雇い止めと定年制

任期付き研究者の雇い止めが問題になっています。

勤続10年を超える場合に、無期契約に転換しなければならないというルールは、いつまでも任期付きで不安定な勤務形態を続けることを是正して、安定した就業形態に近づけることが趣旨のはずでした。

しかし、実際は全く逆のことが起こっていて、安定どころか無になってしまうことが、多くの研究機関で起こっています。

このような自体が起こり始めたらすぐに制度を見直すべきなのに、放置したまま今更技術力が低下していることを嘆いても自業自得と言わざるを得ません。

日本は思った通りに行かない施策(つまり失敗施策)をやってしまった時に、失敗を認めようとしないためにほとぼりが冷めるまで放置することがよくあります。

その結果、手遅れになってから手当をしようとして、無駄な施策に税金を費やすことの繰り返しです。

当の失敗施策を考案した担当者は、その責任を取らずに知らぬ間に昇進している始末です。

研究費が捻出できないと言いながら、相変わらず無駄な税金は一向に減る様子もありません。

かと思えば、無期契約に移行したとしても、定年前に希望退職を募られるかも知れませんから安心はできません。希望と言っても本人の意志はほぼ無視されますから、雇い止めとほぼ変わりません。

一体何を信じて働いていけばよいのか、全くわからない時代になってしまいました。

技術力の低下も、国民の生活の質の低下も、すべてお金がないためならお金を稼がないといけない。しかし、稼ぐ力がもう残っていないのなら、無駄な経費を削減するのが当然でしょう。

しかし、無駄な経費はそのまま放置されて使うべき経費を削減する、政治家の営みはいつになっても前時代的です。

マスク着用緩和について

3月13日からマスク着用のルールを緩和するというニュース。

マスク着用緩和と言いながら、場合によっては推奨するという曖昧さが如何にも日本的ですが、またどこそこでひと悶着が起きそうな気配です。

電車内や人混みではなどという条件付きは日本人が最も苦手とするところで、人混みなどというアナログな判断基準は人によってまちまちでありながら、その判断を絶対に判断を譲らない人が多いのです。

また「卒業式や入学式はマスクを外したい気持ちが分からないではない」などと、気持ちで判断する当たりがまたもや日本的情緒に溢れています。

医学的、科学的に何が良くて何が悪いかを示し、そうすることによってどのような社会的弊害が生じるかを、シミュレーション結果を元に国民に説明して納得させるべきではないでしょうか?

非科学的、非論理的思考の日本の政治に国民も毒されています。

新型コロナは得体の知れない対象でしたが、マスクや消毒に励んだおかげでインフルエンザの流行が収まったということは、これまでは電車やオフィスや飲食店で(狭い空間の電車が一番危ないと思いますが)、互いに飛び散った唾液や飛沫の交換をしあっていたというのは事実なのでしょう。

もちろんマスクもよく見積もって50%とか80%とかの防御率でしょうが、ウィルスや細菌のたぐいは発病に至るための必要数以下ならば発症しないらしいので、減少させることができることができることに越したことはありません。

私は電車でマスクを続けます。少なくともだれから飛ばした漂う飛沫を吸い込むことを、50%でも80%でも減少させることができるなら、多少の息苦しさは我慢しましょう。

まあだいたい予想できるのは、マスク着用が緩和されて真っ先に外すのは、電車の中で平気でくしゃみをするような撒き散らす側の人のような気がします。

もうしばらくは、マスクを抑えて耐え忍ばなければならないようです。

サンキューハザードに代わるもの

車を運転していて道を譲ってもらったりしたときに、サンキューハザードと銘打ってハザードランプを短く点滅させるという、マナーと言って良いのかどうか分からない、いわゆる風習のようなものがあります。

私見ですが、40年ぐらい前から名古屋あたりのドライバーが始めたように記憶しております。まあ何かしら感謝の思いを伝えたいので、普段余り使わない機能を代用したのだと思います。

しかし、最近一部の識者から、ハザードランプは危険を回りに知らしめるためだけに使うべきだという指摘があります。

確かに本当に危険が迫っていてとっさに対処しなければならないときに、感謝のしるしか危険のしるしかを判断している余裕はありません。

以前は似たようなときに、一瞬パッシイングライトを使うとかクラクションを短く鳴らすといった技もありましたが、どちらも威嚇する意味にも取られるので次第にサンキューハザードに取って代わられたようです。

そこで、最近は「Thank Youランプ」なるものが開発されたらしく、ドライバーの操作によって車の後ろ側にメッセージが点滅するものが流行りだしているそうです。

何か昔のタクシーの追加ストップランプのようであまり格好が良いとは思えませんが、ハザードランプを使う危険性がないのはよい点だと思います。

ところで、自動車のクラクションは車対車用を想定した音量になっているのでしょうが、最近の電車では本来の警笛に加えて、駅の通過時や発射時に注意喚起するためにソフトな音源が採用されていることがあります。

このようなソフトな音源を使った警笛装置を自動車やオートバイに採用すれば、これまでなら大音量のクラクションを躊躇われた場合でも使いやすくなりますし、サンキューハザードの代わりにもなるかも知れません。

英国では、新型コロナ禍に伴って自転車通勤が増えた結果、自転車が人を抜かすときに危険な場合に、”I’m passing~”と鳴るアラームが販売されているそうです。

自転車でさえも、ベルを人に対して鳴らすことは道交法違反ですし、今更「そこどけそこどけ、お馬が通る!」ではないでしょう。

“Thank you” というよりは”Excuse me”アラームといったところでしょうか?

もし合成音声でできるのなら、”Exccuse me~!”でも良いですが、「ごめんあそばせ~」や「ちょっと通しておくれやす!」みたいなものも楽しかろうと思うのですが、すぐに「道路がうるさくてたまらん!」と言われそうですね。

日本人の衛生観念

長らく日本人はきれい好きだと言われていました。

「街にはゴミ一つ落ちていない。駅も商店も公共のトイレも清潔である。銀座の通りは世界で一番きれいだ。」

まあ引き合いに出される海外の街並みは、ニューヨーク市の53番街みたいな薄暗いゴミが舞うようなところばかりですから、比較する対象が間違っていることもありましたが、概ね日本人はきれい好きという事で、内外ともに共通認識だったような気がします。

日本人のきれい好きと言えば思い出すのが、ビールやコーラなどのアルミ缶のプルトップからステイオンに変わったときです。

それまでは日本のアルミ缶には、引っ張って取れるプルトップ式が使われており、小さいものですからそこら辺に投げ捨てる人が多く、公園の砂場や海水浴場で足を切る人が多かったのです。

そこで、海外ですでに普及していた、缶を開けた後もめり込んだ形で残るステイオン式に変更されたのですが、その際に、缶に外部にあった缶の一部が飲み物に接する缶の内部にめり込むのは、日本人の衛生観念からして普及しないという意見が多かったのです。

しかし、(文字通り)蓋を開けてみると、特に大きな問題にもならず、ステイオンがそのまま受け入れられたのです。

今から思えば、缶の一部がめり込むより、平気で缶の外部にベチャッと唇を付けて飲んでいたのですから、日本人の衛生観念は不思議です。

ところで、今話題になっている回転寿司を始めとする衛生マナーの問題ですが、若い人の中には、本格的な寿司屋で人の手で握った寿司は気持ちが悪くて食べられないという考えがあるそうです。

ですから、そのような人たちにとっては、回転寿司は高級寿司店より衛生的だったわけですが、今回の騒動でそれも疑わしくなっています。

そういえば、昔から高校の授業の雑談で「寿司屋のおやじがトイレでちゃんと手を洗っているか怪しいぞ!」という話がありました。

これは個人的な見解ですが、モールやデパートのトイレで男性のうち3分に1ぐらいは、手を洗わずにそのまま出ていきます。(ものの大小は問わず)

寿司屋のおやじ(おやじがやっている寿司屋が今もあるか疑問ですが)が、必ず残りの3分の2に入っていればいいですが、、、

よく中国人はレストランに入ると、まず箸やナイフやフォークを紙ナプキンでゴシゴシ拭っています。アメリカに長く住んでいた中国系の人も、熱心に拭いていました。

これから日本人も回転寿司に入ったら、湯呑や醤油をアルコールティッシューで拭きまくるようになるのでしょうか?

相次ぐ不衛生迷惑行為

回転寿司チェーンで様々な不衛生な行為が拡散されたかと思えば、今度はうどんのチェーン店で備え付けの天かすに同様の不衛生な行為を行なったというニュースです。

日本のシステムは性善説が前提ですから、無防備であることが多いです。

アメリカなどはそこら中にタダで飯を食おうとする人(かゾンビか判らない)がたくさんいますから、無防備だと餌食になってしまいます。

テーブルの上に無料の添え物、生姜やネギや醤油など、が置かれた店は牛丼屋やラーメン屋にも多いですから、日本中の飲食店が被害の対象になる可能性があります。

昭和の時代に、毎朝各家庭の前の牛乳箱に届けられる牛乳は、まだ朝の人気の少ない時間に配達されていましたから無防備でしたが、これが盗まれてニュースになることは聞いたことがありませんでした。(ニュースにならないほど頻繁に盗まれていたかもしれないが、、、)

その当時聞いた話では、簡単に盗まれるところに置かれた牛乳を盗むと、世間の常識としての安全性が失われるので罪が重いと言われていました。

つまり、無防備でも安全だと思っていたものがそうでなくなると、安全を保つためのコストがかかってしまうので、社会的損失が大きいということでしょう。

一方で私が新卒で入社したとき、大阪駅近くの串カツ屋で先輩に言われたのは、「このソースの中に何かが入っていると思ったらあかんで、そんな事が気になりだしたら安心して食ってられへんからな!」ということでした。

まあいわゆる屋台のようなところで食べるのに、そんなに衛生面を気にしたらいかんということでしょう。

しかし当時は、最近見かける「ソースの2度付け禁止!」という注意書きはありませんでした。お客のマナーに対する意識が今より高かったのでしょうか。(そんなことはないように思うが、、、)

店の最低限のマナーは客が自主的に守った。なぜなら、守らないと二度とその店に立ち入れなくなるから。

それに比べると、最近のニュースでの不衛生さは無粋の極みです。

今回の騒動で外食産業が一斉に安全策を講じると、無料の添え物がなくなったり、無駄な安全装置で使い勝手が悪くなたりとあまり良いことはなさそうです。

メールやコンピューターシステムのハッキングやマルウェアなどのように、常にいたちごっこで安全対策を講じ続ける必要がありそうです。