ぼったくりロードサービス

毎日新聞インターネット版に、ロードサービスでぼったくりに遭う被害が増えているというニュースが掲載されています。

路上で車のトラブルがあったときに、インターネットで調べて業者に連絡すると、インターネットの広告で表示された金額よりはるかに高い金額を請求されるそうです。

路上で車が止まってしまったという緊急事態で冷静な判断ができない状態で、とっさに業者と対等に交渉できる人は少ないかも知れません。

また普段から車の整備に詳しくて相場を知っているドライバーばかりではありませんから、現場で金額の妥当性が分からないのもうなずけます。

後から保険会社に請求して、初めてぼったくられたのに気づく人が多いようですが、金額が保険会社が負担する限度額に近いそうですから、どちらかというと保険金詐欺に近いかも知れません。

自動車保険会社によっては指定の業者のネットワークがあって、比較的安心して(保険会社的に)依頼できる場合もありますが、人が困難な状況に遭っているときにつけ込む手口がいまだに健在であることに、まだまだ日本の社会が熟成していないことを感じます。

取り締まるのも難しいですし、どこまでが正規料金でどこからが違法なのかも判断が難しいところです。

走行中に車が故障することに慣れていないドライバーは、業者の思うがままになってしまいます。

とりあえず普段から整備を怠らず、連休などに遠出をするときは事前に点検をしておくしかなさそうです。

あと必要なのは、その不運でさえも旅の思い出と思える余裕でしょうか?

「かわいい」より「カッコいい」

最近、女性でも男性カット専門の美容院が人気だというニュース。

昔から男性は理容店で散髪をして、女性は美容院でカットするというのが定番でしたが、最近はそれらの垣根がなくなって、お互いが好きなタイプのカット・散髪をする傾向があるらしいです。

カット方法について詳しことは分かりませんが、男性と同じように女性が社会で活躍するようになると、昔のようなフェミニンな丸っこい髪型ではなく、鋭いカットを特徴とするメンズカットを好む女性が増えてきたそうです。

男性に好まれる可愛さより、男性・女性に関わらずの好まれるカッコよさを求める様になってきたそうです。

昔はお姫様カットのようなスタイルに一定の人気がありましたが、男性も女性も仕事や立場に合わせてそれなりのスタイルが必要になっているということでしょう。

小さな子供が、それまで「かわいいね」と言われ続けていたのが、ある歳になると「カッコいい」と言われたくなるのと同じでしょうか?

「かわいい」は大人が子供に使う言葉で下に見られている感じがありますが、「カッコいい」は対等に見られていると言うことでしょうか?

テレビドラマでも、昔のようにきれいなだけの女優さんより、男勝りの切れる女優さんの方がウケが良いようですから、社会で認められる女性像というのが変化しているようです。

まだ女性専用や男性専用と思われるファションブランドが多いですが、だんだんそれらの区別がなくなって、どちらの性もOKというブランドが増えて来ることでしょう。

昔のように男臭さ、女性らしさを全面に出したブランドは時代遅れになり、性を意識しないファッションになっていくのでしょうか?

年金の損得

「年金をもらい始める年齢は何歳が得か?」という話題が、相変わらずニュースとして展開されています。

年金は保険だから損得で考えるのはおかしいという説もありますが、世間では何となく公的年金は取られ損という説がまかり通っているせいか、年金加入で損をしないように指南する記事が目立ちます。

自動車保険や健康保険では、損得勘定を話題にすることはあまりありません。支払った以上に払い戻されないとしても、いざという時のための補償を得るためと割り切っているからでしょう。

それが保険というものです。

しかし年金となると、いくら表面的に年金保険と名乗っていても保険としての価値は求められず、若い頃から積み立てた以上に払い戻されることを期待する人がほとんどです。

これはひとえに、年金制度が若い人が払ったお金が年寄りの年金支出に使われるということが知れ渡ってしまったために、如何に損をしないようにするかに注力するようになったのが原因でしょう。

例えば、企業の退職金は年金と同様に退職者に支払われるものですが、その従業員が長い間働いてきた間に蓄積された企業預金から支払われると理解されていますから、その従業員が定年時にもらって当然という認識がどの世代にもあります。

退職金の資金がどこから捻出されているかは実際は分からないのですが、このような認識のもと、退職金であまり損得の話は出てきません。

年金は、一時資金が枯渇していると言うニュースが出てきて、国民の信頼が一気に消え失せてしまったことで、損得勘定で判断するようになったのでしょう。

年金政策はおそまつすぎて今や話題にもなりませんが、今一度年金額が最低の生活を保証するものだと諦めて、その最低生活を保証するという年金額で生活できる社会を整備することに、政治の力を注ぐことが必要だと思います。

老後2000万円が必要だなどと国の責任を放棄するのではなく、戦後年金制度を信じて頑張ってきた国民に対して、国の威信をかけて年金で生活できる社会を整備するべきでしょう。

年金制度は崩壊しているとか得か損かの算段を議論する前に、国として国民を守る責任ある仕事をしていただきたいものです。

楽しむことと頑張ること

東洋経済オンラインに”「がんばる」は悪い意味、しんどいならやめたらいい みんなが「プロ意識」を持ちがちな日本人へ”という記事が掲載されています。

がんばるのは無理をしてまでやるべきことだけに限って、何でもかんでもがんばるのは悪いことだと諭しています。

達成する目的が意味があれば、それなりに成就するための努力は必要であるが、その目的は本当にがんばるに相応しいのもかと疑問を呈しています。

だいぶ前になりますがバラエティ番組でかの上岡龍太郎氏が、市民マラソンを一所懸命走っているときに沿道で一般の人が応援してくれるのはいいが、「がんばれ~」という応援だけは止めて欲しいと。

「もう十分頑張っているって!」ということらしいです。

かと言って、「無理すんなよ!」という掛け声では応援になりません。難しいです。

昔なら運動会で1等賞を取った取らないで一喜一憂していましたが、最近は順番をつけるのは教育上良くないということで、走った人全員入賞みたいな扱いになっています。

それはそれで極端かも知れません。

まあ世の中には、勝ち負けがはっきりしている方が楽しい人もいますが、勝ち負けよりその時間を楽しみたいという人もいます。

最近の野球や陸上競技の世界では、以前のようなスパルタ式のトレーニングより、個人に合わせた自由な練習の方が成果を出しているケースがあります。

個性を無視した一律的な指導は過去のものとなり、個別指導の重要性が認識されてきたということでしょう。

これは野球などの運動だけでなく、全ての学びに関して同じことが言えると思います。

リスキリングや生涯学習の重要性が叫ばれている今こそ、がんばらずに楽しめる学びやトレーニングの手法を見つけ出したいものです。

ネット情報の信頼性

読売新聞オンラインに、インターネットの情報の信頼性に関するアンケート結果が掲載されています。

情報の発信元を証明する新しい技術の必要性が問われています。

インターネット上に情報を発信した者の証明を行うことで、その情報の信憑性を図ろうというものです。情報のブランド化ともいうべきでしょうか?

インターネットには情報が溢れかえっていますから、正しい情報か誤った情報かを判断することが困難になってきているので、せめて情報の発信源が誰であるかをはっきりさせようということらしいです。

なんだかインターネットの世界はどんどん複雑になってきていますので、また新しい商売を考えついたのかと思いました。

しかし、こんなことで情報の信憑性が判断できるでしょうか?

HTTPではインチキ臭くてHTTPSなら安全と言われていましたが、最近はどんなインチキサイトでもHTTPSで配信しているそうですし、反対に信頼が置ける(はずの)某有名企業サイトがいまだにHTTPのままだったりします。

名のある新聞社や雑誌が独自のドメインを使って発信しているように見えても、実は偽サイトだったりすることがありますから、証明書によって確かに本物のサイトに接続していることを確認する必要があるのかも知れません。

しかし、新聞社が常に正しい情報を提供している稼働かも怪しいですから、偽サイトを鵜呑みにするのは問題外だとしても、あらゆる情報を自分の常識でまず判断できるようにすることが、AI時代の生き抜き方として重要になってくるでしょう。

SNSの情報が正しいかどうか見抜く自信がないという人が65%もあったそうです。嘘が氾濫するインターネットで何を信じればよいのか、分らずにさまよっている人が多いようです。

明らかに正しいか間違っているか判断ができることは、もともと自分で知っていたことですから価値がありませんが、自分で真偽が判断できない情報こそ意味あるのですから、そこが嘘であるとがっかりです。

これだけ情報が溢れていますから、1つのサイトを見てすぐに判断するのではなく、いくつかの異なる意見を眺めてから判断する必要があるでしょう。

占いを信じるかインターネットを信じるか、それはあなたの自由です!