USの自動運転タクシー運行停止の意味

USのGM傘下企業が運行する無人タクシーであるクルーズが、運行を全米で停止するらしいです。

これまでにいくつか自動運転タクシーの怪しい行動がニュースになっていましたが、さすがに救急自動車を妨害しただけでなく、事故で横たわった人を認識できなかったことで、現状の技術レベルでは対応できないと判断したのでしょう。

USの自働車の運転は日本やイタリアに比べてはるかに簡単で、目をつぶっても運転ができると思ってしまうほど、とっさの判断が必要になるほどの事態は起こりません。

しかし、事故直後の複雑な状況判断や緊急自動車に異常に反応した運転者の状況把握に、解決しなければならない問題があったとクルーズは判断したのでしょう。

世界の自動車はほぼ同じ操作で運転でき、運転免許も居住国の免許がそのまま通用するのですが、各国の運転の難易度にはかなりの差があります。

その差は、交通法規の出来不出来や道路状況、国民の性格や国民の運動神経から醸し出されるのですが、日本はその中ではかなり底辺に来るのではないかと思います。(つまり自動運転が適応できにくい!)

なんせ、おもてなしや侘び寂びを売りにする国民と文化ですから、自動化技術とは相性が悪いです。

相手の過ちを雰囲気で感じ取って対応しなければならない文化ですから、論理的な機械任せの自動運転で判断できないことがいっぱいあります。

もし、先進国の80%で自動運転が普及したとしても、日本は残りの20%に入ることは間違いないでしょう。

自動運転の普及を最後まで競うのは、日本とインドと中国ぐらいではないでしょうか?

USがこのまま自動運転の将来性がないと、見切りをつけてくれることを願います。

USBメモリーの功罪

はっきり言ってUSBメモリーは失敗作でした。

なくても良かった、なければ良かったというほど酷い製品でした。

データを無セキュリティで持ち歩くという愚かなことを、利便性と言う名の怠惰な行動で正当化したIT史上トップクラスの過ちでした。

私はコンピューター製造業にいた頃、USBメモリーが普及し始めた頃にすぐに社内持ち込みが禁止されましたから、お客様がUSBメモリーを持ち出してファイルのコピーを依頼されたときはたまげました。

確かにそれまでにもフィロッピーディスクという持ち運びができる外部メモリーがありましたが、時代がまだセキュリティに目覚めていない時代でした。しかも容量が小さかった!

しかし、USBメモリーは価値のある情報を盗めるほど容量がありました。

その後、セキュリティキー付きのUSBメモリーが登場しましたが、そんなめんどくさいキーを有効化する人はほとんどいませんでした。

結局USBメモリーメモリーは、不用意にデータを持ち出す人々に愛用され、数々の機密情報の意図しない開示に結びついたのです。

その被害金額がいくらかは誰も計算しないでの分かりませんが、とにかくUSBメモリーがITの分野で不用意なデータの持ち出しを奨励したデバイスであることに疑いはありません。

そんなことを言えば、SDカードのCFカードも同じじゃないかと言う方がおられるかもしれませんが、中のデータが違います。

とにかく、今手元にUSBメモリーをお持ちの方は、まずその中のデータを削除するか暗号化するかしてから、寝るようにしていただきたいものです。(寝るんかい?)

20代には通じないIT用語

「20代には通じない『パソコン・IT用語』死語ランキング」なるものが発表されたらしいですが、なんと1位は「フロッピーディスク」だったそうです。

大差をつけて一位だったそうですが、ディスケットなら知っているなんてことはないでしょうね。(ない、ない!)

80年代からパソコンが普及し始めて、現在までの間に様々な技術が登場しては、後から新しい技術に置き換えられることを繰り返しましたから、今となっては懐かしかったり忘れ去ってしまった技術もたくさんあるでしょう。

フロッピーディスクにしても、初期のパソコンはメモリー容量が貧弱だったために、フロッピーディスクが主記憶装置みたいなものだったので、データだけでなくOSやプログラムもフロッピーディスクに入れていましたから、当時は誰でも大事に保管していたものです。

今でもたまに研究所などで、装置の起動ディスクに5インチのフロッピーが使われていたりして、起動できなくなったときに原因を調べたら、フロッピーディスクがすり減って磁気面が透けて見えるほどになっていたという話もあります。(経験者)

いわゆるメディアというのは普遍的なものが望ましいわけですが、実際は技術の進歩によって真っ先に作り変えられる運命にあります。

VHSやベータのビデオテープに記録していたものが、暫く経つうちにビデオデッキの生産が終了していて、再生すらできない状況になってしまった方も多いのではないでしょうか?

最近になってやっとDVDに焼き直して観てみたら、画質が悪すぎて見るに耐えなかったということもあります。

昔のカセットテープや写真フィルムも、大事にしまっておいても再生できませんし、無理やりデジタイズをしても結局見なかったりします。

フロッピーディスクのように現行技術もいずれ捨てられ忘れられるでしょう。

時の移り変わりとはなんと無情なことなのでしょう!

モーターショーからモビリティショーへ

コロナ禍の影響で開催が滞っていた自動車の展示会が、モビリティショーと名前を変えて今週から開催されます。

コロナ禍の影響で開催しなかったというよりは、世界的な電気自動車ブームに乗り遅れた日本車メーカーが、何を売りにしたら良いか分らなくて開催できなかったという方が正しいかもしれません。

自動車以外に鉄道やLRTや、はたまた胡人俑の電気スクーターや電動キックボードなど、移動に関するものを一気に紹介していこうと言う訳です。今後自動車産業が衰退してパーソナルモビリティに移行しても、ショーが永らえるように誰かが考えたのでしょうか?

自動車産業が衰退してしまうとは現状では考えにくいですが、娯楽の王者だったテレビが色々なメディアが登場して地位が落ちたことから考えると、自動車がいつまでも主役である必要はありません。

2~3年前はハイブリッドではないバッテリー電気自動車が一気に主流になる勢いでしたが、ガソリンを使っていた自動車が電池で動けばガソリン価格は大幅に下がるでしょうから、電気自動車のコスト優位性がなくなって低価格化への圧力が高まるでしょう。つまり、産業として見た場合に電気自動車の将来姓も判断し辛いところです。

心配なのは、色々なモビリティの選択が可能になってきても、法整備が追いつかない恐れがあります。

すでに電気式スクーターやキックボードなどで交通法規の運用面で問題が出てきていますし、モビリティショーの中でも運用面についての意見を討論する場を設けても良いかもしれません。

これまでバスやタクシーは公共交通機関としての役割がありましたが、ライドシェアなどが普及してくると公共交通機関の定義も変えていかなければならないでしょう。

自動車産業はもっと小さな企業が作る電動自転車や電動キックボードと競い合うようになり、またインターネットによる在宅勤務はモビリティ自体を一部不要にします。

もう自動車メーカー間で競争をしていた時代は過ぎ去ったと言えるでしょう。

あらゆる産業が何らかの影響を及ぼし合うモビリティショーは、これからも目が離せません。

運転手のなり手がいない

今、路線バスやタクシーの運転手のなり手がいないために、バス路線を廃止したり繁華街のタクシーを増やせないという問題があります。

それら以外の職業でも、以前なら問題にならなかった人手不足が深刻になっていて、一体人々はどこで働いているのだろうと疑問に思ってしまいます。

ホンダが自動タクシーをGMと共同で開発して2026年に走行を開始する予定だそうですが、確かにタクシーの運転手がいなければ自動運転を早急に開発する必要があるでしょう。

タクシー会社が自動運転車を購入して運行したら、タクシー会社としては利益も出て経営者にはこれまでと変わらないかもしれませんが、運転手はもう必要ありません。

同様のことが産業のあらゆる場面で起こっていけば、労働者が自動化されて消えていき、経営者だけが残ってお金を稼ぐ訳です。

そこにいた労働者は、何らかの方法でお金を稼がないと自動化されたタクシーやバスに乗ることができません。

世の中にはお金を持っ経営者である富裕層と、仕事もお金もない貧困層に分かれてしまうことになります。

それはそのはずで、機械化によって自動化されれば業務は全て機械がこなすわけですから、人間の仕事はありません。

人間がする仕事は、自動化された設備に投資するだけです。何らかの方法でお金を調達できる人でなければなりません。

これまでの社会では、学歴や知識や技能があればお金を稼ぐことができましたが、それらは全て自動化に飲み込まれてしまって、意味があるのはお金だけになります。

市場経済の成れの果てと言えば、経済学者などはとっくの昔に予想していたのでしょうが、現実が近づいてくると、なるほどと頷いているどころではありません。

自然科学のイノベーションでは経済に結びつくことしか価値がないので、この状況を打破できないでしょう。

何らかの社会科学的なイノベーションが必要です。

世界を見ていても、未だにこれまでの経済学に基づいた理論や推論に留まっています。

ノーベル賞級の社会変革が待ち望まれています。