学歴詐称と不正検査

政治家や芸能人の学歴詐称が相次いでいます。

政治や芸能活動に学歴がどれほど重要かは分かりませんが、人の能力を簡単に判断できる方法が他にないものですから、学歴や受賞歴、職歴などはその人の能力を判断する情報として欠かすことができません。

ですからなおさらその情報を詐称したときには、その責任が重大になります。

政治家の場合は、そもそもその学歴があってこそ候補に上がることができるのですから、詐称された学歴を使ったとしたら完全に詐欺と同じです。多少違うにせよ、偽札を使った犯罪と同類でしょう。

一定の学歴があるからと行って、政治家にふさわしいかどうかは分かりませんが、少なくとも申告されたその学歴を信じて支持を受けたのなら、詐称された学歴による立候補自体が無効になるべきでしょう。

これは最近問題が多発している、工場における品質管理の検査を受けずに合格にしてしまう事件にも共通します。

検査に合格したと言いながら、テスト内容を改ざんしていたり、検査性を偽造していたりすれば、その製品に限らずその工場や企業全ての信頼が崩れてしまいます。

一旦崩れた信頼を取り戻すのには、長い年月がかかるものです。

一つの工場で不正が発見されれば、他もやっている可能性があり、不正をした企業だけでなく、業界やその国の産業にまでも不信感が及ぶこともあります。

そう考えれば、工業製品の検査不正と政治家の学歴詐称は、日本という国全体の信頼性を台無しにしてしまう破壊力があります。

日本という国を守るためにも、ぜひ疑わしい不正は徹底的に解明して信頼を保つようにしてもらいたいものです。

相次ぐ政治家の不届きな言動に思う

ゴタゴタし続ける自民党の長老の威圧的な発言が問題視されています。

一方静岡県知事の発言にも苦言が相次いでいますが、どちらも自主的な辞任や立候補の辞退など、如何にも引け際が良い体裁を繕っています。

最後まで責任を果たさない、日本の政治家の悪癖を継承しているところが情けない限りです。

一方は老害と言われ、もう一方は特権意識と言われますが、そもそも選挙で選ばれた人ですから、そんな低次元な人が選ばれるはずがありません。

しかし、いつまで経ってもろくな人間が選挙で選ばれないのは、選挙制度に致命的な欠陥があると考えざるを得ないでしょう。

もしろくでもない人ばかりが立候補していて、その後にどんなに厳正に選んだところで、結果はいずれかのろくでもない人が当選してしまうのですから、それは選挙で選ばれたという無意味な烙印を与えただけに過ぎません。

確かにアメリカ大統領選挙のように、予備選挙を繰り返せば立派な人が選ばれるかと言えばそうでもありません。

今の選挙はハズレくじの中からマシなものを選ぶという感じですから、まずはハズレがない立候補者を揃えることが、まともな選挙の大前提です。

つまり、現代の選挙制度は全く社会のツールとして全く機能不全のまま、一票の重みとか投票率などに議論をすり替えられて来たわけです。

社会科学というからにはそこに何らかのサイエンス性があるはずですから、世界中の選挙制度を革新的に改善する理論を唱える社会科学者が登場すれば、ノーベル賞ものの価値があるのではないでしょうか?

少ない年金対策で繰り下げ受給しろってか?

よく新聞などに「年金が少なくて生活費が足りないのだけど、何か対策はない?」という質問に対して、ファイナンスプランナーが「年金を切り下げ受給すれば年金額が増額されるので、生活費が楽になりますよ」とまことしやかに解説する記事を見かけます。

現在は通常の支給は65歳からですが、もし65歳以降に受け取りを開始する場合、年金額が受給を送らせた期間に応じて増額されて、しかもその増額は一生続くを言うものです。

年金額が増額されれば生活が楽になるとしても、そもそも生活費に苦労する人が年金受給を遅らせる程余裕があるのでしょうか?

もし定年までしっかりと働けていたとしても未だに60歳定年の企業も多く、65歳からの年金支給でさえも5年間の貯蓄を切り崩さなければなりません。運良く65歳まで働けたとしても、65再以降に繰り下げた期間は貯蓄を頼らなければなりません。

生活費が苦しい人に受給を繰り下げて年金の増額を促すというのは、「パンがないならケーキでも」と同じです。

年金に関しては未だに怪しい理屈がまかり通っていて、老後資金2000万円問題から何ら解決に向かっていないばかりか、年金が不足するなら退職金を貯蓄に回せと、これまた怪しい金融商品を勧誘する始末です。

このまま行けば老人生活保護者で溢れかえるのではないでしょうか?

フィナンシャルプランナーの皆さんにはちゃんと頭を使って考えた、少しまともな解決策を提案してもらいたいものです。

新卒採用と転職の矛盾

毎年4月になると通勤電車に真新しいスーツを着た、如何にも新入社員と見受けられる若い人たちを多く見かけるようになります。希望を胸に新しい環境に挑戦する雰囲気を感じられる、新しい年度を迎えるにふさわしい風景と言えるでしょう。

しかし、一方で新卒採用者の転職が問題視されるようになってきました。

企業としては定年まで働くことはさすがに期待していないとは言え、新人教育の成果の見返りがないうちに辞められてしまうと、採用や給与で投資した結果が出ないまま持ち出しになってしまいます。

最近は仕事がゆるいホワイト企業はスキルがつかないから敬遠されて、新人の間多少厳しくてもスキルを付けることができる企業が人気だそうです。

そして転職に見合うスキルが付いたところで、更に良い境遇を目指して転職するということが起こっています。踏み台にされた企業にとってたまったものではありません。

合法であれば許されるとは言え就職や転職の慣例というものがありますから、これまでの制度では対応できない状況になっているということでしょう。

すなわち、教育をしないと結果を出せない新入社員に最初から給与を出すことに矛盾がありますし、そもそも高い授業料を取って社会に役に立たない学生を教育していると思いこんでいる、大学を始めとする教育機関にも問題があります。

今後これまで以上に転職によって人材の流動性を確保する必要があるのなら、給与を抑えた試用期間を2~3年に伸ばすとか、インターンをもっと積極的に活用して、学生時に1年とか2年間、業務教育を含めて適性をお互いに確認し合う時間を設けるなどの改革が必要でしょう。

日本が長い間踏襲した終身雇用制はいろいろなバランスを保って成り立った制度でしたから、転職は自由だからといってそのまま受け入れていれば、どこかで破綻を来すのは目に見えています。

昔の大工や寿司屋の見習いが、まさにスキルを身につけて転職を繰り返す社会だったわけで、今の日本の企業はまだまだ終身雇用制度から抜けきっていないのでしょう。

産学が連携して将来を見据えたスキルを教育し、自信を持って就職できる社会を目指してもらいたいものです。

株価4万円超えでにわか投資家急増!

バブル期を超える株価に湧く市場ですが、それを見てにわかに投資を始める輩が増えているとか。

小学校にも投資の授業を導入して、国民総博打打ち化が始まろうとしています。

まあ確かに、社会の勉強として化石みたいな歴史を丸暗記させるより、より生きた社会活動である投資を教えることの方がより現実的で役に立つでしょう。

しかし、小学校での情報教育でさえ教員の育成もままならず、未だに成果を上げているようには思えませんから、投資を教育すると言っても無類なことは目に見えています。

情報教育は、失敗してもプログラムやシステムに弱い子が育つだけですから、それほど致命的ではありませんが、投資は失敗すると容易に生活保護者に陥落しますから、国を没落させるには一番近道かもしれません。

よく「貯蓄より投資の方が利回りがよい」と言われますが、それは儲かっている人だけの平均を取っているからであり、損をした人も合計したら証券会社の手数料分だけ赤字になるのですから、宝くじや競馬と何ら変わるものではありません。

損をした人の犠牲の上に成り立っている投資が、教育の科目として成り立つのでしょうか?

人のために役立つことをやってその見返りに報酬を得るというスキルを付けるのが教育だとしたら、人の失敗に乗じてその金品を巻き上げる投資という行為は、果たして教育に値するものなのでしょうか?

もちろん、どのような教科書で、どのような人が、どのように教えるのかによって、このような心配は杞憂に過ぎないのかもしれません。

しかし、教育改革で成果がないまま何十年も弄り回した教育現場を、ただいたずらに混乱させるだけでなく、意味のないさまざまな政策で病弊した経済活動の、息の根を止める事になってしまうのではないかと心配せずにはおれません。