IoTって役に立つの?

昨日、とある有名な教授の講演を拝聴いたしました。

20年間に渡る研究の全体像の説明だったので、具体的な例がほとんど示されていなかったためでしょう、私のような門外漢はその研究の素晴らしさや、将来到達するであろう夢の部分を想像することはできませんでした。

IoTという概念が日常の会話の中に出てきたのは、提唱されてたか10年ほど経った2000年前後でしょうか? 

その頃は半導体関係の仕事をしていましたから、IoT社会を実現するためにはデバイスが進化しなければならないといった目先のことにとらわれていて、IoTが目指す社会の意義が何であるかや、それがどれほど素晴らしいのかを考えることもありませんでした

最近になって目指す方向性としてSociety 5.0が叫ばれてきましたが、如何にも政府お抱えの社会学者が後付で考え出した感があります。

また実際に世間を騒がして話題になっているのは健康保険証のマイナンバーカード化ですから、Society 5.0の正体はこれなのかとがっかりしてしまいます。

過去を振り返ってみれば、情報産業というのは例えば銀行オンラインや切符の予約システムなどから始まり、その後CAD/CAMなどの生産自動化が続きました。

21世紀になってインターネットによって飛躍的に身近な存在になりましたが、しかし依然流通や金融を自動化するためのツールでしか過ぎませんでした。

すなわち情報は産業として独立していたわけではなく、銀行、証券、流通、製造などの産業の補助的ツールとしての位置づけだったわけです。

「そろそろ情報も産業としてお金を稼ぐようにしなきゃあかん!」と誰かが言ったのでしょう、情報産業として単独で儲かることを考えた結果がSociety 5.0にような気がします。

つまり、誰も頼みもしないことをやる。よくある先走り、余計なお世話というやつです。

マイナンバーカードがその代表と言えるかもしれません。

必要性や利便性から出た発想ではなく、意味があるか必要化を度外視したところからひねり出して、後付で必要性を作り出すやり方です。

これまでそれがうまく行った試しがあるでしょうか?(あったかもしれません。)

話は元に戻りまして、教授の講演を聞いて何かしっくりこなかったのは、目的や意義が私には見いだせなかったからでしょう。

科学や商売の天才の話は、凡人には理解できないものです。(凡人は私!)

世の中からエンジン車がなくなるか?

最近になって各方面から、将来的にすべてのエンジン車がなくなることはないという見解が多く出るようになりました。

ヨーロッパの国々が流れに遅れまいとして、近い将来に国内で販売されるエンジン車を禁止する法律を制定し始めましたが、産業界から待ったがかかったということでしょうか。

CO2の排出量を規制して地球温暖化を抑制するところから始まり、石油資源を使うガソリン車やディーゼル車を規制しようとするのは、一見環境に良さそうに見えますが、実は環境負荷が意外に多いということが見えてきたからでしょう。

地球温暖化の原因に関しても、メタンガスの放出や牛のゲップまでが規制の対象になり始めていますから、技術的に困難で本当にCO2排出量を減らすことができるかはっきりしないエンジン車だけを、急いで禁止しても勇み足になる可能性があります。

EV化には追加の発電所の建設が必須であり、発電のために化石燃料を余計に燃やせばCO2の排出が増えますし、だからと言って「原子力に頼ります」とも言いにくい。

自動車ごとに小型核融合炉を搭載して発電しながら走るようになれば(アメリカで開発に成功したというニュースもありますが)話は別でしょうが、早急にEVにしたところで電池資源の問題や電力不足をどう補うかなど、自動車産業以外に負担が相当かかることを考慮しきれていない感があります。

またエンジン技術がない中国が、電気自動車で一気に世界の自動車産業をひっくり返そうとしているのも気になります。

日本の自動車産業としては、全面的にEVに行く可能性と、エンジン者がハイブリッドであっても残る可能性と、天秤にかけてどちらでも生き残れるようにしないといけません。

人類のシナリオとしては、核融合が21世紀には完成してエネルギー問題は解決するはずだったのですが、ひょっとしたらここ数年でそれが実現して、EVだエンジンだという議論が意味のないものになるかもしれません。(っていうか、それしか有効な解決方法がないような気がする。)