ランドセル

そろそろ来年春の新入生のランドセル商戦が始まったらしいです。

アウトドアで人気であるばかりか、いろいろ話題を振りまくモンベルからも通学用のバックパックを売り出すと言います。

革製のランドセルの中心価格帯は5万円ということですが、高いばかりで重たく機能的でないランドセルが今だに日本標準となっているのは、日本ふしぎ話の一つでしょう。

結構部品が多いので中途半端に壊れたりして、耐久性があるようでない。また小学1年と6年では体型が大きく変わり、成長に合わせてエクスパンドするのでもなければ、耐久性があって6年間使い続けられたとしても苦痛のような気がします。

A4がすっぽり入るというランドセルの宣伝文句にも、子供は手が小さいのだから、B5版の教科書にすればいいのにと思ってしまいます。

その他にも教科書を学期ごとの分冊にするとか、家庭学習用にもう一冊教科書を買うだとか、ICT化して教科書もノートも筆箱もなくしてしまうとか、やれることはいっぱいあるのですから、ランドセルの色を選ぶのを喜んでいる場合ではなりません。

ランドセルが必要なくなったときが、初めて教育改革が進んだときだと考えています。

ランドセル商戦が話題になっているうちは、まだまだ旧態依然とした教育が行われている証なのです。

ポンコツになる日本

80年代のアメリカはポンコツでした。

ボディーがサビて穴だらけの車が走り、燃え尽きた車がハイウェイに放置され、店やホテルがどんどん閉店しては、また代わり映えにしないものに置き換わり、エレーベータは故障したままで、ゴミが舞う。だけど掃除中のトイレには必ず”Wet Flooor”の注意書きが。

人々は安いものには群がって、少しでも安いものと言いながら生活に必要がないものまで買ってしまい、数年後にはガレージセール。

今は代わりに日本がポンコツになってしまいました。

もちろん時代が違いますから、日本で安物買いをした人はガレージセールではなくメルカリで売るのかもしれません。

アメリカは、政治力で当時経済的に圧倒していた日本を封じ込めることに成功しましたが、今の日本の政治力が海外に影響を及ぼすとは考えられません。

円の対米ドル相場で安くなっていることは、輸出産業が優勢だったときならば良いニュースだったでしょうが、海外生産が増えていたり、そもそも日本製品の競争力がなくなっている今では、単に国力が衰えていることの証でしかありません。

そろそろ今の日本の現状が危険だという意見が増えてきています。そろそろ政治、財界、国民一体となって、打開する方法を一緒に考えていく時期ではないでしょうか?