なにかおかしい?

すでにほとんど、おそらく90%の方は気づいていると思います。

「なにかおかしい?」と。

いわゆる一過性の喧嘩というのは、いつも急にやってきて知らない間に過ぎ去っていきます。

その影響はまさに一過性であって、思いださない限り何があったかを後からたどることはできません。

「しかし、今起こっていることはどうもそうではないらしい。」

これからずっと人類が怯えていかなければならない事態がついに起こってしまったことに、うっすら気づいている賢明人が90%いると思うわけです。

いやそれはいつの時代もおかしいことは、山ほど起こっていましたよ。

そもそもニュースに出るようなことは、おかしい、つまり「おもしろい」方のおかしいではなくて、「異常」の方のおかしいなことが多いわけで、いつの時代もニュースは溢れています。

おかしいことが多いのは相変わらずですが、テレビのニュースの時間は昔から決まっていて、新聞の紙面も限られています。

だけどおかしいことが同じ程度で起こっているとは限りません。

いつも同じ程度のおかしい事が起こっているように考えがちですが、本当にそうでしょうか?

勇気を持って正さなければならないおかしなことは、身の回りにありませんか?

大阪万博2025が終了して

開幕前から揉め事が多かった大阪万博でしたが、終わってみたら十分な入場者と運営費が黒字になったことで、万博の成功を祝う言葉もたくさん飛び交うようになりました。

関西限定で盛り上がっていたという話もありますが、インバウンドの影響もあって宿泊を伴う国内力に対するハードルが上がっていますから、日帰り旅行限定になってしまうのは仕方がないことかもしれません。

ニュースでインタビューされている人の中には、20回以上訪れたという人も多く感じますが、最初からそのつもりで通期パスや季節パスを購入していれば、自ずと訪問回数は増えるでしょうから、総入場者数も少し差っ引いて考えないといけないかもしれません。

開催費用や開催テーマ、大屋根の建設コストや3億円トイレなど、最初のうちは無駄な税金の使い方の避難が集中していましたが、実際に利用してみるとそれぞれの価値を認識するようになって、不満が徐々に収まってきたようです。

半年の会期が終われば解体撤去される前提で作られたパビリオンなどは多いのですが、2割ぐらいは解体移転後再利用されるそうですから、それなりにサステイナブルを考慮しているのではないかと思います。

ただ、再利用というといかにも低コストで資源を大切にしているように感じますが、大屋根に関しては残すことがサステイナブルかどうか怪しいところです。

1970年の大阪万博でも、閉幕当初は保存前提の鉄鋼館に加えて、日本館と大屋根も残すはずでしたが、いざ保存して行くとメインテナンス費用が巨額で、数年の後に日本感と大屋根は撤去されることになりました。

今回の大屋根も、期間中のように大勢の人が上って歩き回るのなら存続の意味はあるのでしょうが、閑散とした記念公園にたまに散歩に来る人が利用するだけでは、維持できるでしょうか?

場所が不便なだけに、記念公園にしても余程高い入場料を取らなければ、大屋根のメインテナンスコストを賄う事は到底できないでしょう。

奇をてらったバカでかい木造建築が、ここにきて仇になってしまう可能性が高いです。

今回の大阪万博が、最後の最後に行政の長年の重荷になってしまわないように、入場料が黒字だったと浮かれていないで、今後の維持コストについても真剣に考えていただきたいものです。

世界は良識でできている

「良識って何?」と聞かれたら答えに窮しますが、あまり深い意味はありません。

「常識」でも「善意」でも良いのですが、それなら「非常識」や「悪意」と比較されそうなので、とりあえず今回は良識と言っておきます。

最近日本に限らずとんでもないことを言い出す人が目立つようになっていて、特に目立つのが政治の世界です。

某大統領とか某知事とか某市長と言ったほうが分かりやすいかもしれません。

以前なら恥ずかしくて言えないような言動を、堂々と当然のことのように言い切ってしまう人が目立っています。

それだけ目立つ人が目立つことを言うから目立つのですが、ある程度の権力を持つ立場になると、そう簡単に対抗できなくなってしまって、これまでの世界は良識で保っていたことを知らされるわけです。

これは何も政治家だけの話ではなくて、普通に街なかを歩いている人や通勤電車の乗客にも似たような行動を起こす人がいるようです。

昔なら日本では争いを出来るだけ避ける傾向がありましたから、それほど問題にならなかっただけかもしれませんが、最近は我慢するより争いで論破すればよいという風潮があるのか、法律や裁判で解決しようとすることが増えたように思います。

ところが裁判は決して良識ある「遠山の金さん」が取り仕切るわけではなくて、あくまで法律に準じて判断される訳です。

裁判は裁判官や裁判員がじっくり時間をかけて審議しますから、正しい結論が導かれることを期待してしまいますが、それはあくまで法律が完璧だった場合に可能になるわけです。

法律は国会で作られるわけですから、ご存知のとおりそれ程真剣に法律を作っている訳ではありません。

法律の抜け穴というように、昔から脱税や詐欺を働く輩は法のスキマを突いては悪事を働いていたのですが、現代は良識の欠如した政治家に法律のスキマを利用されるようになってきたということでしょう。

人類はAIに頼らなければ、もはや良識を取り戻すことができないのかもしれません。

大阪万博リングの保存運動

2025年大阪万博の会期も残り1ヶ月を切り、最後の駆け込みで入場予約も取れない活況が続いております。

開催まで盛り上がりがまったく欠けていたのが嘘のように、開催後はうなぎのぼりに人気が高まり、パビリオンはいうに及ばず、最初は気持ち悪がられたミャクミャクグッズの売上でさえ急上昇しています。

連日20万人を超える入場者が詰め掛けたおかげで、並ばない万博だったはずが史上最長の行列が逆に名物になってしまいました。

1970年の大阪万博では、一日で最高83万人の入場があり、当時の新聞に徳島県民と同じ人口が狭い会場に溢れたと記載されていました。

今回の会場では20万人を超えてしまうと、人並みが多すぎてどこが行列なのかも分からなくなりますから、会場の規模的には1970年の万博ははるかに大きかったのでしょう。

ところで閉幕が迫ってきたこともあって、万博リングの保存運動が盛んになってきております。

今日の新聞では関西の大学が団結して、できるだけ多くのリング部分を保存することを要望したことを伝えております。

今でもモノレールから太陽の塔の写真を撮る人を見かける事がありますから、シンボルであるリングをできるだけ残そうという運動に理解を示す人も多いのではないでしょうか?

そもそも1970年の万博でも、太陽の塔が突き破った大屋根と日本館は保存される予定でした。

当初から保存予定の鉄鋼館は今でも残っていますが、大屋根と日本館は保存維持の費用が賄いきれなくなって、万博閉幕後数年で撤去が決まったと記憶しております。

今では大屋根のごく一部だけが切り取られてお祭り広場だった場所に置かれていますが、当時の圧倒的な存在感がまったくなくなってしまっていて、単なる標本としての意味しかなくなっているのが残念です。

その大屋根と今回のリングは、その建造物としての持つ意味はほとんど同じでしょう。

未来的な建造物を予感させる大屋根と、木造でSDGsに根ざそうとするリングは、どちらも万博の遺産として相応しいものです。

ただ、鉄でできた大屋根でさえ数年しか維持できなかったわけですから、木造のリングの維持費用が巨額になるいことは目に見えています。

是非、何分の一を保存するという議論をする際には、毎年の維持費用を誰が何の財源で維持するのかを明確に決めて、財源を確保してから結論を出していただきたいものです。

税込か税抜かどっち?

一応政府としては税込表示を推奨しているらしいですが、罰則がなければルールはないのと同じ。今だに世間では税込と税なし表示が半々で入り乱れております。

困ったことに、日本国民は10%や時として8%になる税金を計算するのが苦手であるばかりでなく、未だに税込か税抜かさえ気にしていないと思われます。

消費税の話題に国民が乗ってこないのは、そもそも消費税がどのぐらい国民の負担になっているのかさえ感覚的に理解できていないのが理由でしょう。

本来、消費税が導入される前は贅沢品にはその商品のカテゴリーごとに決められた、物品税と言ういわば贅沢品だけにかけられた税金があった訳です。

その物品税の対して、欧米で考案されたVAT(Value Add Tax)の真似をして、全物品に消費税というありきたりな名前の税金をふっかけた過ちが発端なわけです。

贅沢品だけにかければ良かった税金を、生活必需品、例えば米や野菜や衣服にも同率でかけた安直な政策が愚策でした。

その後、USでは生活必必需品、例えば食品や衣服、履物、生地などからSales Taxを排除していったにもかかわらず、日本では生活必需品にもずっと消費税をかけ続けてきたのです。

はっきり行ってインチキです。昔なら一揆が既に起こっているレベルです。

小売店での価格表示で、税抜と税込表示を両方許している政府は無能というしかないでしょう。

消費税を徴収する資格がありません。

新総理にはその辺りのところを、もう少し改善してもらいたいところです。