自動車損害保険の忖度合戦

最近ビッグモーターの名前をニュースで聞かなくなったと思ったら、今度はトヨタ系の整備工場でも不正な修理代金を搾取していたという話が出てまいりました。

不要な修理を行うということは、社会的に無駄を生み出しているだけでなく、無駄な保険料金の高騰を招きますから、健全な社会とは言えません。

損害保険会社が整備工場に必要以上に支払った金額は、そのまま保険契約者の保険料として跳ね返ってきます。

損害保険会社を野放しにしていたために、日本の保険制度が崩壊しかかっています。

では隣国のUSAの自動車保険がまともかというと、こっちはまた別の意味で崩壊していて、保険制度として成り立っていないのが自由経済社会の限界を呈していると言えましょう。

USAでは事故で修理が発生しても、保険会社がなんだかんだとごねて、結局保険金が降りない事例が多いと聞きます。特に大手の保険会社に不払い傾向が強いようで、大手だと信頼できると早合点して契約すると、痛い目に遭うことがあるそうです。

無駄な修理をして契約者に負担を強いる社会と、保険料だけ取って修理代金の支払いを拒む社会とどっちもどっちですが、日本もUSAのもお粗末と言うしかありません。

安心して暮らせる社会になるには、まだまだ時間がかかりそうです。

犬のDNA登録義務化で放置ふんに罰金!

Yahoo Newsに、イタリアの地方で飼い犬のDNAの登録を義務化して、放置された犬のふんのDNAの鑑定を行って飼い主に罰金を科すという取り組みがあるそうです。

最大の罰金は約8万円と言いますから、容易に放置できる金額ではありません。またDNA登録義務に反した場合にも、最大約16万8千円の罰金があるそうです。

まだ現在DNAのデータベースを構築中ということですが、実用化されれば世界的に普及するかもしれません。

コストは最初のうちは罰金で賄えるでしょうが、そのうち誰も違反しなくなって来たら、システムのメインテナンスがほったらかしになりそうな予感があります。

あるいはその時点で、罰金がシステムコストに見合うだけの金額につり上がっているかもしれません。

ただ、道に放置されるものは犬のふんに限りませんから、人間が吸ったタバコの吸殻もDNA鑑定ができれば、ポイ捨ても一掃されるかもしれません。

その他色々と応用ができそうですが、いかにも管理社会化が進みそうですので、反対勢力が現れることでしょう。

とりあえず犬のふん公害が收まることを期待したいものです。

痴漢と非常ボタン

2024年年明け早々悲惨な事件が発生して、被災された方々には謹んでお見舞い申し上げます。

さて、東洋経済オンラインに「電車で痴漢にあったら『SOSボタン』押していいのか」という記事が掲載されています。今も昔も著しく人権を踏みにじっている痴漢撲滅に、非常ボタンを使用しても良いのかという疑問です。

鉄道各社へのインタビューでは、痴漢発生時の非常ボタンの使用は推奨されているようです。

しかし、実際の状況で非常ボタンが近いところにあるとは限りませんし、あったとしてもそう簡単に遅ことはできないでしょう。押せば乗務員と会話をするわけですが、そこで痴漢されているということを果たして当事者が説明できるでしょうか?

近隣の方が代わりに説明すれば良いのかもしれませんが、そればら他の人が痴漢に気付いた時点で何らかの手助けが可能でしょう。

あるいは、都会の通勤電車で数千人が乗車しているところで、一体何件の痴漢事例が発生しているでしょうか? 同時多発的に痴漢が発生していて容易に非常ボタンが押せる状況なら、おそらく電車がまともに進行できる状況ではなくなるかもしれません。

なんとなく実際の状況を無視した想定のもとで、非常ボタンの仕様について論じているように思います。

混雑時の痴漢問題は、昭和の時代から放ったらかしになっていて、やっと世間の機運が撲滅に進もうとしていますから、実現できる有効な対策を目指して行けたらと思います。

パソナからの情報漏洩

パソナの契約社員が国の基金に関する企業や個人情報を持ちだしたというニュース。

パソナという企業のリテラシーのなさは周知の事実なのですから、そのような企業にいつまで業務を委託し続けているのかと疑問に思う方は多いと思います。

「とっとと契約を切ればいいのに」と。

まあ何らかの癒着があるにせよ、国民に日本のだらしなさを見せ続けることが、日本が堕落したと言われる理由の一つかもしれません。国民もルーズな管理に慣れてしまったということです。

LINEを国民への重要なインフラと認めようとしたり、マイナカードなどの重要なシステムを国外に保存することを見過ごしたり、日本がやることなすこと抜けが多すぎていちいち指摘する方が疲れてしまいます。

これが国民性ということでしょうか。極東の島国ならこうなっても当然なのでしょうか?

2025年大阪万博の木製ループを保存できるか?

建設費が無駄だと避難された大阪万博の木製ループ。

シンボルとしての意味や日除けになるといった目的が発表されて、なおさら無駄さが目立っていましたが、それを受けて今度は万博後も保存すると言い出しました。

保存するからと言って全体の建設費が安くなるわけでもなく、後から敷地を使用すると見られるカジノがお金を払ってくれるわけでもありません。

ただ無駄と言う意見を抑えるためだけの、思いつきのアイディア(アイディアはたいてい思いつきですが)にすぎませんが、1970年の大阪万博でも同じ事がありました。

1970年の万博では、開催前は太陽の塔と大屋根、日本館と鉄鋼館が保存の対象になっていて、たしかに今でも太陽の塔と鉄鋼館は姿を確認することができますが、大屋根と日本館はメインテナンス費用が掛かり過ぎて、開催後10年ぐらいで撤去されました。

大屋根については、一部切り取ったものが今でも旧お祭り広場の片隅で展示されていますが、日本館は跡形もありません。

つまり保存したいということと、保存することができるというのは別だということです。

とりあえず現在の建設時にでる反対意見を抑え込むために、開催後の保存すると言っておけば良いというのなら、少なくとも開催後のメインテナンス費用を毎年予算として計上できることを説明しなければなりません。

特に世界最大の木造建築を目指していますから、そのメインテナンス費用たるや並大抵のがくではないはずです。

国立競技場の木造の屋根でさえその耐久性に疑問がありますが、外周2Kmにも及ぶ木製ループが、開催後10年以上のその場に留まるとは思えません。

SDGsを標榜する2025年大阪万博は、相応しい継続性を証明する必要があると思います。