25人のAIが一緒に暮らす?

スタンフォード大学とGoogleが共同研究で、AIを25セット用意して同じ環境で生活をさせたら、それぞれの人格が形成された如くコミュニティができて、バレンタインの催しを企画するなどの自然発生的な(プログラムされていない)行動が現われたそうな。

最近のAIは、少なくとも小学生低学年ぐらいの人間性を再現できているように思えるので、集会をしたりパーテイを開催したりぐらいはできるだろうとは思いましたが、完全に社会生活に近い形態が再現できたというのは恐ろしいことのように思います。

もちろん、それぞれのAIにキャラクターを持たせるために、個人的な趣向や行動の傾向を属性として与えているので、それぞれのAIがそれらしい方向性に進んでいくことは予想できるのでしょう。

しかし、これまでコンピューターはプログラムで与えられた動作しかしないものでしたから、プログラムの自動生成、つまり行動を自ら開発していくことができるという進歩は、AIがプログラムされなくても自ずから進化していけることを証明したと言えるでしょう。

これだけでも十分将来が心配になりますが、たいていこのような研究では、人間をシミュレートしようとして、人間に備わっている制約や限界を教え込ませて、できるだけ人間のような振る舞いを再現しようとします。

一方で、人間を遥かに凌駕する知能を開発しようとする研究者もいるでしょうから、人間の能力を超えるばかりか、人間の想像力までも超えてしまうような知能が開発されてしまう可能性も否定できません。

ChatGPTではインターネットから学習しているということですから、既存の知識や技術を吸収するに留まっているのですが、人格や知能が新たに形成されるとなると、その結果人類の味方になるとは限らず、まさにSF映画に出てきたような問題を引き起こす可能性が高いのではないかと思います。

これはもう宇宙人と同じです。

かつて、鉄腕アトムでも、人間社会とロボットの社会のいがみ合いがテーマになったことがありました。

人類が作ったものは人類が管理できるとは限りません。

これは原子力以上に人類の滅亡に関わる科学が、誕生してしまったのかも知れません。

AIと老人

昔(と言っても40年ほど前)、時のミノルたカメラがオートフォーカスを発表したとき、写真を趣味にしていた老人たちが歓喜の声を挙げました。

「これでピントが合わせられる!」

当時の一眼レフは、ピントを合わせるためにマイクロプリズムやスプリットイメージの像を、目を凝らしながら見て調整する必要がありました。

またライカのような2重像合致式のレンジファインダーカメラでも、うっすら見える像を一致させる必要があり、視力が弱った人には苦痛な作業だったのです。

それまでにも自動焦点はコンパクトカメラで実現していましたが、本格的な一眼レフでオートフォーカスが開発されたことは、写真が趣味の人だけでなくベテラン(年配)プロカメラマンにとっても画期的だったのです。

さて、昨今の年金問題の解決方法の一つとして、「定年を過ぎてもできるだけ長く働こう」ということが推奨されていますが、その年金財源枯渇対策のやり方の是非はともかく、年ととっても働ける仕事が本当にあるのかという問題があります。

仕事というからには世間(社会)の役に立つことでなければなりませんが、頭がボヤボヤした老人に人のためになる仕事ができるのかという根本的な疑問があります。

だからこれまでは定年制度があって、「それ以上働いても社会の害になるよ」という年齢制限があったわけで、どこそこで見る老害を防ぐためにも必要だったわけです。

しかし、ここに来て年金制度が破綻しかかっているために、老人がボケている場合ではなくしっかりしなければならない自体になってきているのですが、好んでボケになったのではありませんから、何らかの科学技術によってこれをサポートする必要があるわけです。

そこでAIの登場です。

人類が昔の人のような体力を持たなくてもやっていけるのは、蒸気機関から始まる人口動力のおかげです。

ですから同様に、あらゆる頭が弱くなった人や元より弱い人の助けにAIがなるのです。

そう考えると、AIによって職を奪われることを心配するより、AIによって職を得られる人も多いことを機会の創出と考え、新しい社会体制を考えるべき時期が来たと考えるべきだと思います。

年金問題は、若い人の働く意欲にも影響していると聞きます。

AIによる老人の就業拡大は、あらゆる世代の意識を変えるかも知れません。