本気で悪いと思っていない?

ドライブレコーダーは、あおり運転に遭遇したりもらい事故に遭ったときに、自分の無実を証明するツールとして推奨され、ここ数年装着する人が急激に増えてきました。

しかし、悪質な事故が起こったときに、その事故を起こした張本人の車に装着されていたドライブレコーダーで記録されたものが、事故の証拠として採用される場合があります。

事故を起こした運転者が不利になる証拠を、自ら差し出すことに違和感があったのですが、ふと考えてみると、事故を起こした本人は事故の原因が自分にあることを認識していないのではないかと思うようになりました。

事故の原因が自分にあって、証拠があると不利になると予測できれば、普通の神経だったら証拠を隠滅するのではないでしょうか?

それをみすみす警察に証拠として没収され、それが決定的な証拠となって事故の責任を問われるのは、自分が悪いことをしたという自覚がないのでしょう。

最近、YouTubeで回転寿司などでの迷惑行為の動画を公開する連中にしても、仲間内しか見ていないという勘違いがあるのかもしれませんが、そもそも悪い行為だとは思っていない訳です。

これは平気に悪事を働く人間が増えていて、悪いと知って犯罪を起こすよりも怖いことではないでしょうか?

未来では人々は段々と周りの人の行動に関心がなくなり、自分の好きなことを好きなようにやって、それが他の人に危害を与えようが全く気にならなくなる。

タイムマシンで未来を描いた映画でよくある想定です。

SDGsが話題になり、地球の環境を未来まで継続できるようにしようという活動が進められていますが、地球より先に人間自身が未来まで継続できなくなって行くような気がします。

人間が生命として、絶対に欠かしてはいけないものが失われてきたのでしょうか?

時代は核家族から個人家族へ

核家族化が進んだのは、昭和40年代からでしょうか?

都会の近郊に衛星都市が作られて、公団やその後マンションがどんどん建ち並ぶようになり、地方から都会に人が流れ込んでそれまでの生活が大きく変わった頃です。

その後、長らく核家族世帯が主流になっており、最近ではテレビで見る「サザエさん」の生活が、如何にも昭和の時代を色濃く反映していることに違和感を感じるほどになりました。

今どきおじいさん、おばあさんと孫が一緒に住んでいる家庭は、少なくなったのではないでしょうか?

ところで、近年は結婚をする年齢が上がっており、また結婚をしない人も増えているようです。

そうなってくると、核家族かから更に一人世帯で生活が完結する、個人家族なる生活形態が主流になってきます。

「家庭に愛はあるんか?」みたいなややこしい話は必要なく、愛だの恋だのも関係なく、経済的や合理的に同居した方が良いと判断したときだけ、パートナーとなった人と必要な期間だけ同居するような家族関係が、ごく一般的になってくるのでしょうか?

このあたりはテレビドラマの影響もあるのでしょうが、明らかにここ20年ぐらいで家族の関係について大きな変化が起こっているような気がします。

今やキャンプもお一人様で問題なく出来ますし、焼肉もすき焼きも一人前のメニューがどこにでもあります。

携帯電話やインターネットなどは家族で使い回すものではありませんし、コンピューターもパーソナルですから、生活上家族である必要性が昔ほど無いのかもしれません。

どんどん個人家族が普通に思えてくると、子どもを作るときだけパートナーを組んで、育てている最中に入れ替わったりするのもありかもしれません。

社会の仕組みが、これまでは核家族ありきで出来上がっていたものが、個人家族中心になってくると大きく変わることが予想されます。

教育問題や給与問題、社会保障の問題などを考えていく際に、個人家族の増加についても考慮していかなければならなくなるでしょう。

たとえ夫婦で老後まで一緒に過ごせたとしても、いずれは個人家族になります。

これからの基本となる個人家族について、真剣に考える時が来ているようです。