パリオリンピック真っ最中!

真っ最中というにはかなり出遅れていますが、テレビでは意外と盛り上がっている様子が伝わってきます。

あまり期待すると選手にプレッシャーなってしまうので、所構わず応援するわけにも行かないご時世ですが、あまり注目されていない種目でメダルが量産されたり、その逆にさっぱりの種目もあって、何事にも波があることを実感します。

ほとんどが既存の設備を使っていて、小規模な会場は簡易的なスタンドだけというローコストに徹したオリンピックも、本来はそうあるべきだと思えば当たり前に思えてきます。

何でも立て直して心機一転を狙った東京オリンピックは、やはり政治や業界との癒着のために開催された感があります。

人によって最小限の限界が様々ですから、この必要最小限というのが結構難しい話でして、大阪万博の巨大木製リングなんかは、一体どんなセンスで設計して承認されたのか疑問に思います。

どう見ても愛・地球博の焼き直しにしか見えず、もっと独創的なものを考えられないのなら、シンボル的なものは止めたほうがよかったのではないかと思います。

巨大木製リングのコストがあまりにも高いものですから、会期終了後に保存するとか移設するとかの話が出てきていますが、そもそも建設費が高いものは保存も移設も高くつきます。

1970年の大阪万博でも、お祭り広場を覆った屋根が数年の後に、補修費用が出せないために取り外されてしまって、太陽の塔がニョッキリ残ったままになってしまっています。

パリオリンピックがローコストを実践してのを受けて、今後のあらゆるイベントも必要最低限の建設で済ませる方向に行ってもらいたいものです。

兵庫県知事に品格はないのか?

兵庫県の斉藤知事に非難が集まっています。

初めのうちは事態がよく分からないこともあって情勢は五分五分でしたが、最近になって次々と明らかにされる事実に、世間でも8割方「黒」判定をしている方も多いのではないでしょうか?

あらゆるハラスメントは、程度の差によって黒か白か判定される事が多いので、最初はグレーに見えていても、だんだん限りなく黒に近くなってしまうことがあります。

グレーから白になることはあまりないかもしれません。

曰く「火のないところに煙は立たない」

ハラスメントは法律で細かく規定されているわけではありませんから、規定があってもいい加減な法解釈がまかり通る曖昧国家の日本ですから、法律もないハラスメントが正しく裁かれる理由がありません。

ですから法律によって犯罪と判定される前に、マナーや常識による大人の判断が重要になります。

最近、どこからがセクハラになるかという判断の基準に、「自分の子供や親に対してできないことを他人にしたら、それはセクハラだ」と言われることがあります。

身内に対してもひどいことをする事件があとを絶ちませんが、そのような生まれつきの犯罪者でなく普通の人なら、身内にされたら嫌なことというのはある種妥当な判断基準なのかもしれません。

今回の知事に関しては、地元の特産品を国の役人からせがまれて「セコい」と思うのなら、知事がやったことは「セコい」ことになります。

得てして他人に厳しい人は自分にはゆるいことが多いので、如何に客観的に状況を判断できるかある程度の知性は必要でしょうが、最低限の知性があれば適切に判断できるはずでしょう。

何も知事だけでなく、社内の上司と部下、医者と患者、役所と住民など、上下関係によって醸し出される不条理な環境はいくらでもあります。

いっそのこと、未来の社会では一切の上下環境を廃止して、上の立場を利用することを禁止してはどうでしょう?(って社会主義者が最初にほざく戯言か?)