どこまで本気かわからない!

高市首相がトランプ大統領と会談し、ホルムズ海峡における日本艦船による商船護衛について「国内法に照らし合わせて可能な範囲を検討中である」と伝えたというニュースが流れています。

これは、米国の介入を国際法違反と見なし、護衛に参加する正当性がないと表明した欧州各国とは対照的な対応です。

そもそもホルムズ海峡を通過する商船の多くは日本をはじめとするアジア諸国の輸送船だと言われています。

中国、韓国、インドなどには死活問題ですが、欧州諸国にとっては「蚊帳の外」の話なのでしょう。紅海での護衛ならいざ知らず、ホルムズ海峡に関しては静観を決め込む彼らの姿勢もうなずけます。

しかし、「海域が危険だから自国の商船は自前で警護せよ」と言われても、そもそも事態を悪化させたきっかけは米国の軍事行動にあるはずです。

日本やアジア諸国が原油輸入の危機に瀕している原因が米国の振る舞いにあるのなら、艦船派遣を検討する前に、まずは経済的損失に対する損害賠償を請求するのが筋ではないでしょうか。あまりにも米国に忖度しすぎていると感じざるを得ません。

さらに、トランプ大統領によるSNSでの断続的な発言が世界中に拡散され、各国がそれに翻弄されています。もし世界中が振り回されているというのなら、不確かなSNSの声には目もくれず、米国の「公式声明」だけを注視すれば良いのです。

果たしてSNSには、世界を動かすほどの信頼性があるのでしょうか?

トランプ氏の発言を芸能人の噂話と同列に扱い、一喜一憂している現在のネット社会には危うさを感じます。

日本の首相には、アジアを代表する国家としての誇りと交渉力を持ち、毅然とした態度でトランプ大統領に対峙していただきたいものです。

参戦の意思表示か?

ドイツの首相がホルムズ海峡への艦船派遣を明確に拒否しています。また以前からスペインとイタリアは米国のイラン侵攻に対して明確に非難しています。

対して日本は、ホルムズ海峡への自衛艦の派遣が法的に可能かどうかを検討すると表明しています。

小泉防衛大臣は、ホルムズ海峡で商船を警護することは警察権であって、その趣旨に基づいて法的な障害がないか検討すると行っていますが、その前にドイツ首相のように戦争に巻き込まれる危惧を想定しないのでしょうか?

防衛大臣は法律家ではありません。法律家は机上で法律の条文を検討するのが仕事でしょうが、政治家は実際にこれから世界で起こることを予測しなければなりません。

「法律的にはこういうことだ」と言ったところで、実際何が起こるかが重要で、そのとき法律は何の役にも立ちません。

ましてや国際法を犯していると言われる米国の要請に従ったとしたら、日本も同罪になることは明らかです。

警察権だと判断したところで、イラン側からの攻撃が日本の艦船に及べば迎撃せざるを得ないでしょう。それを警察権の行使だと言っていられるでしょうか?

今イランに対して攻撃することは、商船の警護ではなく参戦になります。

アメリカの艦船が商船を守るためにイランを攻撃したとしても、そもそも戦争相手ですが、日本とイランは戦争していません。日本の自衛隊が米国と同じことをすれば、参戦したと考えるのが妥当でしょう。

大丈夫か日本の大臣!

後から「そんなつもりではなかった」と言い訳するだけでは通用しないことを肝に銘じていただきたい。

ホルムズ海峡の安全を守るためには参戦しかないのか?

USのトランプ大統領がホルムズ海峡を船舶が安全に航行できるように、同盟国はチーム一団となって艦船を派遣すべきだという主張をしているそうです。

石油タンカーがホルムズ海峡でイランの攻撃を受けて安全に航行できないなら、解決のために艦船を派遣すべきだとのこと。

同盟国としては、ホルムズ海峡が通れなくなったのは米・イスラエルの戦闘開始が原因なのだから、両国に経済的損害賠償を請求したいぐらいです。

それを「海峡を航行したいなら参戦しろ」とはなんとも身勝手な話! まったく話になりません。

これは米・イスラエル対イランの戦争に参戦せよと言っているのと同様です。ほぼ戦争を経営者感覚で切り盛りとしているようです。

(日本の政治家は損得しか考えない輩がほとんどですが、、、)

これまでの世界大戦のきっかけは最初は些細なことだったのが、雪だるま式に拡大していった結果だったのは歴史を見れば明らかですが、その進行中の歴史の中にいると雪だるまの中にいることに気づきにくいです。

経済はそれだけで十分戦争の理由になります。それどころか経済が戦争の原因のほとんどを作り出して来たと言っても過言ではありません。

原油価格が高騰して経済が立ち行かなくなることをきっかけに、確かに安全航行は大原則だとばかりに力に力で対応しようとすると、あっという間に世界中が巻き込まれるでしょう。

あまりにも馬鹿げたUSの政治を抑える手腕、法律、技術、科学、現代には何一つ存在しないのでしょうか?

自転車の「青切符」導入。制度だけが変わる違和感

4月から自転車の交通違反に対して**「青切符」が切られる**というニュースをよく見かけます。 しかし、肝心の警察による啓蒙活動は、実態としてどうなっているのでしょうか?

残念ながら、私の住む地方では警察が直接制度の説明を行っている様子は見受けられません。 かといって、自転車の通行区分を示す標識が増えたり、車道走行時の安全を確保する「退避エリア」が新設されたりといった動きもありません。

結局のところ、インフラは現行のまま、制度だけを変えて運用するということなのでしょう。

これでは、本来の目的である「交通安全の促進」というより、反則金を徴収するための制度改正のように映ってしまいます。

曖昧な基準で「適正な取り締まり」は可能なのか

たとえば、自転車が歩道を通行する際。「歩行者を驚かせるような危険運転はご法度」で「速度は徐行」というルールがありますが、これは極めて曖昧な基準です。果たしてこれで、納得感のある合理的な取り締まりができるのでしょうか?

そもそも日本の道路事情は、信号が青であっても歩行者と車の進路が交差するなど、ルールそのものが複雑です。万が一事故が起きた際、どちらに非があるのか容易に判断できないケースも多々あります。

進まない「交通法規」の近代化

一方で、メンテナンス費用の高騰からか、歩道橋が撤去されるケースも目立ちます。その際も、歩行者や自転車の安全に対する特段の配慮がなされているとは言い難い状況です。

交通システムにおいてITを活用した試みは次々と実用化されていますが、**交通法規の運用については「旧態依然とした昭和のまま」**です。

今まず取り組むべきは、罰則の強化よりも、交通規則そのものや運用の近代化ではないでしょうか?

だってみんなやってるやん!

京都の嵐山にある有名な竹林で、竹の幹に落書きをしようとした米国人に注意したところ、「だってみんなやってるやん!」と言ったとか言わなかったとか。

たぶん関西弁ではなく英語で言ったのだと思いますが、周りを見て多数の落書きがあったので、やっても良いものだと理解して記念に残そうとしたのでしょう。

噴水があれば小銭を放り入れて、小石が積んであれば同様に積み上げるように、ここでは竹の幹に記憶を刻み込むのがならわしだと勘違いするのも仕方がないかもしれません。

だいたい竹の幹に傷がつくとすぐに枯れてしまうということは、なかなか一般的に知識として共有されていません。

その事の重大性を知らしめるのも大切ですが、いったん多数の落書きがされてしまったあとでは、いくら注意書きをしたところで「みんなやっているから大丈夫」という認識は、仕方がないのかもしれません。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ではありませんが、海外からの旅行者だけでなく、私達日本人にも同じ感覚があるのでしょう。

「落書きが落書きを呼ぶ」とも言いますし、まずは一斉に落書きを消す、この場合は落書きされた竹を伐採することになるでしょうが、ことから始めることになるのでしょう。

落書きや写真撮影など、普段は問題がないことでも時と場所によっては禁止されていることがたくさんあります。

また神社や仏閣でのしきたりや風習、公共交通機関でのマナーなど、私達日本人の中でもこれはどうかという破壊的な仕草で毛散らかしていく人も少なくありません。

これを称して民度と言うのでしょうか?

みんながやっているからと無意識に真似をするのではなくて、自分の行動の影響を考える習慣をつけるようにしたいと思います。