ハラスメントは犯罪です!

近頃、世間のいろいろなところで「ナントカハラスメント」騒ぎが巻き起こっています。

いわゆる社会的あるいは物理的に閉鎖的な状況では、余程の人格者でない限りは何らかのハラスメントに及んでしまうのでしょう。

元来、権力者になる人は我儘で暴力的であることが多いです。

我儘で暴力的であるからこそ、そのような立場を手に入れることができた訳で、権力者になった途端、道理をわきまえた品行方正な人に様変わりするなんて都合の良いことは起こりません。

古今東西、歴史的な高名な人には必ずや闇の部分があったようですから、犯罪ぎりぎりの手を使って成り上がった権力者が、その後も犯罪ぎりぎりの手で権力をむさぼり食うのは当然かも知れません。

ただ、前世紀なら許されたことでも、21世紀になってついに許されなくなってきたということでしょうか。

芸能界や映画界、政治の世界はもともと人目につく活動をしていますから、どうしてもハラスメントが目立ちますし、ニュースになりやすい傾向があります。

しかし、少しでも力関係があるところでは、職場でも学校でもどこにでもハラスメントのネタがありますから、国民全員が人格者で埋め尽くされるまではハラスメントは消えることはないでしょう。

本来、人間の営みには力関係は必要なく、お互いにイーブンの立場で取引なり協力関係にあるべきです。

もし、権力者が自分の立場を利用して、自分に許された特権を使って何らかの便宜を与える代わりに、弱い立場の人に何らかの暴力(ハラスメント)を振るったとしたら、自分の立場の私的利用、つまり使い込みに他なりません。

自分の立場は業務を執行するために必要だからあるのであって、その立場の人が自分の私利私欲を満たすためにあるのではありません。

つまりハラスメントは贈収賄と同じぐらい深い罪であり、一発即退場になるべき犯罪なのです。

人間は自分の権利は必要以上に主張しますが、義務は半分ぐらいしか果たしません。

それほど哀れな動物であるからこそ、法によって正さなければならないのです。

最近電車内で「痴漢は犯罪です!」と呼びかけているように、「パワハラは犯罪です!セクハラは犯罪です!モラハラは犯罪です!カスハラは犯罪です!、、、」と叫び続けなければなりません。

最後に一言、「権力の私的利用は犯罪です!」

放送局が動画配信サイトになる?

最近はテレビを見ると言っても、放送時間にリアルタイムで放送番組を見るよりも、TVerなどで見逃し視聴をする人が増えているそうです。

以前ならビデオデッキやDVDレコーダーが時間差視聴の主役でしたが、今や完全にインタネットに取って代わられてしまいました。

つまり、90年代に予想された「放送と通信の融合」とはならずに、通信の独断場になってしまったわけです。

放送局が公共の電波の使用を優先的に認められているかどうかは、今や関係ありません。

パソコンやスマートホンで見る人にとっては、YouTuberも放送局も動画の視聴方法は同じです。後はコンテンツが面白いかどうかだけ。

ケーブルテレビが普及しだした頃、あまりにも多くのチャネルを埋めるために、ニュースや映画専門チャンネルや海外の放送局を無理やり揃えていましたが、通信が動画配信手段となった現在、インターネットに乗りさえすればいろいろなフォーマットで配信することが可能になりました。

そうなると、時間とお金を欠ける映画も同じ土俵に上がって、その次にお金をかけたテレビ局、その下にYouTubeなどのチャンネルが無数にある、動画配信ピラミッドの出来上がりです。

それぞれが広告料を狙って競争するわけですから、テレビ局も単にお金をかけるだけではダメで、それなりに優れた脚本や役者・芸人を用意しなければ、上からは映画、下からはYouTuberの突き上げがあります。

放送やテレビ局が全く特殊な特権を持たものでなく、動画配信の階層の一部を形成するに過ぎない存在になってしまいました。

まだ放送を受けるだけのテレビしか利用しない層が、ある程度残っているうちはテレビ局の存在価値は温存されますが、あと10数年後には放送局で淘汰されるものや業態を変えるものも出てくるでしょう。

何事にも最後のあがきのような技術が出てくるものです。フィルムカメラではディスクフィルムがありましたし、ビデオデッキではSVHS、DVDではブルーレイというように、大きなヒットになる前にそのものの技術が廃れていきました。

放送局も、最後に何かとっておきの技術を見せて、ひと花咲かせるでしょうか?

踏切前の窓開け?

自動車運転中踏切を渡る前に、窓を開けるように教習所で指導されているらしいというニュース。

昭和の時代にはそのような指導はなかったという記憶ですが、どうも目と耳で列車の接近を確認してから踏切を渡るためらしいです。

昭和の時代の自動車といえば、カーエアコンがそろそろ普及しだしたという頃で、カーオーディオはまだ序の口。それ故に暑ければ窓全開が当たり前です。

ですから車の内と外の区別がないぐらい一体感がありましたから、列車の接近なんて体で感じることが出来ました。

最近は、エアコン完備でカーオーディオが吠え続けていて、おまけにカーナビが合いの手を入れます。

窓を開けていなければ、車の外で何が起こっているかなんか分かりようがありません。(これは電車でイヤホンをしている人も同様!)

ですから踏切で警報機がなっているかどうかを確認するために窓を開けろということなのでしょうが、そもそもそれほど真剣に車の運転をしている人はいませんから、踏切で列車の確認をすることの意味を教えるところから始めなければなりません。

ところで、私が小学生の頃は(総和40年代)踏切ごとに踏切番の人がいる小屋があって、列車の到来を知らせるブザーにしたがって踏切棒の上げ下げをしていました。

そのような状況でしたから、踏切番の人がサボった途端衝突事故が起こりますから、踏切での一旦停止が必須でした。

今や自動的に動作する踏切がほとんどですから、信号の青で進んでも良いのと同じように、踏切が下りていなければ一旦停止しないで進んでも良さそうなものです。

米国では、踏切が閉じていなければ一時停止せずに進行してよいのですが、その代わり踏切が動作しているときは、列車は猛烈に汽笛を鳴らしながら徐行して踏切を進んでいきます。

デフォルトが車か列車かによって優先されるものが変わるようです。

日本でも踏切が列車の接近をしめす警報を鳴らしていないときは、一旦停止なしに通過できるように法律を変えてもよさそうなものですが、日本人は信号無視に近い無理に突っ込む習性があると思ってか、常に一旦停止することがルールになっています。

それどころか、窓を開けて踏切が壊れて警報がなっていなくても、列車の音を聞いて判断しましょうという念の押し方。

日本人は本当に安全志向です!(本当かいな?)

コンビニ年齢確認騒動

動画が拡散して炎上しているとのこと。炎上していたのはインターネット上というよりは、当の本人だけのようですが、、、

セブンイレブンでタバコ購入時の年齢確認で、20歳以上の確認ボタンを押すことを要求されて、どう見ても20歳に見えない年寄りなのに、杓子定規に確認ボタンを押すことを要求するとは何事だということのようです。

他の東京の繁華街のコンビニでは、同じケースの場合店員が勝手に20歳以上のボタンを押してくれていたみたいで、そのぐらい気を利かせてやるのが当然と思い込んでいて、その店員は頭を使って機転を利かせるべきだと主張しているみたいです。(機転が必要なほど高度でもないが。)

言われ続けている店員さんが可愛そうではあります。

ネパール人とおぼしき客の態度は明らかに暴力行為でありますが、器物の損害や怪我を与えない程度に暴れるのは国民性でしょうか?

それを知ってか店員さんが意外と冷静なのが立派。さすがセブンイレブンです。

どうも暴れた客は自称60歳らしいので、20歳の確認ボタンをおすことにそれほど怒りがこみ上げてくる理由がわかりまえんが、笑いのツボが国民性によって異なるように、怒りのツボにハマってしまったのでしょう。

かなり昔のことになりますが、米国のスーパーでビールを買おうとしたときに必ず年齢を確認されて、免許証とかパポートを見せていたことがありました。

その州では20歳から飲酒が可能だったので、当時30代だった私は「日本人は外国で若く見られると言うのは本当だな」ぐらいに思っていました。

しかし、その後州の法律に、「明らかに30歳以上に見えない場合は、必ず免許などで年齢を確認すること」という規定があることを知りました。

つまり、20歳に見られていると思っていたのは勘違いで、実は30歳以上かどうかを判断されていて。それなりに正しく判断されれていたということだったようです。

まあ、日本では飲酒や喫煙の年齢制限に関して長い間ルーズでしたから、まだきっちりとルールが運用されていない感じがありますが、30歳以上とか40歳以上に見えるかどうかを基準に店員が判断するのも一案かもしれません。

しかし、今回の動画は怒りのツボに偶然ハマってしまった例外として、記録に残すだけで良いような気もします。店員さん、お疲れさまでした。

日本車メーカーはお気楽?

東洋経済オンラインに「日本車メーカーはなぜこんなに”お気楽”なのか」という記事が掲載されています。

世界中で石油由来燃料の使用が規制されEVがもてはやされているのに、日本の自動車メーカーだけがEVに消極的な態度を続けるために、過去の米国ビッグスリーと同じ運命をたどるのではないかと警告しています。

最近YouTube系のCARWOWという、少しふざけた感じの自動車紹介チャンネルをよく見るのですが、確かにEVのドラッグレース対決で日本車が登場することはほとんどありません。

先進性では米国のテスラがEVの筆頭で、その後をドイツ車や中国車が追いかけているという状況で、英国ジャガーや北欧ボルボも対抗車種を出しています。

テスラには兄弟会社のようなルシードという会社があり、エアーという車種は新しいクラウンかと見間違うぐらい似ています。

もちろんトヨタもハイブリッドを始めとして、EVやFCVなど、技術は実質的にEVと呼べるものが網羅されていますが、トータルとしてEVに消極的という印象を与えてしまうようです。

このあたりは前トヨタ社長が説く、長期的にカーボンフリーを目指すには単純なEVだけでなく、いろいろな方法でアプローチしなければならないという考え方が影響しているようです。

しかし、このようなことは日本の政治家が世界に問えば良いことであって、いくらトヨタが世界で一番自動車を生産しているからと行って、世界のエネルギー政策にまで口を出してしまうと、EVの技術がない言い訳にしか聞こえないのです。

かくして、古い米国のビッグスリーと日本のメーカーが同列に論じられてしまうのです。

トヨタにとって不幸だたのは、日本国内に競合他社が全くおらず、特に競合となるべき日産とホンダが全く振るわず、それ以下のメーカーはトヨタの技術を借りてきてハイブリッド化するのがせいぜいだということです。

確かに日本のメーカーはお気楽なのでしょう。

驚いたことに、数十年前は共産主義国でぼろい車しか作れなかったシュコダが、今やフォルクスワーゲンと提携して近代的な乗用車が作れるようになっていると言うことです。

日本は半導体、家電、コンピューターが落ちぶれたと言われて、最後に自動車産業だけが残っているので守らなければならないなどという論調がありますが、本当に残っているのはトヨタ1社だけで、残りの自動車メーカーは家電と同じくほとんど休業しているように見えます。

これからは国内の先細りの需要とアジアの小国へ、1世代も2世代も前の安い車を売り続けることになるのでしょうか?

政府が半導体に税金を投入するという話ですが、このままでは自動車産業もジリ貧です。

80年代のシュコダを作っていた旧ユーゴスラビアのように、日本は旧社会主義国のようにうらぶれていくのでしょうか?