パリオリンピック真っ最中!

真っ最中というにはかなり出遅れていますが、テレビでは意外と盛り上がっている様子が伝わってきます。

あまり期待すると選手にプレッシャーなってしまうので、所構わず応援するわけにも行かないご時世ですが、あまり注目されていない種目でメダルが量産されたり、その逆にさっぱりの種目もあって、何事にも波があることを実感します。

ほとんどが既存の設備を使っていて、小規模な会場は簡易的なスタンドだけというローコストに徹したオリンピックも、本来はそうあるべきだと思えば当たり前に思えてきます。

何でも立て直して心機一転を狙った東京オリンピックは、やはり政治や業界との癒着のために開催された感があります。

人によって最小限の限界が様々ですから、この必要最小限というのが結構難しい話でして、大阪万博の巨大木製リングなんかは、一体どんなセンスで設計して承認されたのか疑問に思います。

どう見ても愛・地球博の焼き直しにしか見えず、もっと独創的なものを考えられないのなら、シンボル的なものは止めたほうがよかったのではないかと思います。

巨大木製リングのコストがあまりにも高いものですから、会期終了後に保存するとか移設するとかの話が出てきていますが、そもそも建設費が高いものは保存も移設も高くつきます。

1970年の大阪万博でも、お祭り広場を覆った屋根が数年の後に、補修費用が出せないために取り外されてしまって、太陽の塔がニョッキリ残ったままになってしまっています。

パリオリンピックがローコストを実践してのを受けて、今後のあらゆるイベントも必要最低限の建設で済ませる方向に行ってもらいたいものです。

バッハIOC会長の任期延長問題

任期が切れるIOC会長のバッハ氏を、オリンピック憲章を変えてまで再任するべきだという意見が出されているらしいです。再任の意見を出しているのはアフリカの一部の国々のようです。

根拠もなく疑うのは良くないかもしれませんが、これだけ不祥事が相次いでいるIOCですから疑わない訳には参りません。

そもそも利害を被る当事者が勝手に変えられるルールではルールの意味がなく、当事者が勝手なことをしないように予め決めたものがルールです。

世界の事情が大きく異なって、ルールを制定したときの前提がそぐわなくなったのなら、ルールを変えることも必要かもしれませんが、時の会長が自分の立場を維持したいからと言ってルールを変えていては、何のためのルールだったのか分からなくなります。

どうも首長や社長、会長のたぐいは、誰からも評価されないために自己評価で満点を付ける傾向があって、自分が続けることが正義のような錯覚に陥りやすいです。

特に周りにイエスマンを揃えていると、誰も反対しませんから図に乗りやすくなります。

バッハIOC会長は東京オリンピックのときも散々問題を起こしていて、金の亡者というレッテルが貼られているはずですが、その金を使って弱小国の代表を丸め込むのに長けていると考えてしまいます。

ぜひともルールはルール。バッハ会長がたとえ優れていたとしてもルールを変更する条件にはなりません。

まさにバッハ会長のような人物を、いつまでものさばらさないためにあるルールです。

ルールを変える正統派理由がない限り、決して安易なルール変更はしないことを願います。