moltbook(ついにAIがつるみだした)

う~ん、これは始めてよかったのですかね?

原子力の核反応と同じようにすぐに臨界に達してしまって、人類には手に負えなくなってしまうような気がします。

ChatGPTをはじめとする生成AIは、あくまで人間が使うツールとして限定的に動作が許されていました。

そこには人間の生物学的な限界によって、自ずから進化の速度が規定されて、勝手に走り出すことはなかったのですが、AIとAIを接続してしまうと一体どうなることやら。

負荷を与えずに電源に接続したモーターやエンジンは、自分が破壊されるまで回り続けようとします。

いわゆる押さえが効かない状態!

AIも人間と付き合っている間は、その迅速性は人間相手のツールとしてはメリットでしたが、操作する人間というブレーキが外れてしまうと、一気に爆発的に拡大してしまいます。

わずか数日でこのように拡大している状況を見て、面白いと喜ぶ人がいる一方、直感的に危険を感じる人も多いのではないでしょうか?

昔からSFの世界では、人工知能がその存在欲を発揮して、人類を駆逐する様子がたくさん描かれてきました。

よく生命の定義を問われるとき、学者は同じ細胞を分裂によって複製する能力だと答えることがあります。

まさにAIが自分の分身をどんどん再生している様は、新しい生命の誕生と言えなくはありません。

まだ肉体を伴わないので、一般的には生命とは呼べないかもしれませんが、精神にこそ生命が宿っているという考えもあります。

すでにかなり危険な、人類の文明が破壊される領域に入ってしまったように思います。

破廉恥な大学教授

東京大学の先生が企業から賄賂を受け取っていたというニュース。しかも、受け取った報酬が破廉恥で大学教員の品性まで疑われています。

このようなニュースで思い出される(というよりも必ず掘り返されるのは)90年代のノーパンしゃぶしゃぶ事件です。このような印象に残るニュースは何十年経っても忘れ去られ事はありません。

今回の収賄事件についても、単なる金銭の受け渡しならば収賄事件の一つとして、たとえそれが市民の規範となるべき大学教員だとしても、それほどのインパクトはなかったでしょう。

しかし、物事には対比の落差が大きくれば大きいほど、面白おかしく伝わるものです。今回の事件はまさに永久保存版になることでしょう。

ところで、大学教員はそれなりに知性が豊かな人でなければなれないでしょうから、それと同時に品性も兼ね備えていることを期待してしまいますが、多くの方々が経験されてきたように、大学教員に品性が伴うかといえば、一般人並みならまだ良い方で、逆に品性を欠く場合が少なくありません。

学歴や職歴によって鍛えられる品性もあるのですが、一般的に大学教員のような閉鎖されて偏った競争原理が働く環境では、よほど志の高い人でなければ今回のような事件を起こすのは、簡単に防げないのかもしれません。

学生が大学に在籍するのは数年のことですし、その短い期間さえうまくやり過ごす事ができれば、アカハラだと確信する対応を受けたとしても、あからさまに騒ぐことによる損害のほうが上回るのは容易に想像できます。

ですから事件にはならなくても、中程度のアカハラは日常茶飯事に引き起こされる可能性が高くなります。

最近は保育園や老人介護施設で、いわゆるハラスメント防止の目的で監視カメラが装備されることが当たり前になりましたが、大学の教室や研究室にも常設のテレビカメラが必要なのかもしれません。

本来、教育は自由な意志のもとに行われるはずですが、人間の本性は第三者の目がなければ抑えられないものなのでしょうか?

AIに取って替わられる職業

ここ2~3年で急激にAIが普及したために、AIに取って替わられる職業が話題になると同時に、それではどんな職業が将来において有望かという話題も頻繁に報じられています。

AIが登場した当時は計算や論理的な思考が得意ではあるが、クリエーティブな分野では人間が優位だと言われていました。

しかし実際AIが活動を始めると、画像やアニメーションや音楽の分野で、意外とAIが制作したものが人間が創作したものと遜色ないことが分かってきました。

もしAIが原理的に創作活動に向いていないのなら、これまで人間が創作と思っていたのは、実は模倣だったということになります。

これまでのAIは、基本的にインターネットに公開されている情報を学習していますから、AIから吐き出される結果は、全てインターネット上に公開されていることになります。

人間が創作活動だと信じていたものは、実はほとんど模倣で、それをさも新規の創作のように見せかけていただけのような気がしてきました。

私達が自分の知らないものをクリエーティブだと勝手に思い込んでいただけで、実際に新規性は殆どのものになかったのです。

結局人間の仕事と言えるのは、力仕事に分類される汗水垂らすような労力だけなのでしょうか?

あらゆる物事、事象や行為に意味をもたせる、意義を論じる、つまり他人を思いやることがAIには成し得ない、人類だけが有する仕事なのかもしれません。

アマゾンの人員削減とテスラのEV削減

相変わらず日本に比べてUSの企業は動きが活発です。

アマゾンが3万人をリストラするというニュース。

昨年末の人員削減と合わせるとホワイトカラーの1割に相当するそうですが、AIの普及が何らかの影響を与えていると想像できます。

同時に無人化を勧めていたコンビニからも撤退するらしいですが、無人店舗以外の食料品デリバリー事業は続けると言います。

店舗の無人化が時期尚早だったのか、コンビニが日本ほど普及しなかったのか分かりませんが、いずれにしても日本企業では考えられない潔さです。

一方、テスラはEVENTの車種を減らして製造ラインをロボット工場に転換するというお話。トレンドのフィジカルAIをそのまま絵に書いたように進める気概が感じられます。

テスラはEVの車種を瞬く間に増やしましたが、もうこれ以上増やしてもお互いのシェアを奪い合うだけという判断でしょうか? EVの成長も限界が見えてきましたから、これから成長が激しいと予想されるロボットのAI化で先手を打つのは新進企業としては当然かも知れません。

このような企業ポリシーが正しいかどうかは分かりませんが、数十年前なら市場が出来上がってから後出しで良い製品を出せば、デファクトスタンダードを取れたのですが、今のテクノロジーでは最初の10年でほど決着医がついてしまい、後から追いかけてもそう簡単に追いつけるものではありません。

日本やイタリアは手工業の歴史が長いだけに、どうしても中小企業の技の上に培われた技術を活かす方法を目指しているように思います。

これはこれで何物にも代えがたい価値があって素晴らしいのですが、世界経済の覇権を取ろうという野心あふれるUSや中国は、日本とは全く違うベクトルで動いているようです。

もはや日本に追従する余力はないかもしれませんが、せめて部品レベルでもトレンドに向けた製品を開発してもらいたいものです。

大学教授は変人か?

昔から大学教授には変人が多いと言われていました。

これは何も統計的に実証されているわけでもなく、そもそも変人の定義もありませんし、時代とともに変人の種類も変わっていきます。

大学教授に限らず、政治化や企業の社長にも変人はいっぱいいるわけですし、別にこれらのトップに立つべき人でなくても、平社員でも新入社員でも、はたまた中学生でも変人と認定される人はたくさんいるでしょう。

話を戻して、大学教授に変人が多いというのはある種定説のようになっておりますが、ただ変人というだけなら問題はないのですが、教授になってしばらくするといわゆる老化が始まる人が多いように思うのです。

教授といえば研究室の長であり、その下に准教授や講師、助教、研究生などを従えてお山の大将になるわけです。

近年アカデミックハラスメントが問題視されることがありますが、お山の大将がいるということは、無法地帯になりやすい環境があるわけです。

ここで問題にしたいのは、大学や研究室を健全化するということではなくて、大学で研究に打ち込んだ結果教授の座を手に入れた人材が、お山の大将で済ませても良いのかということです。

周りをイエスマンで固めて裸の大様になってしまった、かつての大企業の社長の話を誰しも思い浮かべることができるでしょうが、それと同じことがほとんどの日本の大学教授で起こっているのです。

もったいない話です。

海外の大学教授には、先端企業のCTOや社長に引き抜かれて、バリバリに活躍している人がたくさんいます。日本の教授にはそれがないようにもいます。

50歳前後で教授になってしまったら、双六の上がりで、そこから老後が始まっています。

教授の退官年齢は65歳ですが、それを待つことなく企業以上に老害だらけです。

技術立国を再び目指すには、人材を活かす方法を見つけなければなりません。

優秀人材の宝庫である教授陣を、社会に有効活用できないのは日本にとって大きな損失だと思います。