大学院は学歴ではなく職歴である!

少し前、学歴ロンダリングが話題になったことがありました。

政治家や芸能人の経歴で優秀な大学を卒業したことになっていても、実際在籍した記録がなく、よく調べてみると、夏休みに観光旅行を兼ねた短期留学で数日訪れただけだった、みたいなことが暴露されてしまって、学歴詐称が判明したような事件が相次ぎました。

卒業していないのに卒業しているというのは完全な嘘ですが、例えば大学入試には受かったけれども入学はしていないような場合、その大学を中退したと言ったらこれまた嘘になります。

2年間の教養課程を終えてからでないと中退は名乗れないはずで、大学中退なら4年制大学の3年次編入ができますから、大学中退はちゃんとした学歴と称してもよいでしょう。

ところで、大学院には院試と言われる入学試験がありますが、大学入試に比べると一般的ではなく、いわゆるコネがあったり、人気のない研究室では定員が足りていなかったりすることがあります。

ですから国立大学の大学院でも比較的簡単に入れる場合があります。これを別の意味で学歴ロンダリングと呼ぶ人もいます。

別に不正をしているわけではありませんが、大学院入試について詳しくない人を誤魔化している気配は感じます。

以前、ドクターを目指している後期博士課程の学生さんに聞いたのは、学歴と言えるのは大学卒業までで、大学院からは好きな研究を続けるだけということでした。

学力はどこの学部を卒業したかで判断して、大学院以降は学歴というよりは職歴ということでしょうか?

最近、著名な人でも大学院以降の経歴しか提示されない場合、おそらく大学の名前は出したくないのだろうと勘ぐってしまいます。

ただ、最近は大学もAO入試が一般的になってきて、本当の学力なんて分かりにくくなっています。

要するに、学歴や経歴などのラベルで人を判断するのはやめて、その人の能力を見抜ける力を養わないといけないということなのでしょう。(まあ、それができないからラベルで判断してたんだけど、、、)

専門職大学って専門学校と違うの?

神戸の女子大学が、閉学を前提に募集を停止するというニュースがあります。

神戸は数多くの私立の学校がありますが、特に神戸から西宮にかけてのエリアには、俗にお嬢様学校と呼ばれた女子大学併設の中高学校がいくつかあります。

元を辿ればウーマンリブに端を発する女性の地位向上運動の影響もあって、近年みるみるうちに女子短大や女子大の人気がなくなり、女性も一般の4年制大学に行って男子学生と一緒に社会科学や自然科学を学ぶようになってきました。

そのため、以前は教養や花嫁修行と言われた文学部や家政学部だけの女子大が、淘汰されつつあります。

数十年前なら、結婚をしたらある意味専業主婦という職業があったのですが、今やそれもなくなり、家計のために外に出て稼ぐ必要があるということなのでしょう。

90年代の主婦がパートで働き始めた頃、何のために働くかというアンケートの答えは、決まって「自分の趣味や娯楽のため」という回答が多かったのですが、当時USでは同じ質問に対して「生活のため」という回答がほとんどだったそうです。

やはり日本はUSから20~30年遅れて波が来るようです。

さて、女子が女子校付属でない大学に行くようになって、何が起こったかというと、大手私立大学の付属中学・高校が共学化して女子の生徒が増えました。

単に就職に弱い女子大学の付属から、就職ができる大学の付属に女子生徒が移動しただけです。

つまり、大学間の競争が激しくなってきているということで、その競争はどこに就職できるかが焦点になっているのですが、一方少子化で学生を集めなければならない大学側は、AOや推薦入試を増やしていて学生集めに必死です。

以前は真面目に大学が学問や人格形成のために行くところであるという人がいましたが、就職のためという目的を隠すことなく公言できるようになったのは良いことです。

そこで、もっと露骨に就職のための専門職を養成すると謳う専門職大学なるものが登場してきました。

専門職大学ならかつての専門学校で良いのではないかと思いますが、国から補助が出るのか、4年在籍させないと儲からないのか、なぜか新しい形態の大学を作りたがるようです。

何かどんどん発散していくばかりで、収束する方向性が見えなくなっていて、本物とインチキの見分けが難しくなってきています。

こんなときは人の言うことが信じられなくなりますから、AIに任せて大学を選ぶようになるかもしれません。

ますますインチキがまかり通りそうです。

理系学部を増やす意味

文科省が、大学の文系学部を理系に再編するための支援基金を準備して、支援する大学(基金に群がる大学)を募集しているとのニュースです。

どうも海外に比べて日本の大学出身者に、理系卒の割合が少ないのを是正するのが目的らしいです。

アメリカやドイツなどが40%を超える割合で理系出身者がいるのに比べて、日本は35%しかいないとか。

それはそうですよね、日本の大学を見渡せば伝統ある大学でも理系の学部は2~3割程度ですし、新設の大学ではもっと文系学部が多いです。

そもそも理系の学部には金がかかりますが、文系は教室と適当な先生を探してくれば済んでしまいます。博士の教授も少ないですし、手っ取り早く大学を増やした結果文系中心の大学ばかりになって当然です。

そこで誰もが予想するのは、経営学部→経営工学部、文学部→人文科学部、商学部→経営工学部のように取って付けたような名前が増えて、中身はまったく文系色。

その結果、日本の理系出身者(もどき)が40%を超えて、海外に引けを取らない理系大国になりましたと胸を張るつもりでしょう。

人文科学はほとんど芸術(アート)ですから、本来の文系と言ってもいいでしょうが、経済や経営は数学なくては語れません。その入試に数学が課せられない時点で、単なる営業マン養成学校に成り下がるのです。

ゆとり教育が盛んに叫ばれていた頃、地方の国立大学には小学校で習う掛け算の九九がまともにできない文系学生が多いと、ニュースになった事がありました。

サイエンス無くして日本の未来はなし!

形だけの理系学部の乱発を招くだけの施策やバラマキは止めて、初等教育から手を付けるべきではないでしょうか?

東京科学大学とな?

東京工業大学と東京医科歯科大学という、日本を代表する2つの大学が合併して「東京科学大学」なるというニュース。

「なるほど」と思った方も、「なんじゃそれ!」と思った方もどちらもありそうですが、一番無難なところに落ち着いたということでしょうか。

大学の名前をあまり凝ったものにすると、「首都大学東京」のように元に戻す羽目になりますから、今回は凝った名前にすることは考えなかったのでしょう。

単に「東京工業医科歯科大学」ではどちらが上下で揉めそうですし、「東京科学技術大学」は既出です。

そこであえて「東京理科大学」とかぶりそうな「東京科学大学」となったのでしょうが、工業、医科、歯科とまとめて科学と称するあたりは、ノーベル賞に近いような雰囲気があって日本人好みかもしれません。

これまでも国立と私立で似たような名前の大学がありましたが、東京理科大学と東京科学大学では特に英語名称でややこしくなりそうです。

まあ海外でも公立と私立で名前が近いものがたくさんありますから、明確に区别できる名前を付けることは難しいいのかも知れません。

せめて将来の受験生の方は、試験当日間違った大学に向かわないように、十分に気をつけてもらいたいものです。(名前が似すぎた大学間は相互受験を可能にするとか?)

ハラスメントはなくならない!

最近はオンライン視聴が容易になりましたから、いわゆる研修というものの案内が頻繁にメールでやって来ます。

昨日届いたのが「ハラスメント研修」の案内。

案内と言っても自由はなく強制ですが、この手の研修はそのうちにやろうと思っていたら、期限が来るまで絶対にやりませんから、来たらすぐにやるのが大人のたしなみ。

ハラスメントの実例が入った研修資料を読んでから、確認テストを受けます。

数年前ならハラスメントごとに研修があったのですが、最近はハラスメントのバリエーションが増えて、個別に対応すると毎月やらないといけなくなってしまうので、ハラスメント全集を一回で済ませてしまう方針のよう。

セクハラ、パワハラ、アカハラのように、例題のシュチュエーションはそれぞれのハラスメントに特化したものでしたが、注意書きに読んで気分が悪くなったらそれ以上読まないでくださいと書かれていました。(ハラスメントはエロ・グロと同じか?)

職場で異性に嫌がらせをされたり、上下関係のある人から威圧的な態度を取られたり。

ポイントは、人と人の関係において相手が不快になることを、必要以上に性や力関係を利用して行ってはいけないということ。

上司がそれなりのパワーを持って部下に命令するのは、業務上の必然性があるのでよいが、それ以上にパワーを使ってはいけないらしいです。

これって、小学校のときに「嫌がらせをしないように」(イケズしない!)と言われたのと同じではないでしょうか?

大人になってまで同じ事を言うと子供じみてしまうので、パワーハラスメントとかセクシャルハラスメントと英語を使って気取っていますが、要するに「嫌がらせ」です。

で、これは小学校から言われていても治らないのですから、大人に言っても無駄でしょう。

なぜなら嫌がらせが好きな人がいっぱいいるから。

これは人間の本質に近いところの感情であって、いつもマウントを取る人がいるのと同じように、その人の癖であって治らない。その人の個性の一部です。

嫌がらせをする人はある確率で存在して、それはさぼりぐせのある人の存在確率とそれ程変わらないと思います。

ですから、職場でいくらハラスメント禁止と言っても、表に見えないところで永遠に続くのでしょう。

曰く、「だって、嫌がらせをやめたら私ではなくなってしまう~!」