本当に日本が30年で落ちぶれたのか?

よくニュースで、「最近の30年間で日本の世界での存在感が急速に失われてしまった。日本を何とかしなければならない」という警鐘を促す記事を見かけます。

そこで指摘されるのは、30年前の世界企業の時価総額ランキングで、過去に日本企業はランキング上位の半数以上を占めていたのに、今やトヨタ自動車以外の企業は一層されてしまい、替わりにUSのIT連携企業が軒並み上位に進出しているというのです。

確かにこの30年で大きく金儲けのスキームが変化して、以前のように銀行や石油会社、電気製造業などが儲かる企業の代表ではなくなってしまいました。

ですが、それらの企業が何もサボっていたわけではなく、今でも過去最高益を計上している企業もたくさんあります。

ただ、今の株式市場で人気があるIT企業を創出できなかったのは問題ですが、それも今はUSだけが突出しているだけで、他の国々でもその分野で企業を創出してきた訳ではありません。

日本が落ちぶれたというより、今はUSのIT企業が飛び抜けてうまく取りまわった時代だというべきでしょう。

日本でもIT関連では出遅れ感がありますが、最近の日本のベンチャー企業はそれなりに新しい分野を切り開きつつありますから、その後の企業運営を大胆に進めることによって大きく飛躍することは可能でしょう。

製造業が隆盛を極めた頃、日本人は手先が器用だから良い製品を作ることができるという理由がまことしやかに唱えられていました。

今や日本人が手先が器用だという人はいないと思いますが、勢いに乗って唱えられると、根拠がなくても信じてしまうものです。

今、US発のIT関連では業界が隆盛を極めていたとしても、別にアメリカ合衆国が想像力豊かな人材が豊富だからそうなったのではなく、ただ単に「時代の流れでそうなっただけ」というのが正しいような気がします。

昔の栄光にすがったり、過去の30年間を悲観するのはやめて、これからの30年を見据えた新しい日本を目指したいものです。

日本の経営者の給料

東洋経済オンラインに、「日本が「4年連続1位→38位」に転落した国際的指標」という記事が掲載されています。

時々掲載される一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による記事は、的を射た内容が多く、読んだときにスッキリ感があります。

さて、今回の記事のテーマは、題目からはわかりにくいですが、要は他の国々に比べて日本の経営者は能力が低くて、その割には給与が高いということです。

日本が国際的な経済指標で38位に転落している原因に、経営者の能力が国際基準に比べて低いというのです。

日本経済の長期低迷が叫ばれて久しいですが、バブルの処理問題や少子化の問題に隠れて、経営者の能力不足という根本原因についての議論がないまま、経営者に会社を私物化されている現実があります。

多くの日本の企業が過去最高益を計上しているにも関わらず、社員の給与が上がらないなどありえないことです。

しかも、社長や経営層の給与は天井知らずに上昇中。

80年代ごろ、日本の企業が世界の経済の中心だった頃は、5000万円程度だった社長の給与が、いつの間に数億、数十億円になってしまっています。

いやっ、過去最高益を出しているから社長にはご褒美をというのなら、過去最高の給与を全社員にも渡すべきです。

経営者は会社を私物化しすぎです。

私企業、あるいは創業者ならまだしも、一介の雇われ社長に社会の器である会社の資産で自分の懐を潤すことは許されません。

数十年前、日本の経営者は米国の経営者に比べて、給与が低すぎるという議論がありました。しかし、そのときに比較に出てくる米国の経営者は、世界を動かしているGEのジャック・ウェルチなどの大物経営者でした。

日本の経営者はその足元にも及びません。(その内容は東洋経済オンラインの記事をご参照ください。)

そのくせ、給与の比較にはその大物と比べるのですから、日本の経営層に手厚い給与が盛られるのは当然でしょう。

業績連動性で最高益を上げたから社長の給与が上がるというのなら、利益を上げるために社員の給与は経費とばかり、最低賃金に触れなければ低いままで我慢せよということなのでしょうか?

日本の経営者も、能力に応じた給与に甘んじるべきです。世界38位の経済レベルに相応しいものにするべきでしょう。

この際、一旦上場企業の社長の給与は3000万円ぐらいに統一して再スタートして、その後企業の業績が上げることができたのなら、社員と一緒の上昇率で社長の給与も決めるぐらいの潔さを見せてもらいたいものです。