人手不足ではなくて人材不足をどう解決するか?

「バスの運転手が足りないためにバス路線が廃止になる。」

最近良くニュースになりますが、その路線を利用する人以外はあまり関心を持つことはありません。

とっくの昔から地方の過疎化によって同じ話は何度も聞かされてきましたから、確かに珍しい話ではないです。

しかし、これを人手不足が原因だと思っていたら大きな間違いです。

路線バスを利用するとその運転手の多能ぶりに感心することがあります。

乗客への案内に料金精算、発車や停止の度にアナウンスしつつ、周囲の交通にも注意を払って安全運転。ただの経験やベテランだからできるというものではなく、その人に能力がなければできないことです。私なんかとてもできそうもありません。

これだけのスキルがなければできない仕事ですから、それなりの給与が与えられているべきですが、それがそうでないところに社会の歪があるわけです。

給与が高度な仕事に見合っていません。

下手をすれば成上りのコンサル頼みの社長よりも、バス運転手の方がよほど能力が必要でしょう。しかし給与は数分の1、下手をすれば数十分の1かもしれません。

よく企業で能力給を採用しただなんて話がありますが、本当に能力を判断できているでしょうか?

社長を含めて従業員の能力を、適正に判断する方法論が完成したなどという話は一向に聞いたことがありません。それは聞かないはずで、そんなものはないからです。

それを現実的に証明しているのが、人手不足、いや人材不足なのです。

適切なスキルに適切な給与が支払われていないのです

例えば地方自治体の首長や国会議員などは名誉職なのですから、無給でもやろう、やりたいという優秀な人材は今の日本ならたくさんいることでしょう。

大学の名誉教授はそれなりの実績を上げてきた人が勤めますが、基本的に名誉職で無給です。それでも任命されることは名誉ですから、ここに人手不足、人材不足は起こりません。

「人材不足」という社会問題は、「所得の2極化」という社会問題が本当の原因ではないでしょうか?

バス路線が廃止されて日本に張り巡らされた交通網が穴だらけになる前に、根本原因を究明する必要があると思います。

未来の無駄遣い

皆さんは未来に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか?

この春から大阪で開催される万国博覧会でも、未来についてのメッセージを込めた展示がたくさんあるようですが、現在における「未来」は明るく待ち焦がれるものなのでしょうか?

ハリウッド映画が衰退しているとも言われますが、映画の世界でも未来は多数描かれていて、昔なら進歩した未来が描かれ、その後核戦争で廃墟のようになった世界が描かれ、最近はどうも方向性が定まらない混沌とした世界が描かれる映画が増えているような気がします。

1970年の前回の大阪万博では、数多くの新しいテクノロジーが展示され、明るい未来を夢見て会場に多くの人が集まりました。

誰も疑わない明るい未来があると信じていたのです。

しかし近年になって環境問題が顕在化して、安易に明るい未来を語ることが許されない社会になってきています。それなりにしっかりとした実行を伴うビジョンがなければ、明るい未来は来ない、そう考えている人が多いのではないでしょうか?

過去と言っても50年前もあれば100年前、300年前、1000年前というように様々な過去があり、目を覆うような悲惨な歴史もあれば輝かしい歴史もあるでしょう。

それと同じように未来も実際は一本調子の単純な変化ではなく、山あり谷ありの複雑な変化を伴うはずですが、どうも私達は一律に未来というだけで、明るく輝いていなければならないという幻想を抱いてしまうようです。

過去の歴史は反省はできてもやり直すことはできませんが、未来はかなりの部分を人類が築いていけるはずです。

今は将来の話題といえば年金の話ばかりでは面白くありません。ぜひ夢のある未来を想像できる大阪万博であって欲しいものです。

(それにしても会場の建設遅れや木造建築物の会期後の再利用ばかりが話題になって、肝心の万博の内容が一向に伝わってこないのは、本当に伝えるほどの中身がないからでしょうか?)