「政治家はいずれネコやゴキブリに置き換えられる」

とまあ少しばかり過激なタイトルですが、PRESIDENT Onlineに

「政治家はいずれネコやゴキブリに置き換えられる」イェール大学助教授・成田悠輔の"政治家不要論"

という記事が掲載されています。詳しくはそちらの記事を参照していただくとして、まったくもってそのとおりだと思います。

記事の中で指摘されていることを私なりに要約すると、

  • 民主主義が崩壊している。
  • 近年選挙率が低下する一方なのは、国民が政治を見限っているからである。(そこまで断言はしていない。)
  • 民意を表現するデータを集めて、アルゴリズムで政策を決定する。
  • 政治家は人間である必要がない。

まあ、ざっとこんな感じでしょうか。

そもそも、選挙が国家運営や政治家の活動と「疎」にしか結合していないがゆえに、国民はごく限られた範囲内の選択肢しか与えられておらず、不本意な施策、勝手を極める政治家の所作を指を加えて眺めることしかできないのが現状です。

だいたい、人間に国民を公正に統治することなど、過去の歴史を見てもほとんどないと言っても良いぐらいで、歴史の授業で「昔の社会はひどかった」と教え続けられてきましたが、今も変わらないかもっとひどくなっているかもしれません。

人間は政治家に限らず権力者になってしまうと、権力を維持するために仲間内や親族で周りを固めて、反発分子を切っていく傾向があります。これは昔から変わらず普遍的です。

だから、民主主義も社会主義も一部の人間のためにだめになってしまうのでしょう。

まあ、AIが統治する国家ができたとしたら、SF映画でよくあるAIの暴走や、AIに自我が芽生えてしまって政治家と同じく我欲に突き進むかもしれませんが、、、

30年ぶりの円安

日本円が150円/US$となって、30年ぶりの円安と言うニュースが飛び交っています。

30年ぶりということは、1992年あたりのバブルが過ぎ去ってしばらくした頃と同じレベルになったということらしいのですが、30年ぶりと言われてもピンと来ない人も多いのではないでしょうか?

確かバブルが弾ける頃の日本は、「日本は世界で一番だ」などという錯覚がまかり通っていて、円高によって日本人の給与が世界で一番高くなっていた頃です。

世界最低賃金の今とは全く逆

当時私は工場に勤務していましたから、USやヨーロッパ諸国と輸出で競い合うためには、これから予想される円高に対して、1ドル120円に絶えられるようにしなければならないと、必死で製造コストを下げる施策を打っていました。

と言っていた先には110円、100円、90円と毎年のように円が高くなり、ついに製造を海外姉妹工場に移管するという状況に。当時日本中の製造現場で見られた光景です。

1997年頃に90円前後を付けた辺りが最高値だったでしょうか? 物価から見た時間は1ドル110円辺りが妥当かなと思っていた記憶があります。

ところで30年前ごろは、日本の製品は高品質と低価格で世界を席巻していたのは事実ですが、すべての製品分野でそうだったかというと、家電や給湯器などは全く輸出していなかったのです。

一部のソニー製テレビは売れていたようですが、本来なら日本製の冷蔵庫や洗濯機がアメリカで売れてもよさそうなのに、全く見かけなかったのです。

というのも、アメリカ製が恐ろしく安かったからでしょうか。全自動洗濯機が300ドルぐらいで、衣類乾燥機が150ドルぐらいで、どちらもバカでかい。ガス貯湯式給湯器は150ドルぐらい。

大きさ以外に電圧や安全規格が全く違いますから、日本製品をそのまま持ち込んでも使えないのは確かですが、当時の松下電器やノーリツのようなメーカーが全く輸出できなかった理由は、その現地価格にあったのかもしれません。

話は元に戻りますが、30年ぶりの円安ということは、輸出産業にとっては好都合のはずですが、いつの間にか国内の工場はかなり減っていて、以前のように経済のエンジンを全開にするにも、動くエンジンがなくなっています。

中国の情勢が不安定になって製造の国内回帰が始まっていたのですが、そう簡単に製造を再開出来るほど簡単ではなく、特に熟練工や手先が器用で真面目に働く生産要員が絶滅危惧種になっているように思えます。

円高になったら大騒ぎしていた業種なら円安になったらウハウハのはずですから、きっとこの円安を待ってましたとばかりにほくそ笑んでいる社長さんが、日本の経済を復活させてくれることを願っています。(そんなに甘くない?)