シニア転職の難しさ

新聞や雑誌などに、定年近くになって早期退職する方が得とか損とか、定年退職後の再就職や転職などの記事が溢れていますが、経験上そのような記事通りになることは稀ではないかと思います。

全く参考にならないとは言いませんが、あまりあてにはならない。なぜなら憶測だけで経験者でない人が書いているから。

本人がそれまで働いてきた経験や業種にもよりますが、人手が足らない業種なら定年後でも経験を活かす職を見つけることができるかもしれませんし、人が余っている業種なら同業では職はないに等しいでしょう。

私の場合は後者。半導体のエンジニアは日本中の企業が一斉に首を切っていましたから、再就職したいような企業はどこも火の車。

最近になってくりすぎた人材を補充する動きがありますが、それも適当な経験があって比較的若い人材が採用されることはあっても、定年を経験したような人をなかなか採用はしないようです。

もう一つ、採用してくれる職があったとしても、給与が希望する額の2割3割り引きならば御の字で、半分や4分の1なんてのはザラです。

仕事があることに感謝するのが精一杯で、生活レベルが維持できないとかローンが払えないなんてことを言っている余裕はありません。

職業の流動化や転職市場の云々が叫ばれていますが、もちろんそういう労働市場はあるにはあっても、定年とペアで考えるところにはないと思います。

でも年金をもらいながらやっと生活できる程度の給与で雇われると、今度は若者の職を奪うことになりかねない。

シニアはあまりパフォーマンスを上げずに適当に働く喜びを感じるぐらいが、今の時代に相応しいのでしょうか?

自転車と原付

自転車による事故が増えていることを受けて、自転車の交通法規違反を厳重に取り締まるようになるそうです。

確かにここ10年ぐらい、自転車の夜間無灯火運転について取締が強化された効果があったのか、私が住んでいる地域で無灯火運転は全体の1割ぐらいにまで減っってきたように思います。

最も、電動アシスト自転車が増えて、暗くなると自動点灯するものが増えたことも影響しているでしょうが、いずれにしても以前に比べると無灯火が減って怖い思いをすることが少なくなりました。

これからの自転車事故を減らす手立てとして、自転車の免許制度や登録制度、講習会の実施に並んでヘルメット着用の義務化が挙げられていますが、以前原付バイクのヘルメット義務化によって、原付き利用者の多くが軽自動車に移行した事がありました。

自転車でヘルメットは事故時の怪我の程度を軽減する有効な手段ですが、面倒だったり髪型が乱れるなどの理由で、なかなか装着が浸透しないのではないかと思います。

話が変わりますが、原付きの50mlエンジンの125ml化が討論されていて、50mlエンジンでは排ガス規制に対応できないため、125mlに拡大して最高出力を原稿の50ml並みにすることが提案されています。

しかし、より大きく重くなるバイクを原付免許で実技試験なしで乗るというのは、かなり危険性が高くなるような気がします。

そもそも原付自転車といえば、本当にポンポンと言いながらかろうじて動く原動機が付いた本当の自転車だったことを考えると、現在の原付きは高性能過ぎて自転車と呼ぶにはふさわしくありません。

50mlで排ガス規制を満たすことが無理ならば原付は廃止するべきで、50年以上前の自転車にポンポンエンジンを積んだ規格を残すのは無理があります。

日本には伝統と称して何事も変えない傾向がありますが、時代の変化に合わせて変えた方が良くなることも多いのではないかと思います。

製品とゴミ

学生の時(40年以上前)ある雑誌に、フォードの副社長が慈善事業家になったという記事が掲載されていました。

それまで自動車のフェンダーのデザインをエンジニアとして担当して副社長にまでなった人の話です。

フェンダーのデザインはカッコ良さだけではなく、風の抵抗を最小限にして燃費の向上を図るという、エンジニアとしては非常にやりがいがある仕事です。

しかし、その副社長はフェンダーのデザインをいくらすばらしいものにしても人々はそれほど幸せになれないと嘆いて、慈善事業に転じたと言います。(まあ40年前の記事ですから、かなりおぼろげ!)

その後、エンジニアになった私は、いろいろな職場を経験しながら、概ね40年ぐらい半導体設計エンジニアとして働いてきました。そう、おそらく何も考えずにがむしゃらに。

そこでやっぱり思いましたね。

エンジニアは設計して製造して世の中の人に使っていただく製品を作るのですが、製品はいずれ寿命が来る。

たとえその製品が良い製品で、それを使った人がしばらくの間幸せになったとしても、いずれ壊れる時が来る。部分的に再生できる部品があったとしても、とりあえずほとんどゴミになってしまうわけです。

エンジニアは製品を開発して製造するけれども、いずればゴミになってしまう、確実に!

世間でゴミ屋敷が問題になっていますが、すべて元は製品なわけです。電化製品も、カップ麺も、冷凍食品も。

またその製品をゴミと化すのは人間です。人間が製品をゴミにしてしまうのか?

SDGsはそんなに簡単な話ではありません。

ところで話は飛びますが、地球から人類が滅亡して100万年も経つと、地球上のゴミは見事にもとの分子に戻ってしまうそうな。

あらゆるゴミは、時が経てば自然に帰ってしまう。

火星表面のゴツゴツ映像を見ていると、地球の100万年後の姿なのかもしれないと思うと、SDGsは時が解決してくれるのではないかと思ってしまいます。

SDGsを議論する人たちは、何年スパンの話をしているのか気になりました。

宗教とLGBTQ

サッカーワールドカップは世界中が注目するために、オリンピックと同様に様々な社会問題を提議することがあります。

今回はLGBTQを支持する腕章がFIFAによって禁止されました。

参加国が問題視する風習が開催国のカタールに存在しているということですが、余計な悶着を避けるために予めFIFAが手を打ったということでしょう。

会場内でのビール販売も宗教的な理由で禁止されて、大会オフィシャルスポンサーのビール会社が大量のビールの行き場がなくなって苦慮しているとか。

販売できないのならせめて優勝時の祝賀会でぶちまけてもらったら、勝利の酒として名が売れると考えるのは背水の陣か。

禁止されることが最初から分かっていれば大会スポンサーにはならなかったでしょう。

スポーツの場面で政治的なメッセージを出すことは禁止されていますが、開催国の宗教的に禁止されていることを、人権に結びつけて批判するのはかなり危険に感じます。

あらゆる人権が守られるべきだとすれば、宗教的な戒律の多くは人権侵害になるのではないでしょうか?

戒律を守ることによって忠誠心を示すことを人権侵害と捉えれば、何らかの制約を伴うあらゆる関係性、宗教に限らず労使関係や親子関係までもが人権侵害とみなされかねません。

また本人が納得していれば人権侵害に当たらないかというと、洗脳されている場合もあって、納得が本当に本人の意思なのか分からなくしています。

中東で開催された事によって、これまで目立っていなかった争点が掘り起こされてしまったのかもしれません。

ウォルマート銃乱射事件に考える

米バージニア州のウォルマートで銃乱射事件があったとのこと。

このような事件のあとは、アメリカの銃所有の是非が問われることが常ですが、日本でもナイフや包丁を振り回して死傷者を出す事件が茶飯事ですから、銃だけの問題ではありません。

先日、朝の通勤電車に乗っていると、隣りに座っている人がしきりにスマホを押しまくっていて、次第にスマホのガラスを叩き割るほどに過激化していました。

この人に包丁か拳銃を渡したら、少なからずの犠牲者が出るのは明らか。

特に危険な武器に関して銃刀法で規制できても、ナイフや包丁や金槌や金属バットまで規制するわけには参りません。

危険は常に隣り合わせと覚悟をして、電車に乗らなければならないご時世になったということでしょう。

これは今に限ったことではなく、公共の場所、例えば電車やバスやショッピングモールでは見知らぬ他人がすぐ隣にいるわけですから、その人がどんな心情で何を考えているか、どんな病気を持っているかまったく分かりません。

もちろん、服装や顔の表情で危険を察知することは、生きていく上で最低限必要なスキルですが、それでカバーできないほど現在は危険に満ちていると言えるでしょう。

人権保護の活動が活発化するに連れて、犠牲になる一般人が増えています。人権に寄って弱者の自由が認められることによって、一般人の生活が踏みにじられることを諦めなければならない事態が増えているように思います。

他人に犠牲を強いる人権は認められるべきでしょうか?

まだまだ社会が不完全だと思います。