金と性

ジャニーズ事務所問題では、様々な意見や企業の対応についての批判が繰り返されています。

日本の芸能界を牛耳ってきたジャニーズ事務所は、年末の紅白歌合戦の出場者数だけでも話題になりますから、そのスキャンダルともなれば芸能ニュースとしての注目度は高まるのは当然でしょう。

このニュースが特殊であるのは、異常性癖についてその問題性の理解が過去にはうまくできなかったことがあります。

通常の男と女の関係なら話題にしやすくても、男同士の性についてはLGBTQが理解されつつある現代においてやっと話題にすることができるようになったと言えるでしょう。

ですから、何十年前からこの芸能事務所についての暴露があったにせよ、それをどう扱ったらよいか日本の社会では判断できなかったのではないでしょうか?

それが悪いことであることさえ国民に理解できなかった、当時の日本の社会が犯罪性を説明できなかったという未熟さがあったのは確かだと思います。

考えてみれば、お金についても同じようなことが繰り返されてきていて、今ならどうやってお金を貯めるとか老後にいくらかかるかなどがたくさん話題として提供されていますが、昭和40年代ぐらいまではお金の話もタブーであったように思います。

人前でお金のことを喋ることはもとより、他人の給与を聞いたり知ったりすることは恥ずべきことのような考えがあったのです、

昭和の最期の頃でしょうか、やっと企業の給与を比較した本が発行されたとき、何か卑猥なものに触れるような感覚がありました。

ですから、LGBTQが話題にできるほど社会が進歩したからこそ、「そんな冗談を!」と真剣に捉えて来なかったことが、ニュースとして扱うことができるようになったのでしょう。

話題として捉えることができるようになっただけで扱いに慣れているわけではありませんから、今回のように企業がCM契約をする方針にばらつきが出ることも仕方がありません。

この事件によって企業倫理や社会通念がより近代化され、将来起こる同様の問題に対して正しい対応ができる社会を目指したいものです。

最近の日本人は落ち着きがない

最近電車に乗っていて思うのですが、落ち着きがない人が増えたように思います。

ゴソゴソガサガサ、やたらとカバンを探し回って電車に乗っている間中、何やら腕を動かしています。

確かにスマートホンの影響はあるでしょう。じっとしていられないのはSNSの影響もあるでしょう。

しかし、化粧をし始める女性がいたり、やたらと読みもしないのに新聞のページめくり続けている男性を見るにつけ、何らかの病気なのではないかと思えてきました。

おそらく、精神科の先生に言わせると何らかの病名を無理やり付けるでしょうから、医学的には病気には違いないと思いますが、それ以上に社会的に深刻な症状なのではないかと思えてくるのです。

新聞には学校や裁判所や刑務所や政治の舞台での、相変わらず改善の兆しがない不毛な争いが絶えませんが、その程度が下がってきているのも同時に感じます。

要するに人間の生命力と言うか、生きる力が衰えてきているのではないかと思います。

生活をする最低限は、それほど苦労しなくてもなんとかなる。昔なら、上を目指さなければいつまで経っても貧乏だったのが、社会保障もあって最低限は確保できるようになったわけです。

その最低限だって、飯を食ってその上パチンコまでできるという、二昔前ならかなり苦労を伴わなければ到達しないレベルに、何もしないでもたどり着くわけです。

極楽です。何もしない人が増えるのはあたりませです。

なぜそうなってしまったか?

社会科学に進歩がないからです。

ここ数十年社会科学には進歩が全くありません。そろそろ社会科学が科学らしい進歩を見せないと、人類が誤った道を進むでしょう。

自然科学に数十年間進歩が着実にあったかどうかも定かではありませんが、社会科学に嘘でも進歩したように見える程度には変化があっても良いのではないでしょうか?