景気が悪いならばらまけば良い?

今なら言える、景気が悪いときは「まあまあ」、「ぼちぼち」とは言わない。

円高、財政赤字、ばらまき、Go to Travel/Eat、、、

景気が悪い話の中に、景気が良いように見せかける対策が飛び跳ねる!

一般市民には景気が悪いのか、これから良くなるのか、もっと悪くなるのか、さっぱり分からない、分からせないような施策があり過ぎて、アクセルを踏むのかブレーキを踏むのか迷ってしまいます。

結局どちらも正解ではなくて、アクセルもブレーキも踏まずに惰性でできるだけ遠くまでゆっくり走るのが正解だと思いますが。

大体、アクセルかブレーキかどちらかを踏んでいなければならないと考えるのがおかしいのであって、惰性で走ることをもっと覚えたら、もっとエコや温暖化を吠えなくても良くなるのではないでしょうか?

大体、今に始まったことではありませんが、「ばらまき」の財源はどこにあるのでしょうか?

根拠のない増税や財源のないばらまきは、原因と結果の一方を完全に忘れ去っていて、それを知らずに群がっていていいはずがありません。

個人の老後の心配も必要ですが、日本の老後の心配もしなければならない時期が来ていると思います。

雨の通勤電車

今朝は久しぶりの本格的な雨が降っていました。

そこで困るのが傘の持ち方。日本は雨が多いのでから、傘の持ち方は完璧に分かっているはずですが、なぜか人が持っている傘で迷惑を被ることが多いです。

私、私は折り畳み傘を駅に入るときに畳んでカバンに入れますから、傘は周りの人からは見えません。

さて、まず傘を振り回して歩く人。小学校低学年ではありません、いい大人が傘を持った手を元気に手を振るのは、よっぽど人口密度が低い地域ならいざしらず、日本の通勤時にはありえないはずです。

特に登り階段、傘の先端で後ろの人の顔を狙っているとしか思えない行動は、意図してやっているとしか思えません。

電車に乗っていたら、「傘の先端を人に突き刺すのは趣味ですか?」と聞きたくなるような醜態を晒している人がいるはいるは。(私が住む地域限定?)

ただでさえ混んでいるのですから、少しは危険で濡れている傘に先端には気を使えよと思います。

まあ先端(体のつま先から爪の先頭、てっぺんまでという意味)に神経を行き渡らせているファッショナブルな美しい人(女性男性問わず)ならば、そんな醜態を晒すことはないのでしょうが、それ以外の人は殆ど、あるいはまったく傘の先端が人のどこを突いているかなどお構いなし。

雨の日の満員電車は、周りの傘の先端を目で追いかけ続けて朝から疲れるのでした。

時差信号機は不親切

ついでに信号について苦情を言っておくと、「時差信号機」って中途半端。

本来は青色の矢印が点灯するべき状況なのに、「対面の車が止まっていたら右折はOKよ」ってことのようですが、それなら信号を設置しないで「ぶつからなければ勝手に進んでよし」と変わらないような気がします。

そもそも信号機の表示を、見た人がそれぞれ解釈しなければならないというのはどうでしょうか?

そこを通るのは地元民ばかりではなく、初めてその交差点を通る人もいるし、外国から来た人もいるでしょう。交通信号に世界標準があるのかどうか知りませんが、少なくとも日本ではこの基準で信号を設置していると言い切れるようでなければなりません。

時差信号と書いておけば、運転者が気を利かして勝手に判断して頂戴というのは、信号としての責任を一部放棄しているのでないだろうかと思うのです。

青色矢印の点灯がない時差信号は、経費を節約するためかもしれませんが、迷惑な信号と言えましょう。よくこれで日本人は文句も言わずに運転しているものだと思います。

まあ、アメリカなどではわざわざ進んではいけない方向に赤の矢印が点灯して、ほとんどの人が釣られてその方向に走り去っていくのも困りものですが。

もう数十年前になりますが、中国の上海の交差点ごとにおまわりさんが座っていて、完全手動で信号を切替えていました。現地の人に聞くと、自動で切り替えるより交通量を見てやったほうが最適なタイミングで切り替えられるとの説明。人口が多いので、少しでも公務員を増やしたいのでしょうか。

だから普段は1分間ぐらい青になっている交差点で10秒ぐらいで切り替わってしまうと、通りを渡りきれないおばさんが、交差点の真ん中に取り残されることもしばしばでした。(中国の人から昔の話はするなと言われそうですが。)

まあ、所変われば信号も変わります。誰が見ても同じ解釈になるように取り付けてもらいたいものです。

日本の信号は守るだけではダメ!

コロナ禍の前までは、大勢の外国から訪れた方々が日本中、それこそ日本人がほとんど行かないような秘境まで、外国からの観光客が押し寄せていました。

また東京オリンピックのときには、観光以外の目的で来た方もたくさん訪れていました。

日本を訪れた方々が驚かれることはたくさんあるようですが、その中には日本が誇りにして良いものもあれば、恥ずかしいほど非合理的なものもあります。

特に身近で問題が深刻なのは信号です。

信号が青になったから横断歩道を渡ろうとした外国から来た方が、横から車が来てびっくりしたというニュースがありました。

信号は青(Green)なら進んでよし、黄色と赤は進んではならぬというのは万国共通。ところが、日本だけ車は右左折時は横断歩道を見て歩行者がいれば止まらなくてはならない??

こんな国は他にあります?

多分どこかの小国にはあるかもしれませんが、グローバルに世界中から観光客を受け入れている国で、このような優柔不断な交通法規がまかり通っている国はないでしょう!(断言しました。)

信号は、進むか止まるかを指図するものですから、どちらかにはっきりしてもらわないと、

「進んでいいけど、場合によってはすぐに止まってね!」

などという解釈を要求する信号は信号ではない! 

ボランティアで登校路の交通整理をやってくれているおじさんなら許されても、税金を使った交通信号がそのような優柔不断な態度で許されるのでしょうか?

そればかりか、明らかに非常識な交通信号に限らず、日本中訳の分からない(交通安全に役に立たない)交通標識や取締が多過ぎます。

日本の警察が世界標準に近づくのは、いったいいつになるのでしょうか?

コロナ禍の次はどうなる?

公共の場でマスクをしなくても良いという意見が、少しずつ出てきています。特に屋外では呼気が滞留することもないということで、歩行時にマスクを手に持っている人が増えてきました。

この「条件付き制限」というのが日本人が苦手なルールでして、屋外の定義が人それぞれで変わってくるのです。過去には喫煙場所のルールもなかなか浸透せず、今だに歩行中にタバコを吸っている人もちらほらいたりして。

ところで、マスクをするようになったために、本来冬場にシーズンとなるインフルエンザが流行しなくなったというのが少し気になる季節柄になってきました。

確かに満員電車では、マスクをせずに至近距離で咳やくしゃみの飛沫を交換しあっていたのですから、お互いマスクを全員がするということのインフルエンザ予防効果はかなり強力だったのでしょう。

コロナ禍が過ぎたとして、マスクをやめてまた飛沫交換の世界に戻るのでしょうか?

いやいや、マスクの衛生面での効果はもうやめられないという人が続出するのでしょうか?

まあ、全員がマスクを付け続けることはないと思いますが、一部の人はマスクを年中付け続けるのではないでしょうか? 

さてあなたはどうします?