サンフランシスコの自動タクシー解禁と日本のデジタル化

サンフランシスコの無人自動タクシー解禁のニュースを見て思うのは、日本が世界に遅れているのはデジタル化だけではないということです。

アメリカでレンタカーなどを運転した経験がある人なら分かると思いますが、アメリカで運転するのは日本で運転するのに比べて数倍楽です。

もちろんニューヨークやボストンあたりの大都会になると、日本の地方都市と同じぐらい運転技術が必要になります。

それでも日本の複雑な信号、細い路地、無茶な運転をするタクシーなどが、いかに運転を難しいものにしているかを思い知る経験をした人は多いのではないでしょうか?

今、日本の国を上げてデジタル化を推進していて、その筆頭としてマイナカードが脚光を浴びていますが、期待通りに進まず先行きに不安が持たれています。

その原因は、システム構築自体に問題があるのはもちろんですが、日本の戸籍制度、膨大な漢字の数、読み方の分からない名前、統一されていない健康保険制度、整理整頓されていない住居表示などなど。

これらのとてもデジタル化をするに相応しくない、カオス状態の混沌雑多な情報を、そう簡単に0と1のデジタル化ができる訳ありません。

マイナカードを導入する前に、漢字の整理、漢字の読み方のルール化、住居表示の全国統一、戸籍情報の整頓、健康保険情報の全国統一化をまず成し遂げてから、やっとマイナカードの話が始まるのです。

「砂上の楼閣」

デジタル化を行う前に、まず元のデータを正確なものに整える必要があります。

同じことが自動車の自動運転にも言えます。

非合理的な交通法規、未熟な運転者、消えかかった中央線や崩れた交通標識、自転車やキックボードが同じ道路上に溢れ、たまには無法者が我がもの顔に信号無視をする。

信号が青なのに、横断歩道の歩行者のために止まらなければならないなんて、何のための信号なのでしょうか?

人げが道を歩くのさえ危険が溢れ不自由なのに、自動運転なんてできるわけがありません。

日本は経済の話だけに限って失われた30年と言っていますが、失われたのは経済だけでなく、あらゆる分野で近代化が遅れていた事に気付かなければなりません。

おそらく、アメリカでの自動運転を見た政治家は、日本でも自動運転を認可さえすれば同様なものはすぐ実現できると考えるでしょうが、自動運転化の前に立ち遅れた道路事情や交通法規を世界レベルまで引き上げる必要があります。

どうも日本の政治家は、疎いからか技術(テクノロジー)があれば何でも解決できると考えますが、まず技術を活かすには社会インフラが一定のレベルにあることが重要です。

マイナカードと同じように、日本で運転の自動化を強引に推進して「動かないコンピューター」の如く、「動かない自動運転自動車」で道路が埋め尽くされないことを願います。

EV(電気自動車)の火災

オランダの公海上で自動車運搬船が火災を起こしたというニュース。

少し前には千葉県で輸入車のディーラーでEVが数台焼失したというニュースもありましたから、電気自動車の安全性について不安に思う人も多いのではないでしょうか?

アウディはこれまでも数回のEV車の火災対策を施していて、これでもか、これでもかと対策を講じてきたのですが、それでもまだ火災を起こす危険性が残されているのでしょう。

思い出してみれば、リチウムイオン電池が普及し始めた90年代に、数多くの携帯電話やMP3プレーヤーなどが火を噴く事故が相次いだことがありましたが、EV車になって電池の規模が大きくなったために、甚大な被害が発生するようになってきました。

電動アシスト自転車でさえ燃えさかると手を付けられなくなり、しかも水をかけて温度を下げる消火方法が有効でないため、燃え尽きるまで手の施しようがないということを、改めて気付かされました。

住宅の駐車場に停めたEV車が燃えだすと、すぐ横にある建物にも火が燃え移って、自動車と住宅を一気に失ってしまうという事態も想定されますから、EV車に対する火災保険を通常の自動車保険とは別に掛ける必要があるでしょう。

それでなくてもリチウムイオン電池の廃棄方法には問題があり、自治体なども回収をしないために、中国製などの安価なバッテリーを購入したがために、家庭にいつ破裂するかわからないリチウムイオン電池を多数抱えている人も多いのではないでしょうか?

そのうち古くなったリチウムイオン電池からの出火が原因で、日本のあちこちで住宅の火災が頻発するようになるかも知れません。

早く安全なリチウムイオン電池の廃棄方法を確立して、片っ端から古くなった電池を処分していかなければならない時期が来ているのではないでしょうか?