行き過ぎた多様化

US企業がこれまでの行き過ぎた多様化推進(DEI)を見直すというニュースが流れています。

LGBTQを始めとする多様化を推進する社会動向が、単なる宣伝文句になってしまって、実質的な効果に疑問が出てきているということでしょう。

女性の管理職への登用や大学入学者の中の女性率を高めるといった施策が、日本ではまだまだ不十分と見なされていてまだUSの動向を様子見する感じですが、遠からず同じような風潮が見られてくることでしょう。

多様化ならばこれまで障壁になっていた差別的な施策を取り除くことを進めるはずですが、それでは効果が目に見えてくるのに時間がかかってしまうので、重点的に施策を展開しなければならなくなって、結果として却って新たな差別を生んでしまっているというのが現状だったのかもしれません。

USの主だった企業がこぞってDEIの緩和に進んでいるのは、誰のためにもならないその弊害が無視できなくなっているのでしょう。

企業の管理者や大学の入学者に女性を増やそうといっても、適性や希望を無視して目標を立ち上げたところで誰の幸福にも結びつきません。

適材適所といえば簡単そうですが、誰が適材でどこが適所であるかも判断できない状況では、正解が何であるかも分かりません。

まずは適材と適所を見定めることから始める必要があると思います。

パリオリンピック真っ最中!

真っ最中というにはかなり出遅れていますが、テレビでは意外と盛り上がっている様子が伝わってきます。

あまり期待すると選手にプレッシャーなってしまうので、所構わず応援するわけにも行かないご時世ですが、あまり注目されていない種目でメダルが量産されたり、その逆にさっぱりの種目もあって、何事にも波があることを実感します。

ほとんどが既存の設備を使っていて、小規模な会場は簡易的なスタンドだけというローコストに徹したオリンピックも、本来はそうあるべきだと思えば当たり前に思えてきます。

何でも立て直して心機一転を狙った東京オリンピックは、やはり政治や業界との癒着のために開催された感があります。

人によって最小限の限界が様々ですから、この必要最小限というのが結構難しい話でして、大阪万博の巨大木製リングなんかは、一体どんなセンスで設計して承認されたのか疑問に思います。

どう見ても愛・地球博の焼き直しにしか見えず、もっと独創的なものを考えられないのなら、シンボル的なものは止めたほうがよかったのではないかと思います。

巨大木製リングのコストがあまりにも高いものですから、会期終了後に保存するとか移設するとかの話が出てきていますが、そもそも建設費が高いものは保存も移設も高くつきます。

1970年の大阪万博でも、お祭り広場を覆った屋根が数年の後に、補修費用が出せないために取り外されてしまって、太陽の塔がニョッキリ残ったままになってしまっています。

パリオリンピックがローコストを実践してのを受けて、今後のあらゆるイベントも必要最低限の建設で済ませる方向に行ってもらいたいものです。

バッハIOC会長の任期延長問題

任期が切れるIOC会長のバッハ氏を、オリンピック憲章を変えてまで再任するべきだという意見が出されているらしいです。再任の意見を出しているのはアフリカの一部の国々のようです。

根拠もなく疑うのは良くないかもしれませんが、これだけ不祥事が相次いでいるIOCですから疑わない訳には参りません。

そもそも利害を被る当事者が勝手に変えられるルールではルールの意味がなく、当事者が勝手なことをしないように予め決めたものがルールです。

世界の事情が大きく異なって、ルールを制定したときの前提がそぐわなくなったのなら、ルールを変えることも必要かもしれませんが、時の会長が自分の立場を維持したいからと言ってルールを変えていては、何のためのルールだったのか分からなくなります。

どうも首長や社長、会長のたぐいは、誰からも評価されないために自己評価で満点を付ける傾向があって、自分が続けることが正義のような錯覚に陥りやすいです。

特に周りにイエスマンを揃えていると、誰も反対しませんから図に乗りやすくなります。

バッハIOC会長は東京オリンピックのときも散々問題を起こしていて、金の亡者というレッテルが貼られているはずですが、その金を使って弱小国の代表を丸め込むのに長けていると考えてしまいます。

ぜひともルールはルール。バッハ会長がたとえ優れていたとしてもルールを変更する条件にはなりません。

まさにバッハ会長のような人物を、いつまでものさばらさないためにあるルールです。

ルールを変える正統派理由がない限り、決して安易なルール変更はしないことを願います。

80年代のアメリカと今の日本は似ている

80年代のアメリカ(合衆国)は悲惨でした。

経済的にも政治的にもまったく良いところがなく、50年代、60年代に謳歌した経済の優等生のような面影はまったく消え失せていて、政治家も企業もやることなすことすべてが裏目。

街にはボディーに穴が開いた車が煙を吐きながら右往左往し、ヒッピーとも浮浪者とも区別がつかない若者がたむろしていました。

当時、アメリカで唯一光っていたのは自動車産業でした。

いくら落ちぶれかけていたとは言え、御三家と言われたGM、フォード、クライスラーはアメリカの繁栄と富の象徴だったのです。

しかし、そのアメリカ製の車は品質が悪く、ドアのノブはすぐ外れるし、エンジンはすぐ止まるし、ディーラーのメインテナンスはお粗末だし、自動車保険の支払いは渋り倒して、自動車産業自体が過去の栄光にすがるだけで倒れかけていました。

今の日本を見てみると、トヨタ以外に世界で戦える自働車メーカはなく、車検やメインテナンスはでたらめで、おまけに自動車保険は穴だらけ。

まさに80年代のアメリカをそのまま映しているように見えます。

アメリカも、当時学生が集っただけのサークルだったアップルやグーグルが、その後時流に乗って世界の富を独占する存在になりましたから、それと同じように日本もスタートアップと呼ばれる企業が成長することを期待しますが、期待するだけでは思うように成長しない可能性があります。

是非とも、国家の運命を賭けて近い将来の日本を背負っていけるような有望な企業を探り当てて、国家を上げて支援できるような施策を繰り広げていただきたいものです。

インフルエンサーの米国入国拒否

日本人の32歳の女性がハワイへの入国を拒否されて強制送還されたとか。

世間からは風当たりの強い反応が寄せられて、本人はさぞかしつらい思いをされたことでしょう。

おまけに今後10年ぐらいは米国入国は禁止される可能性が高く、しかも米国入国禁止の人物が他国に容易に入国できるとは思えません。

ちょっとした不注意から人生に大きな影響を与えるような失態に繋がったと言えましょう。

どうも日本人はハワイやグアムが身近だったこともあって、アメリカ合衆国はお友達で入国は容易だと勘違いしている人がいます。

本来入国にVISAが必要な国はそれなりに厳しいルールがあるからで、ESTAはVISAの手続きを簡略化したに過ぎず、相変わらずアメリカ画集国への入国は簡単ではありません。

国内で不法就労する外国人は多いですし、農業に影響がある検疫もかなり厳しいですし、入国時にお金を持っていなくてもお金を持っていても、それぞれ別の理由で厳しく問いただされるのです。

今回の事件では、観光目的であるにも関わらずインフルエンサーと称したために、ハワイで収入を得る行為をする可能性が高いを見なされて強制送還に至ったという憶測がありますが、アメリカ国内の就労機会を奪う行為でなければ問題がないと判断されるかもしれません。

ところでインフルエンサーって職業ですか?

自由業や無職なら不法就労をする可能性が高いと考えるのは当然ですし、以前から滞在ホテルの予約の証明、帰国便の予約済みの航空券、滞在中必要な現金などの所持は必須でしたから、あらゆる点で入国を拒否される十分な理由があったように思われます。

とにかく観光だけの目的であり、日本で十分な生活費を稼ぐ職業についていて、旅行中の滞在費を賄うだけの現金なりクレジットカードがあることを証明するべきでした。

以前なら旅行会社が個人旅行であっても事細かく指示をしてくれましたが、最近のようにインターネットで航空券もESTAも自由に手に入るようになってしまった結果、このような旅行者が増えてしまったのでしょう。

心配なのは日本経済が貧しくなってきて、遊びで海外で散財するより不法就労で稼ぐために海外に出かけるという事例が増えているとしたら、すでに日本は低所得国の再仲間入りを果たしたと言えるでしょう。

これからこのような事件が増えないことを願います。