「座席・通路を大柄な乗客のために広くすべき」は差別かわがままか?

ニューヨーク・ポストに、インフルエンサーの女性からの投稿があり、飛行機の通路と座席を大柄な乗客のために広くすべきだとのご提案があったそうな。

現状では太い人に対する差別だとおっしゃる。

多様性が認められるようになり、太っていることも個性であって認められるべきだということらしいです。

別に他人に危害を及ぼさない限りは、太ていても痩せていても個性を主張するのは個人の自由です。

しかし、物理的に制限がある交通機関の場合大きさはコストですから、最低限耐えられるだけのスペースしか与えられないのが常です。

ですから、大きなスペースが欲しければ、通常は上のクラスの搭乗するしかありません。

実際に大きなスペースを用意するのにはコストが掛かりますから、人間の平均に合わせるのが合理的で、それより大きな人は我慢するか2人分予約するしかないでしょう。

逆に体重が半分だから子供料金にしてという大人も出てきそうです。

まあ体が大きいから大きな座席を同じ料金で用意しろというのは、体が大きいので食事を人の2倍出せとラーメン屋で言っているようなものでしょう。

「私は潔癖症でそれは個性なので、両隣の席は空席にしてくれ」なんていうリクエストにも応えなければならないくなります。

それよりも可哀想なのは、その大きな人の隣に居合わせた普通の体型の乗客です。不幸にも太い人の隣になってしまってお見舞金ぐらい欲しいところでしょう。

多様化を認める兆しが社会を平和にするのか、あるいはかえって住みにくくするのか。

「過ぎたれば及ばざるが如し」

ボールガールの涙で失格?

全仏オープンほどの大試合でも、判定に批判が集まる失敗があるのですね。

どうもボールガールの涙が大きく判定に影響しているように思われますが、これからはサーブほどの勢いでテニスボールが当たっても平気なぐらい、フルフェースヘルメットとプロテクターを装備すると良いかも知れません。(現実的でないので却下!)

そもそも審判以外にスーパーバイザーやレフェリーが登場して、誰がこの事態を収集する権限があるのかさえわからなくなっています。

さらにこのトラブルの当事者は、ボールを返球した選手とボールガールであり、事実関係をは愛苦するのに対戦相手は全く関係がありません。

最終的な判定の前に、当事者以外と話をするのはご法度です。たとえ何も話していなくても、影響が出る可能性が少しでもあれば接触してはややこしくなるだけです。

近年、スポーツ界の判定にビデオ審査が入ったり、カメラでイン・アウトを判定したりして、かなり安心してみることができるようになりましたが、今回のような試合内容とは少し離れたところで起こったことについては、合理的に判断する方法がないのでしょう。

ただし、即失格にしなくてはならないほどの重要な決断を下すのなら、サーブが入った入らないの判断にカメラを導入する以上に慎重に状況把握を行い、誰もが納得できる判定を説明するようにしなければならないでしょう。

ニュースではボールガールが泣いている姿が映し出されていましたが、もし忍耐強くて一滴も涙を出さなかったとしても、スポーツの判定としては不動のはず。

しかし、どうも今回は対戦相手のクレームにさえも影響されたということですから、全くアナログ的に判定を下しているように見えました。

ルールがあってそれを忠実に守ってこそスポートが成り立ちます。しかし、考えてみればテニス競技は紳士的なのでしょう。

日本の政治にはルールがあるの? ルールを守ろうとしているの?? ルールを破ったらどうなるの???