2025年大阪万博の木製ループを保存できるか?

建設費が無駄だと避難された大阪万博の木製ループ。

シンボルとしての意味や日除けになるといった目的が発表されて、なおさら無駄さが目立っていましたが、それを受けて今度は万博後も保存すると言い出しました。

保存するからと言って全体の建設費が安くなるわけでもなく、後から敷地を使用すると見られるカジノがお金を払ってくれるわけでもありません。

ただ無駄と言う意見を抑えるためだけの、思いつきのアイディア(アイディアはたいてい思いつきですが)にすぎませんが、1970年の大阪万博でも同じ事がありました。

1970年の万博では、開催前は太陽の塔と大屋根、日本館と鉄鋼館が保存の対象になっていて、たしかに今でも太陽の塔と鉄鋼館は姿を確認することができますが、大屋根と日本館はメインテナンス費用が掛かり過ぎて、開催後10年ぐらいで撤去されました。

大屋根については、一部切り取ったものが今でも旧お祭り広場の片隅で展示されていますが、日本館は跡形もありません。

つまり保存したいということと、保存することができるというのは別だということです。

とりあえず現在の建設時にでる反対意見を抑え込むために、開催後の保存すると言っておけば良いというのなら、少なくとも開催後のメインテナンス費用を毎年予算として計上できることを説明しなければなりません。

特に世界最大の木造建築を目指していますから、そのメインテナンス費用たるや並大抵のがくではないはずです。

国立競技場の木造の屋根でさえその耐久性に疑問がありますが、外周2Kmにも及ぶ木製ループが、開催後10年以上のその場に留まるとは思えません。

SDGsを標榜する2025年大阪万博は、相応しい継続性を証明する必要があると思います。

自由経済と人手不足

競争によってより進化したよりよいサービスが提供できるようになり、その結果サービスを提供する側の生活も向上する。

みたいなことがまかり通ったのは、自由に競争することが経済をうまく回せていたころの話で、サービスの数が増えて提供する人が相対的に少なくなってしまうと、競争どころか提供すらできなくなってしまいます。

最近のタクシーや宅配業界、これらに限らずあらゆる業界で人材不足、労働力不足が叫ばれて何年にもなります。

人口が減少傾向であってもサービスの数が増えていった結果、オーバーヘッド部分が多くなっているのではないかと思います。

そこで、ヤマト運輸と郵便局が集配センターを共同で運用するなどの方策が登場して、結果としてサービス数の減少という事態になりつつあります。

要するに、同じような内容の少しだけ違うサービスが乱立した結果、ユーザーも選択に苦慮してしまい、サービス提供者も無駄な労力とそれに伴う経費が増えてきたということでしょう。

ITや機械化によって省力化が図られているとしても、その進化では追いつかないぐらい複雑化した社会になっているような気がします。

これからは自由に経済活動を行うにしても、何らかの存在価値を見いだせないものは、社会を複雑にするだけで進化を止めてしまうこともあり得るでしょう。

子育てで自由放任が何でも良いわけではないように、自由経済にももう少しルールが必要なのかもしれません。