エビデンスとポシビリティ

よく医学の分野でエビデンスがあるとかないとかが話題になることがあります。

たくさんのサンプルの結果を集めて、統計的に処理を行って科学的根拠があると判断するわけです。

しかし一方、昔から「可能性が否定できない」という曖昧な表現も使われ続けています。

で、大概はエビデンスがあると言われればそちらを信用したくなるわけですが、ではエビデンスがあるしっかりした根拠があるものと、可能性があるという根拠のないもののどちらが信用できるでしょうか?

そもそも、誰もが認めることなら議論するまでもなく自明ですから、エビデンスが必要になる時点で確実な結論などないことが分かります。すなわち可能性の範疇の話になってしまうわけです。

例えばある薬品の効用が、研究によって90%の人に効果が立証されたとしても、その薬を飲む本人が90%に該当するのか10%に該当するのかはやってみないと判らないわけで、結果として効かなかったとしたら「私は10%の方だったんだ!」と納得するしかありません。

結果が不成功だった後は、エビデンスがあろうがなかろうが自分の結果が全てであり、予想がいかに高い確率をエビデンスが証明していても、結果を覆すことはできません。

ですからエビデンスは学術的に可能性を保障するだけで、判断する上での参考にはなっても実施した結果にはなんの効力もないのです。

このことは当たり前ではありますが、エビデンスは研究としての単なる作法の一つに過ぎないということになります。

学術論文なら作法として必要だとしても、日常の業務や生活で「エビデンスがないからだ駄目だ!」などという輩には、まず「エビデンスがあっても可能性は変わらない。まずやってから結果で判断しよう!」と言いたいものです。

シマウシとボーダー柄

うーん、面白い!

ウシの体をシマシマに塗ったら、アブにさされにくくなるとのこと。これから牧場のウシはシマウシが増えてくることでしょう。

アブは夏の初めに山に登るとよく刺されることがあり、蚊と違って痒みが長引くことが多いです。

巨体のウシでさえもアブに刺されるのは気になるようで、ウシが尻尾を振っているのはアブを追い払うためらしいですから、ウシの皮の上からでも刺されたら結構痒いのでしょうか?

シマウマは吸血虫に刺されにくいという研究が海外で発表されたのを受けて、ウシでもやってみたらかなり効果があったらしいです。

しかも、塗料でシマにすると持ちが悪いので脱色に切り替えたら、白くなるどころか金色に輝く縞模様になったらしいです。

まさに放牧牛のファッション化の始まりと言えるでしょう。

しかし、不思議なのが、人間はボーダー柄を着ると蚊に刺されやすいと言われています。

どちらも縞模様であることに変わりがないのですが、蚊とアブでは模様に対する嗜好が異なるのでしょうか?

ひょっとして、シマウマの模様は縦縞で、ボーダー柄は横縞であることが影響しているのでしょうか?

ウシで色々実験するのは大変ですから、ぜひ人の服の模様を縦縞と横縞で蚊に吸われやすい向きを研究して欲しいところです。(それよりも着痩せするかどうかのほうが重要か?)

子どもの低ナトリウム血症

学校に持参する水筒に「水」以外の物を持参することを禁止しているのは、熱中症対策の専門家から問題であるという指摘があるそうです。

以前からスポーツの現場、特に夏場は水分補給と同時にナトリウムやカリウムなどのミネラル成分も補給しなければ、低ナトリウム血症になる可能性があると指摘されてきました。

夏場のテニスの試合の中継を見ていると、2種類のボトルから交互に水分を補給する選手を見ることがありますが、おそらく純粋な水と、それに加えて取得するスポーツドリンクのような飲料を飲んでいるのでしょう。

最初からスポートドリンクだけを飲むと余計に喉が渇いたり、スポーツドリンクの種類によっては人工甘味料が添加されていて、カロリー消費に支障をきたすことがあります。

水分と糖分を取得しなければならない状況で、ノンシュガーのスポーツ飲料を飲んでひどい目に遭ったことがありました。

小学校に持参する水筒にスポーツ飲料を許可すると、その他のすべての飲料を許すことになるため、水限定にしている学校が多いそうですが、これだけ熱中症の危険性が高いご時世ですから、もう少し融通をきかせる必要があるでしょう。

私が小学生だった頃は、体操が終わったら校庭の水飲み場に直行して、水道の水を直接ガブ飲みしていたものです。

水道の水ガブのみが許された時代ならともかく、今の時代にあっては低ナトリウム血症というものが認識されているのですから、それを防ぐ対策を施さないことは子どもを管理する体制として問題があると言えましょう。

誰もがスッキリ納得できる解決策を考えてもらいたいものです。

しかし、昨今の暑さは尋常ではありませんな!

新型コロナとBCG

新型コロナが流行し始めた頃、日本と韓国で異常に感染者が少なく、両国で定期的に接種していたBCGが効いているのではないかという説がありました。

その後、たくさんの研究者の方が実証実験に取り組んでいて、最近になってその結果が発表され始めているそうです。

同様の研究の中で比較的信頼性が高い実権によって得られた結果に、「BCG接種によって新型コロナの発症が抑えられる」という結論に至らなかったものがあったそうです。

幼少期に接種している日本の場合に比べて、実験では接種してから間が経たないため、免疫の付き方に差があるかも知れませんが、BCG接種による優位な差がでなかったという結論だったそうです。

一方、同じ時期に発表された別の論文では、20%の人に対してBCGが有効だったという結論だったようで、これからまだまだ議論の余地がありそうです。

同じ薬でも人によって効果が違うことはよくありますが、それがその人の生体的な理由があるのか、投与方法や時間によって差が出るのかさえ分からないことはよくあります。

また、現在では新型コロナワクチンが多数開発されていますから、BCGを代用に使う必然性がなくなっているのも、この研究に対する興味が世界的に薄れているのも確かです。

新型コロナとBCGに関連がないことが事実なら、それが病理学的にヒントとなることもあるでしょう。

今後も同様なウィルスの驚異がやってくることがあるでしょうから、これらの実験の積み重ねによって、次の備えの一部になることを期待したいところです。

25人のAIが一緒に暮らす?

スタンフォード大学とGoogleが共同研究で、AIを25セット用意して同じ環境で生活をさせたら、それぞれの人格が形成された如くコミュニティができて、バレンタインの催しを企画するなどの自然発生的な(プログラムされていない)行動が現われたそうな。

最近のAIは、少なくとも小学生低学年ぐらいの人間性を再現できているように思えるので、集会をしたりパーテイを開催したりぐらいはできるだろうとは思いましたが、完全に社会生活に近い形態が再現できたというのは恐ろしいことのように思います。

もちろん、それぞれのAIにキャラクターを持たせるために、個人的な趣向や行動の傾向を属性として与えているので、それぞれのAIがそれらしい方向性に進んでいくことは予想できるのでしょう。

しかし、これまでコンピューターはプログラムで与えられた動作しかしないものでしたから、プログラムの自動生成、つまり行動を自ら開発していくことができるという進歩は、AIがプログラムされなくても自ずから進化していけることを証明したと言えるでしょう。

これだけでも十分将来が心配になりますが、たいていこのような研究では、人間をシミュレートしようとして、人間に備わっている制約や限界を教え込ませて、できるだけ人間のような振る舞いを再現しようとします。

一方で、人間を遥かに凌駕する知能を開発しようとする研究者もいるでしょうから、人間の能力を超えるばかりか、人間の想像力までも超えてしまうような知能が開発されてしまう可能性も否定できません。

ChatGPTではインターネットから学習しているということですから、既存の知識や技術を吸収するに留まっているのですが、人格や知能が新たに形成されるとなると、その結果人類の味方になるとは限らず、まさにSF映画に出てきたような問題を引き起こす可能性が高いのではないかと思います。

これはもう宇宙人と同じです。

かつて、鉄腕アトムでも、人間社会とロボットの社会のいがみ合いがテーマになったことがありました。

人類が作ったものは人類が管理できるとは限りません。

これは原子力以上に人類の滅亡に関わる科学が、誕生してしまったのかも知れません。