人材が足りないのは人が足りないのではない!

最近は、特にIT関連の人材や半導体関連技術者の人材不足が問題になっています。

半導体の技術者は2000年になった頃はたくさんいたはずですが、企業や政府が技術を理解せずないがしろにしたおかげで、すっかり技術者の数は減ってしまい、それと同時に継承されるべき技術も中国に吸い取られたか、あるいは消滅してしまいました。

またAIや深層学習などの分野が注目されている割にはその分野の専門家も足りておらず、一部の人材に企業が群がって実力以上の賃金をかけた争奪戦になっています。

一方、仕事がなくてしかたなく労働集約的な仕事に着き、昔の日雇い労働に近い低賃金で苦しむ人達も多いわけです。

つまり人材が足りないといっても、特定のスキルを持った人が圧倒的に足りないということが起こっているのですが、これを少子化と結びつけて人口減少問題にすり替えて議論している事が多々あります。

業務にふさわしい人材がいないのは教育が悪いからで、社会が必要とする教育ができていないのは小学校から大学に至る教育制度の問題であって、少子化を解決して人口を維持すれば解決する問題ではありません。

人口減少については、海外からの移民による解決を目指そうとする人たちもいますが、果たして期待された人材としての移民が期待できるでしょうか?

IT人材に関しては、1980年代には既に将来不足することが唱えられていて、それから40年以上経っているわけですが、その間ソフトウェアの教育終了者が増えてきた兆しはありません。

80年代から全国で大学が新設や拡張が行われてきましたが、どう見ても社会が求める人材を養成してきたのではなく、単に大学に集まるお金に亡者どもが群がっているに過ぎません。

どうして40年前に気づいている社会の要請に、教育機関が応えられないのでしょうか?

そろそろ日本もアメリカ合衆国の真似をして、ギャンブルのようなマネーゲームに興じることは止めて、社会の変革を見据えた進歩を遂げてもらいたいものです。

「姫路城~大阪城100Kmウォーク」の問題

姫路城から大阪城までの100Kmを歩く競技が、10月26日と10月27日にかけて開催されます。

エキスパートクラスを称する最難関は24時間の時間制限があり、平均時速4.2Kmで歩ききらなければなりません。

徒歩で4.2Kmというと簡単なように思いますが、グロスとなると歩行時はその1.5倍らいの速度を出さなければならないでしょう。

チャレンジクラスは制限時間が26時間となり、こちらの方が楽かと思えばそれほど楽になるとは思えません。そもそも24時間とか26時間連続して屋外で活動をすること自体が困難です。

ましてや途中で睡眠を取るともなれば、あっという間に2~3時間が過ぎてしまい、歩行速度を上げなければ時間内のゴールは難しくなります。

もちろんクローズドされたコースでなく、交通制限もできないオープンコースですから、交通ルールの遵守は絶対に守らなければなりませんが、100Kmコースの定員が1500人という規模ですから、安全にどこまで配慮できるが疑わしいところです。

このような競技と日常の要素が合わさったイベントには危険が伴います。一般のコースを通ることから、安全は個人責任でと主催者は逃げるのが常です。

参加者は競技に参加しているつもりで多少の無理は許されると考えがちですが、主催者は日常の交通法規遵守を守ることを前提にしています。

神戸ではこれと似たようなイベントとして六甲山縦走というのがあり、毎年2回行われていていますが特に目立った事故は近年お目にかかったことがありません。

それなりの経験者が、マナーを守っていれば安全が確保されるということでしょう。

また、長時間かけて長距離を走るブルベという自転車の認定競技がありますが、こちらも最短で200Kmを13.5時間で走破するという点で似ています。

一般の道路を通常の交通法規を守って走行するのが前提なので今回のイベントと似ていますが、安全には十分すぎるぐらい配慮しています。

それに比べると今回のイベントは、「途中でリタイヤする方はどうぞご自由に」というスタンスが強く感じられます。

参加資格もありませんし、歩くだけなら誰でも参加可という気楽なイベントのように見せていますが、24時間ぶっ続けで歩くことがどれほど過酷かをもっと周知するべきでしょう。

また、この手のイベントで気になるのは、かかった経費に比べて参加費が以上に高いということです。しかも運営にボランティアを募集しています。

なんか経費がかかる運営のちから仕事はボランティアにやらせておいて、参加費だけ主催者側がたんまり儲けようとしている魂胆が見え透いています。

どうして旅行会社がこのようなスポーツインベントの主催者になる必要があるのでしょうか?別に旅行の手配をするわけでもないのですから、小遣い稼ぎと思われてもしかたありません。

このような金儲けのネタを提供するのではなく、人々の健康や生活を豊かにするために長く続けられるイベントを育てていただきたいものです。