年金の3割減額の意味すること

年金の支給が、将来は3割減額されるという試算が出たというお話。

そもそも老後の生活を支えるお金のことを、「年金」と命名したのが間違いというか分かりにくい。社会保障の方がまだ直感的ではないですが、分かりやすいかもしれません。

若い人なら、いや50歳以下ぐらいの人なら、「年金って何もしなくてももらえて、孫にランドセル買って上げるやつでしょう」ぐらいの認識しかない人が多いかもしれません。

年金は老後の最低の生活費です。働けなくなった後の生活費になります。

もちろんこれに頼らず、貯金がウハウハある人は別で、相続税の心配をしていればよいでしょう。

「年金に期待するより、体が動くうちは働いて稼ぎなさい」というのが、今の政府の方針です。

しかし、政府の思惑に反して、「いつから年金をもらうのが得ですか?」という質問に応えるために、巷のフィナンシャルプランナーや社労士が色々計算するわけです。

最近の結論は、「概ね年金受取開始から12年後まで生きられたら、それ以降は得になりますよ」ということらしい。

だけど政府は年金の支払いを減らしたいから、年金をもらわずにもっと働けと言っているのであって、それに反して国民側は受け取る年金額を最大にしようと計算しているのは大誤算。

政府は、年金の受け取り時期を遅らせる繰り下げによって、受け取れるようになたら年金額を上乗せしますよと甘い誘いをしたつもりが、国民はその手には乗るまいと損得で支給時期を決めようとしています。

老後もできるだけ仕事を続けることは、仕事を持つことに意味や、社会的な責任を果たす等、お金の損得だけではない人生の生き方から話をするべきでしょう。

年金の額が少しぐらい増えたり減ったりすることよりも、老後の人生をもっと輝けるものにするための施策、老人に働きやすい環境、これまでの経験が生かせる職場の開拓など、やることはいっぱいあると思います。

年金制度を生きながらえさせるための小手先の対策ではなく、老後の日本人の生き方の指標となる制度づくりが、今望まれているのではないでしょうか?

「トナラー」と「ツメズン」

最近よく耳にするのが「トナラー」。

すいている電車の座席で、他にいっぱい空いている席があっても、わざわざ座っている人の隣に座る迷惑な人のことです。

車の場合は、すいている駐車場で停まっている車の隣にへばりつくように停める人のことを言います。

以前からよく見かけましたが、最近はソーシャルディスタンスがときに気になりますから、話題になることが多くなったのでしょう。

昔田舎の工場に通っていたときに、人気のない電車のホームで、わざわざ人にぶつかりそうなぐらい近いところを歩く人によく出くわしたので、トナラーは人恋しい人がやる行為だと思っていました。

聞くところによると、座席の場合はいつも座る位置、お気に入りの座席やそれに近いところに座りたい人がトナラーをやっているらしい。

人との距離が近づく嫌さ加減より、同じ場所に座りたいという程こだわりがあるのなら、勝手にしてもらえばいいのですが、隣に座られた人にとったら迷惑なのは確か。嫌なら自分で席を替わるしかないのでしょうか。

まあ、かのケネディ大統領も、ボストンのお気に入りのシーフードレストランでは、いつも決まった席に座っていたといいますから、大物ならではのこだわりか?

通常すいているときに発生するのがトナラーですが、少し混んでくるとほっといても隣に人が座るので、トナラーは影を潜めます。

代わって登場するのが「ツメズン」。

今作った造語です。「詰めず」に「ポイズン」や「プリズン」のように避けたくなる雰囲気を漂わせる「ン」を付けてみました。

混んでいる電車に乗ると、「とびら付近で立ち止まらずに奥にお進みください」とアナウンスされますが、なかなか一番奥から詰める人は少ない。

もちろんすぐに下車するとか、ここのつり革がお気に入りだという人もいるでしょうが、もっと奥に詰めれば、楽に乗車できて電車が遅れ気味になることもないのにと思うことがしばしばです。

まあ、将棋の棋士ならば、縁起を担いで詰めたくないのは分かりますが、一般人はとりあえず詰めて乗ったほうが全体的には快適な乗車時間が過ごせるわけです。

でも、すぐ下車するのなら、また降りるときに人をかき分けなければならないのは確か。宅急便のトラックの荷物のように、行先によって奥や手前に乗れるようになればいいのでしょうか?

それより、在宅勤務を定着させて朝夕のラッシュをなくせよ!

でも電車がすいてしまうとトナラーの恐怖が!

どっちもどっちか、、、

ランドセル

そろそろ来年春の新入生のランドセル商戦が始まったらしいです。

アウトドアで人気であるばかりか、いろいろ話題を振りまくモンベルからも通学用のバックパックを売り出すと言います。

革製のランドセルの中心価格帯は5万円ということですが、高いばかりで重たく機能的でないランドセルが今だに日本標準となっているのは、日本ふしぎ話の一つでしょう。

結構部品が多いので中途半端に壊れたりして、耐久性があるようでない。また小学1年と6年では体型が大きく変わり、成長に合わせてエクスパンドするのでもなければ、耐久性があって6年間使い続けられたとしても苦痛のような気がします。

A4がすっぽり入るというランドセルの宣伝文句にも、子供は手が小さいのだから、B5版の教科書にすればいいのにと思ってしまいます。

その他にも教科書を学期ごとの分冊にするとか、家庭学習用にもう一冊教科書を買うだとか、ICT化して教科書もノートも筆箱もなくしてしまうとか、やれることはいっぱいあるのですから、ランドセルの色を選ぶのを喜んでいる場合ではなりません。

ランドセルが必要なくなったときが、初めて教育改革が進んだときだと考えています。

ランドセル商戦が話題になっているうちは、まだまだ旧態依然とした教育が行われている証なのです。

ポンコツになる日本

80年代のアメリカはポンコツでした。

ボディーがサビて穴だらけの車が走り、燃え尽きた車がハイウェイに放置され、店やホテルがどんどん閉店しては、また代わり映えにしないものに置き換わり、エレーベータは故障したままで、ゴミが舞う。だけど掃除中のトイレには必ず”Wet Flooor”の注意書きが。

人々は安いものには群がって、少しでも安いものと言いながら生活に必要がないものまで買ってしまい、数年後にはガレージセール。

今は代わりに日本がポンコツになってしまいました。

もちろん時代が違いますから、日本で安物買いをした人はガレージセールではなくメルカリで売るのかもしれません。

アメリカは、政治力で当時経済的に圧倒していた日本を封じ込めることに成功しましたが、今の日本の政治力が海外に影響を及ぼすとは考えられません。

円の対米ドル相場で安くなっていることは、輸出産業が優勢だったときならば良いニュースだったでしょうが、海外生産が増えていたり、そもそも日本製品の競争力がなくなっている今では、単に国力が衰えていることの証でしかありません。

そろそろ今の日本の現状が危険だという意見が増えてきています。そろそろ政治、財界、国民一体となって、打開する方法を一緒に考えていく時期ではないでしょうか?

ブラウンシェーバーのトリック

今日久しぶりにブラウンシェーバーのCMを見て、30年ぐらい前に頻繁に放映されていたブラウンのCMを思い出してしまった。

「ブラウン モーニング レポート!」

まだ多くの方が覚えておられるのではないかと思います。

朝ビジネス街に現れるモーニングレポートのスタッフが、通りがかりのサラリーマンにブラウンの髭剃りを渡して、今ここで剃ってもらえませんかというやつです。

案の定剃ったあとで結構な削りかずが出て、「さっき剃ったばかりなのになぁ」というお決まりのセリフが体験者から発せられるという、「遠山の金さん」とほぼ同じの門切りセリフで終わるCMをです。

当時のサラリーマンなら誰もが、「もし出くわしたらどうしよう?」とシミュレーションをしていたことでしょう。

当時の同僚でブラウンの最新型のシェーバーを持っているやつがいて、もし自分がモーニングレポートに引っかかったら、試し刷りした後、「おかしいなぁ、ブラウンの最新型で剃ったばかりなのになぁ」と言ってやると豪語していたのでした。

もちろんそんなに簡単に街を歩いていて声をかけられるはずもなく、

そもそもヒゲというのは、一日中同じペースで伸びるわけではなく、午前中10時ぐらいまでが一番伸びるそう。(NHKの「4つの目」でやっていました。)

だから朝一に家で剃っても、通勤で電車に乗ってから都会を歩いているときに声をかけられたら、そこそこ伸びるものだということ。

そこをうまく突いて、「深剃りのブラウン」をアピールするところは、さすがにドイツ製は優秀と納得。

しかし、ブラウンのホィールシェーバーの特許が切れた後、すぐに真似するパナソニックの方が上を行くか?