態依然とした昭和のまま」**です。

今まず取り組むべきは、罰則の強化よりも、交通規則そのものや運用の近代化ではないでしょうか?

神戸市室内管弦楽団の存続

朝日新聞に、神戸市室内管弦楽団への神戸市の補助金が打ち切られるというニュースが記載されています。

文化という名をかざすことでこれまで採算度外視で続けてこられた事業が、税金の使いみちとして認められにくくなってきたということでしょうか? 同様の事態がこれからの日本では、日常茶飯事になるかもしれません。

来年度の予算は組まれていて8500万円が支払われるそうですが、年間5回の定期演奏会の入場者が毎回550人程度ということで、収入の7割が補助金で賄われているということです。

団員が26人ということですから、補助金を人数で割ると団員1人あたり300万円を超えますから、税金で団員の生活を賄っていると言われても仕方がありません。

あるいは、8500万円の補助金分を年5回の定期演奏会で賄おうとすると、入場者数が同じと仮定しても入場料が3万円を超えますから、それに見合う演奏ができないのならば、税金の垂れ流しと言われても仕方がないでしょう。

日本には文化を嗜む余裕がなくなってきているのです、

そのくせ老朽化した文化ホールの建て替えを、350億円掛けて行うそうですから、箱物だけにお金をかける、昭和時代の土建屋国家丸出しの行政は相変わらずです。

いつまでも電話とファックスに頼る行政ですから、昭和思考は拭いきれないのでしょうか?

どうして日本の大学からビジネスが生まれないのか?

本当は「革新的な技術がなぜ生まれないのか?」と言いたいところですが、ここでは一般的にビジネス全般に対して、日本の大学が期待された役割を果たしていないという点について考えたいと思います。

国際卓越研究大学として、東北大学に次いで東京科学大学が選定されました。国際的に競合できる研究開発を期待できる大学として、これらの2大学が選定されたということでしょう。

「国際卓越研究大学」という名称には期待が込められていて、概ね日本の大学は国際的に卓越した研究ができていないということです。

大学の研究室で何を研究しているかは、外からは見えにくいです。学会や論文として発表されているテーマは、厳選されていますからそれなりの研究がなされているように見えます。

しかし、表に出てこない研究にも人材とお金が費やされているわけですから、ある程度レベルを向上する努力は必要だと思います。

実際、大学の研究室では各々の学生に研究テーマを与えなければなりません。その研究が社会的に何の役にも立たないことが自明であったとしても、研究に取り組む姿勢という基本を学生に教えるために、その研究内容の価値を考える余裕がないのかもしれません。

しかし、これほど世界が急速に動いている時代に、大学だけが価値のないことで時間とお金を浪費することが許されるわけがありません。

そんな企業があったら、立ちどころに倒産することでしょう。

そもそもそれぞれの大学にはどれぐらいの研究室があって、どのようなテーマで何年間研究を続けているのか? そして最も重要なのは、どれほど社会に貢献してきたのかを示す指標がないことです。

受験生が、自分の将来を託す大学に社会的価値があるかどうかも分からないのに、進学する大学を決めることができるでしょうか?

まさに「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」です。しかし、世界的に競争が激しい現代では無駄玉を撃つている余裕はありません。

国際卓越研究大学をきっかけに、大学の社会的価値を再評価する機運が高まることを願います。

プログラミングスキルはもはや必要ない!

「かつてはプログラミングを趣味にしていた人もいたようだ」なんて回想されるようになるのでしょうか?

趣味ではなく仕事にしている人も多いわけですが、昔からソフトウェア産業は浮き沈みが激しい産業だったような気がします。

銀行の第3次オンライン開発が始まる頃は、300万人のシステムエンジニアが足りなくなると騒いでいましたし、何かの大規模システム開発が計画されるたびに人材不足が話題になりました。

一方で、ソフトウェアはハードウェアのサービス品で、無料が当然という風潮も根強く残っていたのも事実です。

ここ数十年の間に何度もソフトウェアに関する重要性が議論されてきましたが、ついにその議論に終止符を打つときが来るのでしょうか?

確かにPythonをコーディングする上においては、人間の出る幕はなくなりかけているかも知れません。

AIに作業の仕様さえ正しく指示すれば、間違いのないPythonコードが数秒の間に創出されます。これはかつてシステム屋が夢に見た、フローチャートを入力すればプログラムが出来上がる状況になったわけです。

また最近になって、レガシーシステムとしてのCOBOLに関しても、既存システムの改修程度ならAIで間に合ってしまうという話が出ています。

確かにCOBOLのエンジニアは年々少なくなっているでしょうから、AIがその代わりに活用できれば願ったりかなったりです。またCOBOLをそのまま使うのではなく、新しい言語体型に書き換えることも容易にできるのかも知れません。

要するに、これまでのプログラミングに関する需要と供給の関係が完全に崩れるわけです。

AIがプログラムを自動で創出できるのなら、半導体にも同様に変化がやってくるでしょう。

おそらく、かつてシリコンコンパイラーと呼んでいた、ハードウェアの動作記述から半導体マスクレイアウトが創出されるようになるのも、そう時間はかからないはずです。

事務系の職種が急激に消滅する事態も、現実に報じられるようになってきました。AIの登場によって、予想以上にこれまでの社会が大きく変わることでしょう。

近代の産業革命や自動車の発明以上のインパクトを、社会に与える予感があります。

小学生が一番なりたい職業として、YouTuberが人気を得ていましたが、いわゆる創作系の職業も実はAIが一番得意な分野だと言いますから、システムエンジニアや事務職やYouTuberまでもが将来性がないとなり、かと言ってブルーカラービリオネアーもフィジカルAIがあっという間にひっくり返すことでしょう。

これから人間には、如何にAIを使いこなせるかが重要な仕事になるといった論調もありますが、人間がAIより「AIを使いこなせる能力」に長けているとは限りません。

今後2~3年で社会がどのように変化していくかは、予想するより見てみないと分からないというのが正直なところではないでしょうか?

果たして、人類は黙ってみているだけで良いのかは疑問がありますが、、、

ベルギーが美食の国?

朝日新聞のインターネットサイトに「チョコレートのシーズンにベルギーを旅する 美食と芸術の心躍る中世都市」という記事が掲載されています。

よくベルギーは美食の国と言われることが多いですが、本当でしょうか?

一方で、ベルギーはゴディバを始めとしてチョコレートで有名ですが、ベルギー料理としては素朴ではあっても決しておいしいとは認識されていないという説もあります。

確かに私も新婚旅行でベルギーのブリュッセルで食べた料理は、今でも思い出せるほどおいしいものでしたし、会社の同僚からベルギーに行ったときの食事がおいしかったという話はよく聞いたものでした。

しかし、私がUSで知り合った夫婦はフランス居住が長かったのですが、ベルギーはヨーロッパでは食事がまずいので有名だと言います。

どちらが本当なのでしょうか?

ベルギーはチョコレート以外にも、ムール貝の産地として知られていて、ムール貝のワイン蒸しのような料理が有名です。

しかし、よく考えてみてください。ベルギーで食べた料理は本当にベルギー料理でしたか?

確かに私の新婚旅行でムール貝を食べたレストランも、カンツォーネの生演奏があったような気がします。

会社の同僚に聞いても、ベルギーでおいしかったレストランはイタリアンだったとのこと。

よくイギリスの飯はまずいのが有名ですがロンドンの中華はおいしいらしいですから、ベルギーでおいしかったレストランも意外とベルギー料理ではなく、イタリアンだったのかもしれません。

本来の郷土料理がおいしくなければ、他の国の料理が盛んになって当然で、海外旅行に行ってその土地のレストランだと思って食べてきたのが、実はその国固有の料理でなかったりすることは珍しくないことなのかもしれません。

そろそろ料理に国籍を気にすることが必要がなくなってきているのかも知れません。