新型コロナの第9波

最近、職場で海外に行った人が帰国すると、必ず次の日から新型コロナ陽性になってしまう状況が続いています。

行く場所にもよるでしょうが、かなり海外ではまん延しているのではなかろうかと。

新型コロナもこれまでのインフルエンザのように、定期的に羅漢するか、効果が疑わしいワクチンを打ち続けるかを、続けて行かなければならないのでしょうか?

社会活動は「ただの風邪の一種」という扱いに徹していて、勤務形態も出社が当然、混雑した電車などでもマスクは必要なしと、これまでの生活を維持することがとても大切なのでしょう。

少しぐらいは生活を改善する向きがあっても良さそうですが、改善して定着させることが如何に難しいかがよく分かります。

日本では、無駄なことでも踏襲することに価値があるのでしょう。日本の伝統がそのように形作られたということも納得できます。

物事を良いか悪いかで判断するのではなく、変わったか変わってないかで判断する。その方が、意見おばらつきが出にくくて、多数決を取りやすいのかもしれません。

確か90年代あたりでは、変化を来たすような標語がもてはやされたような記憶がありますが、最近はあまり変化が好まれない傾向があるような気がします。

それは、マイナンバーカードのように、変化が唐突で意義が理解できないものが多いからかもしれませんが、「変化するのは面倒なだけで意味がない」というムードが漂っているような気がします。

まずは第9波を乗り越えることが大事ですが、その先には希望が持てる変化が訪れることを期待したいです。

合成甘味料は危険か?

最近、合成甘味料の危険性を訴える海外の論文が話題になり、日本でも合成甘味料が入った食品についての議論が活発になってきました。

特に熱中症予防に飲み物が欠かせない時期ですので、スポーツドリンクなどの含まれる甘味料に注意を促す記事が多くなりました。

あるいはチューハイなどのアルコール飲料でも、合成甘味料が使われたものが多くあります。

1960年代後半に合成甘味料に発がん性が認められたとして、チクロが話題になったことがありました。当時は菓子や飲料に大量に使われていたようですが、内容物の表示義務がなかった時代ですから、ほとんどの人は自分が取得している事に気づいていなかったように思います。

その後、新しい合成甘味料が続々と開発されてきて、その危険性が叫ばれながらも継続して使用されてきました。

今回、改めて危険性が明らかになったのですが、どの程度使用が制限されるでしょうか?

元来、スポーツドリンクは当分の補給が目的の一つですから、合成甘味料は不要に思いますが、コストの関係から甘みを増強する必要があるのでしょう。

以前スポーツの後、限界近くまで喉が渇いて空腹のとき、自動販売機で目についたダイエットコークに手を出して、ひどい目にあったことがありました。

体は糖分を要求していて、味も甘さが十分あるのに血糖値が上がらないという矛盾に、体が悲鳴を上げていたのでしょう。

甘さがありながら、その甘味の正体がないのは、ダイエットにおいても却ってリバウンドなどの矛盾を起こすようですから、砂糖にも害はあるとしても、まともに糖分を補給した方が、健康には大きな害を来すことはなさそうです。

最近は、チューハイにもドライタイプは甘味料なしのものが増えてきました。

合成甘味料は変な後味が残ることがありますから好んで飲んでいますが、合成甘味料の害よりもアルコールの害の方が顕著になることがないように、飲み過ぎには注意が必要です。(自戒を込めて!)

LGBTQと分けて考えよう

最近のニュースで、男女が分かれている競技でトランスジェンダーの参加はフェアかどうかとか、心の性と体の性のどちらを優先してトイレや公共浴場を利用したら良いかなどの議論が目立ちます。

その中ではまだ結論がはっきりと出ていないものが多く、更に多くの議論が必要だということに気付かされます。

どちらかと言うと、色々な考えがあってそのすり合わせをしていると言うより、考え方の前提が様々であって、そもそも議論に至る前に噛み合っていない感じがします。

スポーツ競技の場合は公平であるかどうかが焦点になるでしょうし、公共浴場の場合は利用者が互いに安心して利用できることが求められるのですが、それぞれの前提になる考え方に幅がある上に、当事者とそうでない人の間にもかなりの温度差があるように思います。

また、LGBTQと一緒に論じることが多いのですが、LGBTQそれぞれの人たちを一緒に論じることが正しいのかどうかという疑問がつきまといます。

これまでは心と体の性が一致していると決めつけて2種類に分けていたら良かったところが、心と体の組み合わせで4種類になったと言うだけなら、比較的簡単に対応できるのかもしれません。

しかし、実は組み合わせが4通りどころではなく、心と体と性的指向で8通りになり、それ以外に肉体的特徴や心と体にも様々な程度の差があって、そう単純に型にはめてパターン化できるほど単純ではないことが分かってきたという段階ではないでしょうか?

スポーツ競技においては、いくら心と体が女性だとしても、長年鍛えた筋肉があるとフェアでないと言うのも頷けます。

性的マイノリティを表す言葉としてLGBTQと表現するにしても、実際の問題については、もっと細分化して考えていかなければならないように思います。

SF映画で描かれる未来では、男も女も、人間もロボットも、地球人も宇宙人も通りを行き交っていますが、いったい未来の公衆トイレはどうなっているのか知りたくなります。(そもそも未来では誰もトイレには行かない?)

それまでは、知恵を絞って多様化に対応していかなければならないのでしょうね。

ふるさと納税の問題点

朝日新聞デジタルのニュースで、ふるさと納税の経費が5割を超えているケースが散見されるとして、これまでより厳密に経費を抑える方向で制度を改善すると報道されています。

実際に地方の税金として有効に使われない経費として、寄付金の半分以上が費やされているということで、十分にふるさと納税の趣旨が生きるように変更するということです。

だいたい国が何らかの政策を打つと、それに付随して経費と称する無駄なお金がついて回り、そこにカラスのようにたかる業者だけが儲かる構図が出来上がっています。

新型コロナのワクチン接種の会場の手配をした旅行会社が、実際以上の金額を地方自治体に請求していたり、東京オリンピックの電通絡みの一連の不祥事にも同様のことが言えますが、政府が絡むお金の始末で不祥事がないことの方が珍しいのではないかとさえ思えてきます。

ふるさと納税にしても、納税者である国民と納税先の地方自治体以外は、制度にたかる輩です。

返礼品を供給する業者は、通常の商売の一環なのでしょうが、それ以外のふるさと納税の紹介サイトや事務手続きを代行する業者など、納税のおこぼれを頂戴しようとする業者が一番儲かる仕組みになっています。

確かに国民が各地方自治体に納税を直接するのは困難ではありますが、無駄にはびこる業者を排除するような仕組みが最初から考えられているべきでしょう。

せめてふるさと納税額の8割ぐらいは、有効に税金として使われなければならないような気がします。(その後地方自治体で100%有効に利用できるかという問題もありますが。)

途中に生産性がない階層を多く挟むだけ、無駄な経費が発生します。適正なコストで適正なサービスを提供しているのなら、無駄な経費とは言い切れないという主張もあるでしょうが、それでも半分が経費とは、経費のために税金を払っているようなものです。

ぜひ50%の経費を10%とか20%ぐらいまで落として、支払われた税金のほとんどが税金として使われるようになることを望みます。

ジャニーズ問題の真剣度

一時に比べてニュースになるときのトーンが落ち着いてきた感じがしますが、相変わらずジャニーズの性被害に関するニュースが伝わってきます。

さらに過去に遡って何回かこれまでにニュースとして取り扱われた事件を取り上げたりして、実はずっと昔から同じ問題が継続していた事に気づくわけです。

すなわち、それらの事件報道にも関わらず問題が温存されたまま一向に解決しなかった訳ですが、やっと本人が亡くなられた後になって事件を本当に問題視する姿勢が見えてきたということでしょう。

どうして過去の事件で十分に問題を取り上げて改善してこなかったのかというと、事件の特殊性により真剣に取り上げなかった事があると思います。

今でこそLGBTQなどと表で討論されることも珍しくなりましたが、そのような状況になったのはここ数年のことで、蓋をして誰もまともに見ていなかったのです。

例外と言うことで無視していた。

欧米では80年代から児童ポルノに規制がかけられたりしていましたが、確かにアムステルダムの本屋や文具屋に並べられた絵葉書には、怪しい雰囲気の子どもの絵や写真がたくさんありました。

日本は性に関して奥手というか表沙汰から隠そうとする傾向がありますから、どうしても社会問題として取り上げるまでに時間がかかります。それも数十年単位で遅れている。

ですから欧米に遅れること40年ぐらいで、やっとまともに討議できるところまで国民の意識が追いついてきたということでしょう。

おそらくジェンダーに関してはこれから多くの問題が表面化するでしょうが、一つ一つ目を目を逸らすことなく善悪を判断して、社会の常識となる基盤を作っていきたいものです。