破廉恥な大学教授

東京大学の先生が企業から賄賂を受け取っていたというニュース。しかも、受け取った報酬が破廉恥で大学教員の品性まで疑われています。

このようなニュースで思い出される(というよりも必ず掘り返されるのは)90年代のノーパンしゃぶしゃぶ事件です。このような印象に残るニュースは何十年経っても忘れ去られ事はありません。

今回の収賄事件についても、単なる金銭の受け渡しならば収賄事件の一つとして、たとえそれが市民の規範となるべき大学教員だとしても、それほどのインパクトはなかったでしょう。

しかし、物事には対比の落差が大きくれば大きいほど、面白おかしく伝わるものです。今回の事件はまさに永久保存版になることでしょう。

ところで、大学教員はそれなりに知性が豊かな人でなければなれないでしょうから、それと同時に品性も兼ね備えていることを期待してしまいますが、多くの方々が経験されてきたように、大学教員に品性が伴うかといえば、一般人並みならまだ良い方で、逆に品性を欠く場合が少なくありません。

学歴や職歴によって鍛えられる品性もあるのですが、一般的に大学教員のような閉鎖されて偏った競争原理が働く環境では、よほど志の高い人でなければ今回のような事件を起こすのは、簡単に防げないのかもしれません。

学生が大学に在籍するのは数年のことですし、その短い期間さえうまくやり過ごす事ができれば、アカハラだと確信する対応を受けたとしても、あからさまに騒ぐことによる損害のほうが上回るのは容易に想像できます。

ですから事件にはならなくても、中程度のアカハラは日常茶飯事に引き起こされる可能性が高くなります。

最近は保育園や老人介護施設で、いわゆるハラスメント防止の目的で監視カメラが装備されることが当たり前になりましたが、大学の教室や研究室にも常設のテレビカメラが必要なのかもしれません。

本来、教育は自由な意志のもとに行われるはずですが、人間の本性は第三者の目がなければ抑えられないものなのでしょうか?

大学教授は変人か?

昔から大学教授には変人が多いと言われていました。

これは何も統計的に実証されているわけでもなく、そもそも変人の定義もありませんし、時代とともに変人の種類も変わっていきます。

大学教授に限らず、政治化や企業の社長にも変人はいっぱいいるわけですし、別にこれらのトップに立つべき人でなくても、平社員でも新入社員でも、はたまた中学生でも変人と認定される人はたくさんいるでしょう。

話を戻して、大学教授に変人が多いというのはある種定説のようになっておりますが、ただ変人というだけなら問題はないのですが、教授になってしばらくするといわゆる老化が始まる人が多いように思うのです。

教授といえば研究室の長であり、その下に准教授や講師、助教、研究生などを従えてお山の大将になるわけです。

近年アカデミックハラスメントが問題視されることがありますが、お山の大将がいるということは、無法地帯になりやすい環境があるわけです。

ここで問題にしたいのは、大学や研究室を健全化するということではなくて、大学で研究に打ち込んだ結果教授の座を手に入れた人材が、お山の大将で済ませても良いのかということです。

周りをイエスマンで固めて裸の大様になってしまった、かつての大企業の社長の話を誰しも思い浮かべることができるでしょうが、それと同じことがほとんどの日本の大学教授で起こっているのです。

もったいない話です。

海外の大学教授には、先端企業のCTOや社長に引き抜かれて、バリバリに活躍している人がたくさんいます。日本の教授にはそれがないようにもいます。

50歳前後で教授になってしまったら、双六の上がりで、そこから老後が始まっています。

教授の退官年齢は65歳ですが、それを待つことなく企業以上に老害だらけです。

技術立国を再び目指すには、人材を活かす方法を見つけなければなりません。

優秀人材の宝庫である教授陣を、社会に有効活用できないのは日本にとって大きな損失だと思います。

「テレビって生だから」

フリーアナウンサーの久米宏さんの口癖だったそうです。

アナウンサーという職業は、ニュースを読んでいるときは全く人間味を消して機械のように正確に喋るだけです。

しかし、久米宏さんが出演されていたニュースステーションは、かなり個性を全面に出しておられて新鮮でした。

その後、アナウンサーはニュースとして読み上げるだけではなく、コメンテーターの意見をうまく引き出したり、最後にまとめるオチを付けたりする能力が問われるようになりました。

最近、テレビの凋落が問題になることが多いですが、インターネットとテレビは決定的な違いがあって、その違いを生かさないとお互いに足の引っ張り合いになるだけです。

「テレビって生だから」とは名言です。

インターネットではかなわないBroadcastという特徴を、うまく言い当てていると思います。

じっくり時間をかけて良い番組や、あるいはコストを掛けずに間違いだ素人感がある番組を作るのなら、インターネットに任せておけばよいのです。

現在テレビ番組の大半を占めるのは、そのようなYouTube並みの信頼度と緊急度の番組ばかりです。

何ならYouTubeの投稿を集めただけの、二番煎じのような番組も放送されている始末です。

これでは「生」を強みとするテレビの必要性はありません。

広告費の減少によってテレビ局の運営が以前のように叶わなくなってきましたが、今こそテレビ・放送の原点に返って、真剣に番組の制作をテレビ局の手でやりなおさなければならないのではないでしょうか?

お金の貯め過ぎが本当に問題なら

老後に必要な貯蓄額が話題になることがあります。

「老後2000万円問題」を発端として、フィナンシャルプランナーや士業業界の方々から、その妥当性や不合理性が唱えられることがあります。

「そんなに貯蓄がなくても大丈夫」だとか、「世間の平均貯蓄額はもっと低いよ」なんていうコメントが溢れていますが、一方で「50歳を過ぎたら老後資金の貯蓄はNISAで」などという貯蓄症例キャンペーンも盛んです。

確かに会社員や公務員で十分働いた方なら、年金だけでほとんどの生活費は賄えるかもしれません。

しかし、生活費と言っても人それぞれに必要な金額が違いますから、どこまでが十分でどこからが不十分かなんて人それぞれです。

また老人が貯めた老後資金を、子どもが貪り合うといった悲惨な事例も報道されています。

つまり、自分の老後を保証してくれる人や制度がないことが根本的な問題なわけです。

これは銀行や証券会社では解決できないので、保険会社が本領を発揮しなければなりません。

満たすべき要求は2つだけ。

  1. 老人が貯めたお金で、贅沢でなくても十分な生活環境と、適切なサポートを受けられること。当然食事、住居、医療、その他の娯楽までも含めた総合的な生活を保障しなければなりません。
  2. もしお金が余ったときは、親族に適切に残ったお金を配分できること。

これを信託銀行や弁護士がしゃしゃり出てきて解決しようとすると、問題が複雑になるだけでいざこざが発生します。

何のことはない、保険で解決すればよいのです。

世帯平均の支出率で計算された生活費と平均余命から保険料を計算し、さらにどのような住居・施設を終の棲家にするか、医療費はどのように分担するか、最後は残ったお金をどのように親族に配分するかだけをオプションとして決めてしまえば良いのです。

無駄にお金を残して、世話にもなっていない、あげたくもない親族に相続した挙句、法外な相続税を国に摂取されることもなくなるでしょう。

実際の問題として、いつまで生きられるか分からないところが一番難しいところで、その確率的にしか論じられない寿命に対して、一番最適解が出せるのは保険制度です。

確率的にどれだけの保険料が必要になるのか計算するのは、保険会社のお得意分野です。

現在の老人ホームにはリスクがあって、何歳以上まで生きてしまうと初期の入居金が切れてしまいます。

金の切れ目が縁苑の切れ目! 追加で支払うか見捨てられるか?

今の老人ホームの運営は恐ろしい状況です。姥捨山以外の何物でもありません。

それが保険なら確率論で裏付けられた保険料を払うだけで、一生涯の保証を得ることができるのです。

名付けて「終身生活保険」!

実に安っぽい名前ですが、老人には一番安心できるのではないでしょうか? 

ふつうに生活することが最も困難なのです。

炎上・フェイクニュース・偽情報の根源

いや別にSNSが流行る前から偽情報はありましたよ。

神戸で震災があったのは1995年。まだスマートホンどころか携帯電話が普及する前でしたが、何処かで有毒ガスが流出したというニュースが流れたことがありました。

ですから、SNSが嘘の根源とは言いませんが、SNSが蔓延ったおかげで嘘が出やすくなった、流布されやすくなったのは否めません。

情報は其の前にデータがあって、初めて情報となるのです。データがない情報はすべてデマで、それは犯罪です!

ですがそれを取り締まる法律がないうちは、犯罪とはなりませんから野放し状態です。(こら国会、早く法律制定しろよ!)

場合によっては、デマは実際の災害より大きな被害を出す可能性があります。

この原因は、安易に誰でも情報としてデータがない、つまり根拠が説明できない情報を広めることができるIT産業(あえてIT産業と言っています)に問題がります。

放送局が、担当したアナウンサーやMCが喋った言動に責任を負うように、SNSを運用する企業は企業収益の元となっている情報に責任を持つべきです。喋った人の勝手だなんてことは許されません。

2026年はIT企業と称するものは、自分のビジネスの源流である情報に対して、当然の管理能力を発揮して、まともなSNS環境に改善してもらいたいものです。