転職すれば賃金が上がるか?

日本人の賃金が上がらないのは、年功序列で定年まで同じ会社に居座り続ける事が原因だと言われています。

定年までいればそれなりの退職金化年金が保証されているので、途中でスキルを磨き直して転職するような、面倒なことをしなくても生活していけるところに問題があるという理屈です。

そこで転職市場をもっと活発にしようとか、定年を45歳にしようとかいろいろ論じるのですが、どれも付け焼き刃的な思いつきを並べただけのように見えます。

日本人の賃金が上がらないのは日本の企業の業績が上がらないからで、転職とは何の関係もありません。

企業の業績を上げるために、必要な人材がどこかに滞っていて回って来ないのなら、転職市場の拡大は急務かもしれませんが、リスキリングや学び直しが同様に必要だというのなら、そんな都合の良い人が転職市場に余っているわけではありません。

根本は時代の要求に答えていない、学校の教育や社内人材開発の問題と言えるのではないでしょうか?

また、転職と言うと従業員に問題があるように思えますが、企業経営者が正しく経営しているかと言えば、かなり昔から怪しいところが多々あります。転職の中には社長を始めあらゆる階層の再教育を兼ねた仕組みがなければならないような気がします。

転職市場を充実すれば、日本の企業経営が立ち直るのか? 日本企業はそれほど社内に人材がいなくて、どこか特定の企業が抱え込んでいるのか? 転職市場には優秀な人材だけが登録されていると期待しているのか?

なんだか、下手な経営をごまかすための言い訳に見えてきました。

今でも活力があって成長を続ける企業なら、転職市場に頼らなくても優秀な人材が集まってくるでしょう。

別に海外から採用しても構わないのですから、国内の転職市場をとやかく言っている時点でその企業は終わっています。

ぜひ労働者も経営者も、自由に羽ばたいていただきたいと思います。

ゴミくまと道路ぐま

北海道の自動車道でヒグマが出没して危険とのこと。

いろいろなところで出没情報があって、特定の場所を避ければ済むというわけには行かないようです。

ニュースで流れていた映像を見ると、いかにも通りがかった車の窓に食べ物をねだっているように見えます。

USのヨセミテ国立公園は美しい自然が人気の観光地ですが、公園の中にはそこら中に熊や野生動物に餌をやることを厳重に禁じる立て札があります。

特に公園内のホテルの駐車場には、車内に食べ物を放置したままチェックインすると、夜中に車をこじ開けられて散々な目に合うぞという警告が、掲示板やパンフレットに書かれています。

一度味をしめた野生動物は繰り返し同じことをやりますから、とにかく一度でも車を荒らす熊が発生したら、しばらくはホテルに駐車さえもできなくなってしまいます。

以前、軽井沢の別荘地でゴミくまが話題になったことがありました。外に放置したゴミ箱を夜の間に熊があさり、一度味をしめると何度もやってくるということでした。

北海道のヒグマも、おそらくかつて通りがかった車から餌をもらったのでしょう。そのクマが死ぬまで、車に餌をねだり続けるのでしょう。

北海道に限らず日本中で野生動物が道路や住宅地に出没することが増えています。その原因として安易に餌を与えたり、生ゴミを外においていたりする人間の行為が仇になっていることが多いと思います。

私達も動物保護、動物愛護の意味を理解した上で考えて行動し、動物と人間が互いに不幸にならないようにしなければなりません。

45歳定年制に賛成が30%だと?

まあアンケートでは大企業の100人に聞いただけのようですから、データとしての信頼性はかなり偏ったものと思われます。

サントリーの社長が45歳定年制を唱えたのに反応したアンケートなのでしょうが、現実感のない人にアンケートを取ってみたところで現実的な答えは帰ってきません。

実際に45歳で会社をやめて、その後どうなったかを語る人たちの意見を参考にするべきでしょう。

サントリーの社長にしても、点々とうまく社長業を渡り歩いた人ですから、その経験を元に理想を語られても現実感があまりない。(ただし一人の人生経験として本にまとめるのはありでしょう。)

45歳定年制に呑気に賛成票を入れる人は、45歳以降も今よりもっと充実して幸せな生活があって、それを自由に切り開いて行けると思い込んでいるのでしょう。

実際は45歳以降収入は半分以下に下がるは、今より立場は弱くなるは、将来の生活の安定性はないは、老後の心配もあるはとなる可能性が少なからずあると予想すれば、安易に賛成することはできません。

そもそも45歳で再就職や脱サラができる人は、制度として定年制がなくても勝手にサラリーマン生活から飛び出すでしょうから、45歳まで企業のぬるま湯につかっている時点で詰んでいます。

社長が高給取りで仕事をしない年配者を合法的に辞めさせる手段として、早い時期の定年制を考えるのは当然です。

しかし、従業員の立場では、45歳定年制は単に今までより早くはしごを外されるだけです。社内でやる気がある人は、はしごを外される時にはもっと上に登っていることでしょう。

定年制に賛成か反対かが重要ではなく、一生涯学びを継続することが一番大切だと思います。

新聞の衰退の原因

朝日新聞GLOOBE+の記事で、新聞の発行部数が減少一途である原因はインターネットやスマートホンの普及だけが原因ではないと主張しています。

新聞関係のインターネット雑誌に掲載されているので、信憑性と真剣さが半端ではありません。

京都府綾部市のグンゼの歴史をもとに、新聞が社会で生き抜いて行くために必要な姿勢を問いただしています。

実際、新聞に限らず紙媒体の雑誌などが廃刊され始めたのは、スマートホンやインターネットが広まる前でした。

記憶にあるのは「カメラ毎日」の廃刊で、これはデジタルカメラが普及しただけで、それまでのアナログカメラ中心の編集方針が対応できなくなってしまったのだと思っておりました。

特に月刊誌は値段が高くなる割には、毎年同じ内容の記事が繰り返されることが多く、1年前の雑誌で情報としては事足りると思えたものでした。

新聞に関しては、即時性に欠けるが故に、深掘りした記事が期待される訳ですが、年々記事の質が落ちて文字も大きくなり、情報としての価値が80年代ぐらいから低下し続けていたように思います。

当時USでは、新聞はスーパーで使うクーポンを入手するか、ローカルのClassifiedで不用品交換や賃貸アパート情報を探すのが主な目的だったようです。

日本でも折込チラシとテレビ欄がメインコンテンツだと言われていましたから、新聞の存在価値自体昔から大したものではなかったのかもしれません。

インターネットが普及したとしても、情報のソースとコンテンツを所有する新聞社は強者であり続ける事ができそうなものですが、紙面というものを販売しているという既成概念から脱却できていないような気がします。

ChatGPTのようなAIが登場した今こそ、事実に基づく報道体制の維持が重要になります。

早く生まれ変わった新聞社を見たいものです。

AIと老人

昔(と言っても40年ほど前)、時のミノルたカメラがオートフォーカスを発表したとき、写真を趣味にしていた老人たちが歓喜の声を挙げました。

「これでピントが合わせられる!」

当時の一眼レフは、ピントを合わせるためにマイクロプリズムやスプリットイメージの像を、目を凝らしながら見て調整する必要がありました。

またライカのような2重像合致式のレンジファインダーカメラでも、うっすら見える像を一致させる必要があり、視力が弱った人には苦痛な作業だったのです。

それまでにも自動焦点はコンパクトカメラで実現していましたが、本格的な一眼レフでオートフォーカスが開発されたことは、写真が趣味の人だけでなくベテラン(年配)プロカメラマンにとっても画期的だったのです。

さて、昨今の年金問題の解決方法の一つとして、「定年を過ぎてもできるだけ長く働こう」ということが推奨されていますが、その年金財源枯渇対策のやり方の是非はともかく、年ととっても働ける仕事が本当にあるのかという問題があります。

仕事というからには世間(社会)の役に立つことでなければなりませんが、頭がボヤボヤした老人に人のためになる仕事ができるのかという根本的な疑問があります。

だからこれまでは定年制度があって、「それ以上働いても社会の害になるよ」という年齢制限があったわけで、どこそこで見る老害を防ぐためにも必要だったわけです。

しかし、ここに来て年金制度が破綻しかかっているために、老人がボケている場合ではなくしっかりしなければならない自体になってきているのですが、好んでボケになったのではありませんから、何らかの科学技術によってこれをサポートする必要があるわけです。

そこでAIの登場です。

人類が昔の人のような体力を持たなくてもやっていけるのは、蒸気機関から始まる人口動力のおかげです。

ですから同様に、あらゆる頭が弱くなった人や元より弱い人の助けにAIがなるのです。

そう考えると、AIによって職を奪われることを心配するより、AIによって職を得られる人も多いことを機会の創出と考え、新しい社会体制を考えるべき時期が来たと考えるべきだと思います。

年金問題は、若い人の働く意欲にも影響していると聞きます。

AIによる老人の就業拡大は、あらゆる世代の意識を変えるかも知れません。