自動運転の定義

自動運転とは何でしょうか?

レベル1~5の自動運転の程度の定義はあるみたいですが、そもそも完全自動のレベル5、すなわち運転者が何もしなくても目的地に着けるという自動運転の定義が曖昧な感じがします。

各自動車メーカーがしのぎを削って開発中ですが、だいたい新技術の開発というのは数年経つと疲れてきていい加減になるものです。

今の自動運転もその状況に入っていて、自動運転タクシーが米国や中国で当たり前になりつつあるようですが、それなりに社会の犠牲のもとに成り立っているように見えます。

米国と中国はどちらも似たところがあって、多少の犠牲はものともしない姿勢があります。

社会の進歩には犠牲(人柱)が必然であって、その前提のもとにできそうもないことに突き進め無傾向があります。

ですから、アメリカ合衆国で無人のタクシーが走り回っていても、日本人からしたら実環境で実証実験をしていると捉えるべきでしょう。

ですから不要に近づくとやけどをします。

すでに気付いておられるでしょうが、一部のUSの企業、例えばGoogleやAppleなどは未完成のものをまず社会に出して、実環境でテストを平気でする企業です。

Googleのツールで最初から完成して提供されたものはほとんどなく、どれも未完成不完全な状態でリリースされて、後から徐々に改善されていく姿をご存知でしょう。

Appleにしても同様で、初期のiPhoneやiPodTouchの酷さは完成度30%ぐらいではないかと思えるほど酷いものでした。

日本の企業ではそうはいきません。

最初から社内でテストを繰り返した後、製品として発売して市場で欠陥が発見されたものなら、犯罪者のような社会の仕打ちが待っています。

どちらが良い悪いの論議ではなく、社会は完全なものより新しいものを要求しているということでしょう。日本人の感性にはマッチしなくなっています。

日本人の失敗を許さない精神ややり直しの効かない体制が、現代のグローバルな症状にそぐわなくなっています。

「良い悪い」の判断は真実が分かっている事象に限り、変化の激しい分野では「良い悪い」には目をつぶる事が必要なのかもしれません。

ゼロエミッション目標の見直し

一時は世界中がEV、それも特にバッテリーのエネルギーだけで走るBEV一辺倒で、「BEVでなければ自動車ではない」とまで言い切る勢いでしたが、ここに来て急に風向きが変わってきて、各社一斉に先延ばしにかかるようになりました。

炭酸ガスの排出量をトータルで考えると、発電や製造過程での問題が解決しなければならないことはトヨタが先頭に立って訴えてきましたが、ここに来てやっとまともな議論ができるようになってきたということでしょうか?

リチウムイオン電池の再利用技術などは、まだまだ実用化には程遠い感じもあります。そう簡単にひとっ飛びに技術を開発できないもどかしさを感じている人も多いのではないでしょうか。

石油資源が数十年で枯渇すると70年代にはすでに叫ばれていて、石油を使い切る前に核融合を完成しなければと言っていましたが、磁気浮上鉄道と同じように実用化までに解決しなければならない問題がたくさんあって、未だに実用レベルには達していません。

ならば自動車を使わないようにすれば炭酸ガスの排出も減りそうなものですが、在宅勤務が普及しそうな気配はあったものの、週5日出勤するべしと米国IT企業が率先して言い出す次第ですから、オンライン会議やオンライン授業などはお試しだけでお払い箱、通勤通学はこれまで通りという事になりそうです。

思えば70年代に学生だった頃、光ファイバーと核融合はどちらも同じぐらい新規的なものと考えられていたように思うのですが、世界中に張り巡らされている光ファイバーによってインターネットが普及したのに比べて、発電方法は50年前と変わらない火力発電が主流で、原子力と水力が従、再現可能エネルギーがなんとか実用になって入るもののそれに伴う弊害も見聞きします。

核融合が実用になれば、有り余る電力で海水を電気分解すればいくらでも水素燃料が作り出せるはずだったのですが、人類の大誤算ということでしょうか。

核融合に人類の存亡がかかっていると言っても過言ではありません。