「国策半導体会社ラピダスに死角はないのか?」と聞いてみたら、、、

朝日新聞DIGITALに、「国策半導体会社ラピダスに死角はないのか 長内厚・早大院教授に聞く」という記事が出ています。

日本が税金を投入して千歳市に半導体の新工場を建設することになりましたが、大量の税金を投入するにあたり死角がないか、早稲田大学の教授に問うてみた内容です。

結果は、死角どころか「典型的な日本企業の負けパターン」と断言される始末。あっさりと片付けられてしまいました。

一体政治家や官僚の誰が、税金を投入したら半導体の製造技術が手に入ると考えているのでしょう? 手を上げていただきたいものです。

半導体のテクノロジーの呼び方は、企業ごとに世代の区切りが異なっているために一概に決めにくいのですが、概ね100nmを切ったあたりで日本の先端企業以外は脱落し、50nmまででほぼ全滅した過去があります。

USのいくつかの企業と韓国サムソン、それに台湾TSMCがその後も競い合っていましたが、現在はTSMCが7nm以下の領域で唯一営業的に成功している言えるでしょう。

過去に日本が脱落したのが50nm程度であったのに、国税を投入したら7nmが可能だと考えるところに素人の浅はかさがあります。

確かにお金を投入すれば技術が手に入る可能性はありますが、それは継続的に競合より多く投資した場合に限ります。

50年前にコンピューター業界をまともにするために税金を投入したときに比べて、技術のレベルが格段に上がっていますから、お金だけを投入しても知能がなければ活かすことができないレベルに技術が進歩していますから、初期投資、継続投資、頭脳人材の継続的な投入が揃わなければ叶いません。

過去の活躍した半導体技術者は、日本の半導体産業の衰退に伴って韓国や中国に渡り、技術を吸い取られて使い捨てにされていますから、今から集めても役に立たないでしょう。

これは「典型的な日本企業の負けパターン」という解釈が正しいように思います。

日本の将来に負の遺産を残さないように、今から言い訳と善後策を練っておいたほうが良いかもしれません。

中国の科学技術の進歩度合い

一体中国の技術はどこまで進歩しているのでしょうか?

中国製のルーターなどの通信機器にスパイ機能が埋め込まれていたとされて、半導体の設計に欠かせない設計ツールや露光機などの中国への輸出が制限されて、中国の新規半導体開発や半導体製造の息の根を止めたはずでした。

しかし、ファーウェイの新製品には7nmの製造技術で作られたと見られるLSIが使われていて、自国での設計も製造も、またファウンダリーへの発注もできないはずなのに、どうやって最新の半導体を手に入れることができたのかに注目が集まっています。

どこかの国や企業と裏取引をしている可能性が半分、中国内で設計・製造する技術を構築している可能性が半分でしょうか?

いやっ、7nmの製造技術は今の日本でも憧れの技術ですから、それを国内で実現できるとすればたまげた物です。

しかしながら、簡単に習得が無理だと思われていた日本の新幹線やドイツのICEの技術を、あっという間に真似て大量に製造して国中に高速鉄道網を張り巡らしただけでなく、こともあろうか全く中国独自の技術だと称して他の国々に売りまくっているのが中国ですから、半導体の技術も日本やUSが思っている以上の速さで追いついていても不思議ではありません。

2000年代初頭に、日本の半導体会社が大量に首を切った技術者が、中国の半導体産業立ち上げに協力したことは間違いありませんが、予想していたより半導体の技術は容易に継承できるものなのかもしれません。

半導体の技術といっても、実際の基幹技術はそれほど多いわけではなく、優秀な技術者が数人いれば十分必要なノウハウは伝えられるように思います。

試行錯誤して数十年かかった半導体技術も、熟練エンジニアが手ほどきすれば数年でものにできるのかもしれません。

今、国を上げて新しい半導体工場建設に巨額の投資をしていますが、中国が7nmの設計技術と製造技術を現時点で持っているとしたら、全く無駄な投資になるでしょう。

今更ながら、日本の企業の先見の明のなさが惜しまれます。

知的職業がAIに取って代わられる理由

ChatGPTに始まるオープンAIが、将来的に多くの職業を取って代わるようになるという危機感が席巻しましたが、一過性のブームが過ぎてちょっと時間をかけて考える余裕が出てきたようです。

最初は、将来的に弁護士や経営者、政治家のような知的労働だけが残り、ルーチンワークと言われる単純で事務的な職業ははとんどAIに取って代わられると言われました。

ところが最近は形勢が変わってきていて、弁護士や経営者のような知的(と言われる)職業の方がAIでに変わられる可能性が高いと言われるようになってきました。

考えてみればそれは当然な訳で、AIがインテリジェンスであるならばこれまでインテリがやってきた仕事が置き換わるはずで、単純な事務作業や力仕事はAIでは代用になりません。

そもそも単純な事務作業は、せいぜいパソコンのエクセルでほとんど事足りるはずですから、もう30年以上かけて大量の事務員はパソコンに置き換わってしまいました。

また力仕事はもっと前から機械化が進められましたから、今残っている力仕事は機械化できなかった人間にしかできない仕事です。

本来、自動化や機械化はコストを削減するのが主な目的ですから、機械化することができない特殊な作業や、コスト的に機械化する方が高くつく力仕事より、給料が高い弁護士や経営者、政治家を削減すると一番コスト効果が高いはずです。

つまりは人間の頭脳をAIで自動化するということですから、弁護士のような駆け引きがある感と経験と度胸的な仕事の前に、確実にやれば良いとされる司法書士、行政書士、公認会計士あたりがAIに置き換わるのが早いように思います。

大体、自動化というものは茹でガエルのように、当の本人が気づかないうちに茹で上がっていることが多いですから、弁護士の仕事をしていると思っているうちに、AIの指示に従っているだけになっているなんてこともあるでしょう。

「AIによる知的業務の自動化」

知的業務と行っても、単に経験的に過去の事例を踏襲していただけということもあるでしょうから、どこまで知的か分かりませんが、AIによって今後10年ぐらいで職業地図が大きく変わるかもしれません。

軽量発泡コンクリートの寿命

イングランドの教育機関で、建物に使われているRRAC(強化軽量気泡コンクリート)が強度不足で建物が崩壊する恐れがあり、一部の建物の使用を禁止しているそうです。

寿命が30年と言われていて、長年の湿度によって鉄筋が錆びたり、コンクリートの強度が低下するために、建物全体の強度が不足する場合があるということです。

確かに日本で実績のあるヘーベルハウスも、必ず10年ごとの外壁の塗装が必須になっていて、内部が気泡でスカスカであるため、塗装に切れ目があると雨が入り込んで駄目になると言われています。

本来鉄筋コンクリートはそれほど鉄筋が雨にさらされることはなく、コンクリートがアルカリ性になるため鉄筋が錆びにくいとされていますが、軽くしたり断熱性を持たせるために気泡化したために、鉄筋が雨に晒されやすくなってしまうのでしょう。

鉄筋コンクリートが50年の寿命と言われていて、軽量発泡コンクリートが30年ならそれなりかなと思いますが、塗装によるメインテナンス頻度が寿命に及ぼす影響が大きいため、一概に30年で使えなくなるということはないかもしれません。

日本も高度成長時代なら、鉄筋コンクリートの寿命が50年なら十分なように感じましたが、経済が停滞すると50年ごとに建て替えることは経済的に無理であることを痛感します。

建物やインフラは造っておしまいではなく、その後のメインテナンスが重要です。

スクラップ・アンド・ビルドが当たり前だった日本経済も、もはや昔!

これからは何事も持続できるメインテナンスのことも考えて、計画を建てなければならないと思います。

サンフランシスコの自動タクシー解禁と日本のデジタル化

サンフランシスコの無人自動タクシー解禁のニュースを見て思うのは、日本が世界に遅れているのはデジタル化だけではないということです。

アメリカでレンタカーなどを運転した経験がある人なら分かると思いますが、アメリカで運転するのは日本で運転するのに比べて数倍楽です。

もちろんニューヨークやボストンあたりの大都会になると、日本の地方都市と同じぐらい運転技術が必要になります。

それでも日本の複雑な信号、細い路地、無茶な運転をするタクシーなどが、いかに運転を難しいものにしているかを思い知る経験をした人は多いのではないでしょうか?

今、日本の国を上げてデジタル化を推進していて、その筆頭としてマイナカードが脚光を浴びていますが、期待通りに進まず先行きに不安が持たれています。

その原因は、システム構築自体に問題があるのはもちろんですが、日本の戸籍制度、膨大な漢字の数、読み方の分からない名前、統一されていない健康保険制度、整理整頓されていない住居表示などなど。

これらのとてもデジタル化をするに相応しくない、カオス状態の混沌雑多な情報を、そう簡単に0と1のデジタル化ができる訳ありません。

マイナカードを導入する前に、漢字の整理、漢字の読み方のルール化、住居表示の全国統一、戸籍情報の整頓、健康保険情報の全国統一化をまず成し遂げてから、やっとマイナカードの話が始まるのです。

「砂上の楼閣」

デジタル化を行う前に、まず元のデータを正確なものに整える必要があります。

同じことが自動車の自動運転にも言えます。

非合理的な交通法規、未熟な運転者、消えかかった中央線や崩れた交通標識、自転車やキックボードが同じ道路上に溢れ、たまには無法者が我がもの顔に信号無視をする。

信号が青なのに、横断歩道の歩行者のために止まらなければならないなんて、何のための信号なのでしょうか?

人げが道を歩くのさえ危険が溢れ不自由なのに、自動運転なんてできるわけがありません。

日本は経済の話だけに限って失われた30年と言っていますが、失われたのは経済だけでなく、あらゆる分野で近代化が遅れていた事に気付かなければなりません。

おそらく、アメリカでの自動運転を見た政治家は、日本でも自動運転を認可さえすれば同様なものはすぐ実現できると考えるでしょうが、自動運転化の前に立ち遅れた道路事情や交通法規を世界レベルまで引き上げる必要があります。

どうも日本の政治家は、疎いからか技術(テクノロジー)があれば何でも解決できると考えますが、まず技術を活かすには社会インフラが一定のレベルにあることが重要です。

マイナカードと同じように、日本で運転の自動化を強引に推進して「動かないコンピューター」の如く、「動かない自動運転自動車」で道路が埋め尽くされないことを願います。