ハラスメントはなくならない!

最近はオンライン視聴が容易になりましたから、いわゆる研修というものの案内が頻繁にメールでやって来ます。

昨日届いたのが「ハラスメント研修」の案内。

案内と言っても自由はなく強制ですが、この手の研修はそのうちにやろうと思っていたら、期限が来るまで絶対にやりませんから、来たらすぐにやるのが大人のたしなみ。

ハラスメントの実例が入った研修資料を読んでから、確認テストを受けます。

数年前ならハラスメントごとに研修があったのですが、最近はハラスメントのバリエーションが増えて、個別に対応すると毎月やらないといけなくなってしまうので、ハラスメント全集を一回で済ませてしまう方針のよう。

セクハラ、パワハラ、アカハラのように、例題のシュチュエーションはそれぞれのハラスメントに特化したものでしたが、注意書きに読んで気分が悪くなったらそれ以上読まないでくださいと書かれていました。(ハラスメントはエロ・グロと同じか?)

職場で異性に嫌がらせをされたり、上下関係のある人から威圧的な態度を取られたり。

ポイントは、人と人の関係において相手が不快になることを、必要以上に性や力関係を利用して行ってはいけないということ。

上司がそれなりのパワーを持って部下に命令するのは、業務上の必然性があるのでよいが、それ以上にパワーを使ってはいけないらしいです。

これって、小学校のときに「嫌がらせをしないように」(イケズしない!)と言われたのと同じではないでしょうか?

大人になってまで同じ事を言うと子供じみてしまうので、パワーハラスメントとかセクシャルハラスメントと英語を使って気取っていますが、要するに「嫌がらせ」です。

で、これは小学校から言われていても治らないのですから、大人に言っても無駄でしょう。

なぜなら嫌がらせが好きな人がいっぱいいるから。

これは人間の本質に近いところの感情であって、いつもマウントを取る人がいるのと同じように、その人の癖であって治らない。その人の個性の一部です。

嫌がらせをする人はある確率で存在して、それはさぼりぐせのある人の存在確率とそれ程変わらないと思います。

ですから、職場でいくらハラスメント禁止と言っても、表に見えないところで永遠に続くのでしょう。

曰く、「だって、嫌がらせをやめたら私ではなくなってしまう~!」

サバイバルゲーム

昔在籍していた会社の教育の一つとして、グループで行う「サバイバルゲーム」なるものがありました。今で言うコンセンサス教育というものでしょうか。

砂漠でバスが故障して同乗した20人の乗客とともに、全員の生存のために残されたどのアイテムが必要かを、グループで討論して優先順位を付けるというものでした。

設定は以下のようなものでした。

  • 砂漠の真ん中で、最寄りの人が住む町までは100マイル以上ある。
  • 日射が厳しく、歩いての移動は体力の消耗が早い。
  • 全員行動を共にする助かる方法を考える。
  • 手元に残ったアイテムは以下のもの。
    • 地図
    • コンパス
    • ラジオ
    • 拳銃
    • ナイフ
    • マッチ
    • 手鏡
    • 懐中電灯
    • 飲料水と若干の食料

さて、社員は5人ぐらいのグループに分かれて、討論しながら何が重要なアイテムか選んでいくわけですが、ここで各人の個性が出て議論は粉砕するわけです。

概ね方法性は、地図とコンパスを使って町に出ようとするもの、拳銃を取って乗客のリーダーになろうとするもの、飲水と食料を食いつなぎながら拳銃とナイフで狩りをしようとするものなど。

で、例えば地図とコンパスがあるなら近くの町を目指すべきだと言う意見を出すと、

「いやいや、私の長年のオリエンテーリングの経験では、コンパスの誤差でたとえ0.5度方角がずれても町にはたどり着けないものだ。」

と言ってきたり、また、

「砂漠を歩くのは無理。40度を超える砂漠では歩くことは自殺行為だ。俺は一度やって死にかけた。」

なんて言うものもいる。

経験に基づく知恵が色々と出てくるわけです。他の素人は分からないなりに経験者の話には説得力がありますから、段々と方向性が定まってきます。

結局方針としては、「できるだけその場に留まって、助けが来るのを待つ」というのが正解なのですが、この結論は、NASAの経験と研究から導き出されたものらしいので、根拠もしっかりしています。

さて、一番優先順位が高いアイテムが何だったかというと、「手鏡」です。

日中の太陽光線を鏡で反射すると、たとえ地平線を飛んでいる飛行機からでも確認できるぐらい眩しいらしいです。飛行機の航路の真下でなくても有効ですし、ましてや遭難したことが分かっていれば、近くに飛行機で救助に来るでしょう。

ぜひ砂漠に行くときは手鏡を持って行きましょう。(って砂漠に行く予定はずっとない?)

手鏡を忘れたならスマートホンが代わりになります。砂漠で電波が届かないからと行って、やけになって砂の上に投げ捨てないでください。鏡として使いましょう。

なぜこの話を書いたかというと、今朝電車をホームで待っていると、前に並んだ人のスマートホンの反射が眩しくて絶えられなかったのです。

スマートホンを操作すると画面が揺れ動くので、ピカピカ、ビカビカ、頭がクラクラするほど強力な光線を浴びて、何十年も前の会社の研修を思い出したのでした。(もっと役に立つことを思い出せよ!)

ランドセル

そろそろ来年春の新入生のランドセル商戦が始まったらしいです。

アウトドアで人気であるばかりか、いろいろ話題を振りまくモンベルからも通学用のバックパックを売り出すと言います。

革製のランドセルの中心価格帯は5万円ということですが、高いばかりで重たく機能的でないランドセルが今だに日本標準となっているのは、日本ふしぎ話の一つでしょう。

結構部品が多いので中途半端に壊れたりして、耐久性があるようでない。また小学1年と6年では体型が大きく変わり、成長に合わせてエクスパンドするのでもなければ、耐久性があって6年間使い続けられたとしても苦痛のような気がします。

A4がすっぽり入るというランドセルの宣伝文句にも、子供は手が小さいのだから、B5版の教科書にすればいいのにと思ってしまいます。

その他にも教科書を学期ごとの分冊にするとか、家庭学習用にもう一冊教科書を買うだとか、ICT化して教科書もノートも筆箱もなくしてしまうとか、やれることはいっぱいあるのですから、ランドセルの色を選ぶのを喜んでいる場合ではなりません。

ランドセルが必要なくなったときが、初めて教育改革が進んだときだと考えています。

ランドセル商戦が話題になっているうちは、まだまだ旧態依然とした教育が行われている証なのです。