ChatGPTの可能性

最近色々なところでChatGPTが話題になっています。

まずは、その論理的な回答の優秀さが注目されていて、確かにサンプルの文章を見ていると、要領を得ない人の話よりよほどまともな感じがします。

もう一つ注目されているのは、ChatGPTの登場で慌てていると言われるGoogleの今後の対応です。

AIを利用したコンピューターサービスは、今後Googleが力を入れていく分野なのでしょう。そこに突如として対抗馬が現れたのですから、悠長に構えているわけにも行かないのでしょう。

しかも、MicrosoftがChatGPTに肩入れしていて、次世代の検索エンジンに採用するということですから、Googleの屋台骨を揺さぶる可能性もあります。(インターネットの情報を牛耳るのは俺だ!)

AppleのSiriも登場のとこは大きな驚きでしたが、くだらない質問に対する適当な答えを聞き飽きてしまった感があります。ChatGPTが同じ運命にならなければよいのですが。

ところで、ChatGPTはインターネットの情報から、質問に応じた情報だけを整理して提供してくれるということですから、ある意味ではインターネットのまとめサイト的なものをAIで実現したと言えるかも知れません。

私たちがググると言いながら、Google検索を駆使してインターネットサイトを探しているのは、そのサイトを見たいからではなく必要な情報を得たいからです。

ですからAIを使った検索で事足りれば、サイト自体を見ることもなくなるでしょう。私のようにサイト上に一生懸命文字をアップロードしているのが虚しくなります。

もうインターネットサイトはなくなり、情報をインターネットに吸い上げるような、AI版情報アップローダーみたいなサービスが登場するのも近いでしょう。

確かにプログラムのコーディングで分からないことは、ほぼ間違いなくググれば回答が得られますから、コーディングをAIがやってしまうのはそれほど難しくないと思います。プログラムの仕様も、ChatGPTとの会話だけで作れそうです。

まだChatGPTには論理的に破綻することが時々あるそうですが、人間でもいい加減な理屈を述べ立てているように見えて、中身が伴わない会話をしている人も多いですから(それは私!)、それはそのうち改善していくことでしょう。

人が言ったことに指摘したら喧嘩になる可能性がありますが、ChatGPTに対して間違いを指摘したらどうなるのでしょうか?

ChatGPTの例を見ていると、個々の質問に以前の回答は反映していない様子です。インターネット検索も個々の検索は独立していて、過去の検索結果を利用したり反映した検索はできませんから、ChatGPTに間違いを指摘しても、それはそれで別の質問として処理されるだけのような気がします。

世間に一通り広まるまではChatGPTのブームが続くでしょうが、その後インターネットが大きく変わってしまう予感がします。

ブログも企業サイトも食べログもSNSも、何もかもまとめてAIが検索して整理した結果だけを文章か音声で受け取るようになれば、たしかにSFで見たような世界です。

そのうち人間は、AIがばらまく情報の餌をむさぼり食うような餓鬼になってしまうのでしょうか?

自転車通勤の限界

新型コロナ禍に伴い、人との距離が密になる電車を避けて自転車を通勤に使う人が増えたのですが、新型コロナの収束の気配が感じられる今、自転車通勤に限界を感じる人が増えているそうです。

体力的な限界を感じた人は当然いるでしょうが、それ以上に交通環境が良くないために危険な目にあったり、思った以上に時間がかかったり、あるいはあまりダイエット効果がなかったりと、自転車通勤が期待外れに終わったということが多いらしいです。

自転車がブームになってから、部品の供給不足や世界的な流通問題で自転車価格が高騰していましたが、ブームが収まると今度は自転車の供給過多が起こり始めて、欧米では値崩れが始まっているそうです。

地球温暖化対策としても、自動車やバスの代わりに自転車が推奨されていましたが、道路や駐輪場のインフラはそう簡単に整備することはできませんから、当初はメリットが強調されていても、次第に自転車通勤の欠点が目立つようになってきたのでしょう。

ただ、新型コロナ禍を機会に電動アシスト自転車のバリエーションが増えてきましたし、コミュートだけではなくレジャーやスポーツとしての自転車の裾野が増えてきたことは、今後も継続的に自転車を楽しむ人が増える可能性があり、健康促進やCO2排出の効果が期待できるのではないかと思います。

個人的には、世界的に自転車がだぶついて価格が安くなってくれれば、その機会に自転車を買い替えようと狙っております。(まあ、私が狙う価格まで下がってくれる可能性はかなり低そうですが、、、)

軽自動車に軽油は如何なものか

最近やたらと目にするニュースに、軽自動車に軽油を入れてしまってトラブルになっているというもののがあります。

以前よりセルフ給油が増えたために、問題視するほどの件数が発生するようになったのでしょう。

まあ軽自動車に軽油は語呂は良いので、あまり考えない(何も考えない)人なら思わず手を出してしまうのでしょう。それに値段も安いし。(スーパーで隣の安い方を選んでしまうノリで、、、)

少なくともセルフ給油が普及する前はほぼ聞いたことがないトラブルです。

セルフ給油で年に数回しかガソリンを入れない一般人では、それほどシリアスに考えないのかも知れません。

給油口に「間違えるな!危険!」ぐらいの表示があっても良いように思います。

1980年代頃まではガソリンに有鉛と無鉛の区別があって、間違えて入れてしまうと排ガス処理をする触媒がだめになってしまって、修理代が高く付くことがありました。

当時はセルフ給油はありませんから、ガソリンスタンドの店員に間違えずに有鉛か無鉛かを申告すればよいのですが、それでも間違えられてしまってしばらく走っていると、急に赤いランプが点灯してストップする事もあったようです。

海外でセルフ給油が普及した後も、日本人が慎重なのか自らの愚かさを察してか分かりませんが、かなり長い間セルフ給油は解禁されませんでした。

確かにいまだに軽自動車に軽油などというトラブルが発生する様子を見ると、日本人にはセルフ給油は難しいのかと思ってしまいます。

もちろんほとんどの人は間違えることなく給油しておられるのでしょうが、ほんの一部の人が些細な不注意で間違えてしまうと、社会問題として解決しなければならなくなるのです。

皆さん、どっちか分からなければ聞くか、給油を諦めるか、給油を間違えると自分も家族も回りの人も命取りになります。

引火性の危険物を扱っているという自覚を持って、給油には十分注意していただきたいと思います。

雇い止めと定年制

任期付き研究者の雇い止めが問題になっています。

勤続10年を超える場合に、無期契約に転換しなければならないというルールは、いつまでも任期付きで不安定な勤務形態を続けることを是正して、安定した就業形態に近づけることが趣旨のはずでした。

しかし、実際は全く逆のことが起こっていて、安定どころか無になってしまうことが、多くの研究機関で起こっています。

このような自体が起こり始めたらすぐに制度を見直すべきなのに、放置したまま今更技術力が低下していることを嘆いても自業自得と言わざるを得ません。

日本は思った通りに行かない施策(つまり失敗施策)をやってしまった時に、失敗を認めようとしないためにほとぼりが冷めるまで放置することがよくあります。

その結果、手遅れになってから手当をしようとして、無駄な施策に税金を費やすことの繰り返しです。

当の失敗施策を考案した担当者は、その責任を取らずに知らぬ間に昇進している始末です。

研究費が捻出できないと言いながら、相変わらず無駄な税金は一向に減る様子もありません。

かと思えば、無期契約に移行したとしても、定年前に希望退職を募られるかも知れませんから安心はできません。希望と言っても本人の意志はほぼ無視されますから、雇い止めとほぼ変わりません。

一体何を信じて働いていけばよいのか、全くわからない時代になってしまいました。

技術力の低下も、国民の生活の質の低下も、すべてお金がないためならお金を稼がないといけない。しかし、稼ぐ力がもう残っていないのなら、無駄な経費を削減するのが当然でしょう。

しかし、無駄な経費はそのまま放置されて使うべき経費を削減する、政治家の営みはいつになっても前時代的です。

マスク着用緩和について

3月13日からマスク着用のルールを緩和するというニュース。

マスク着用緩和と言いながら、場合によっては推奨するという曖昧さが如何にも日本的ですが、またどこそこでひと悶着が起きそうな気配です。

電車内や人混みではなどという条件付きは日本人が最も苦手とするところで、人混みなどというアナログな判断基準は人によってまちまちでありながら、その判断を絶対に判断を譲らない人が多いのです。

また「卒業式や入学式はマスクを外したい気持ちが分からないではない」などと、気持ちで判断する当たりがまたもや日本的情緒に溢れています。

医学的、科学的に何が良くて何が悪いかを示し、そうすることによってどのような社会的弊害が生じるかを、シミュレーション結果を元に国民に説明して納得させるべきではないでしょうか?

非科学的、非論理的思考の日本の政治に国民も毒されています。

新型コロナは得体の知れない対象でしたが、マスクや消毒に励んだおかげでインフルエンザの流行が収まったということは、これまでは電車やオフィスや飲食店で(狭い空間の電車が一番危ないと思いますが)、互いに飛び散った唾液や飛沫の交換をしあっていたというのは事実なのでしょう。

もちろんマスクもよく見積もって50%とか80%とかの防御率でしょうが、ウィルスや細菌のたぐいは発病に至るための必要数以下ならば発症しないらしいので、減少させることができることができることに越したことはありません。

私は電車でマスクを続けます。少なくともだれから飛ばした漂う飛沫を吸い込むことを、50%でも80%でも減少させることができるなら、多少の息苦しさは我慢しましょう。

まあだいたい予想できるのは、マスク着用が緩和されて真っ先に外すのは、電車の中で平気でくしゃみをするような撒き散らす側の人のような気がします。

もうしばらくは、マスクを抑えて耐え忍ばなければならないようです。