大学院は学歴ではなく職歴である!

少し前、学歴ロンダリングが話題になったことがありました。

政治家や芸能人の経歴で優秀な大学を卒業したことになっていても、実際在籍した記録がなく、よく調べてみると、夏休みに観光旅行を兼ねた短期留学で数日訪れただけだった、みたいなことが暴露されてしまって、学歴詐称が判明したような事件が相次ぎました。

卒業していないのに卒業しているというのは完全な嘘ですが、例えば大学入試には受かったけれども入学はしていないような場合、その大学を中退したと言ったらこれまた嘘になります。

2年間の教養課程を終えてからでないと中退は名乗れないはずで、大学中退なら4年制大学の3年次編入ができますから、大学中退はちゃんとした学歴と称してもよいでしょう。

ところで、大学院には院試と言われる入学試験がありますが、大学入試に比べると一般的ではなく、いわゆるコネがあったり、人気のない研究室では定員が足りていなかったりすることがあります。

ですから国立大学の大学院でも比較的簡単に入れる場合があります。これを別の意味で学歴ロンダリングと呼ぶ人もいます。

別に不正をしているわけではありませんが、大学院入試について詳しくない人を誤魔化している気配は感じます。

以前、ドクターを目指している後期博士課程の学生さんに聞いたのは、学歴と言えるのは大学卒業までで、大学院からは好きな研究を続けるだけということでした。

学力はどこの学部を卒業したかで判断して、大学院以降は学歴というよりは職歴ということでしょうか?

最近、著名な人でも大学院以降の経歴しか提示されない場合、おそらく大学の名前は出したくないのだろうと勘ぐってしまいます。

ただ、最近は大学もAO入試が一般的になってきて、本当の学力なんて分かりにくくなっています。

要するに、学歴や経歴などのラベルで人を判断するのはやめて、その人の能力を見抜ける力を養わないといけないということなのでしょう。(まあ、それができないからラベルで判断してたんだけど、、、)

一生涯勉強を続けるということ

最近は社会の変化が速く、それに伴って仕事で必要になるスキルも変化して、またスキルの種類も増えてきています。

以前なら、学校を卒業するまでに学んだスキルさえあれば一生そのまま安泰で、勉強は学生だけがするものと高をくくっていれば良かったのですが、近年通常の業務を行うだけでも覚えなければならない事が増えて、さらに業務改善やら省エネ化やら機械学習やらで飛躍的にこなさなければならないことが増えています。

30年ほど前にパソコンが一般の業務に使い始められてから、業務の効率化という掛け声の割には効率が上がった実感は全く無く、無駄な作業が増えていることを嘆いておられる方も多いのではないでしょうか?

最近、おとなになってからの教育機関とやらがやたらと蔓延ってきていて、昔は大学予備校が流行っていたのが少子化や浪人の減少によって、社会人を対象にした教育カリキュラムが目立つようになってきました。

しかし、社会の変化が激しいと言っても、誰かの策略に踊ら去れているだけで、一向に社会が進歩しているようには見えません。

ただ単に新しい商売のネタを作るために、あれやこれやと新しいスキルを増産しているだけのような気もしてきます。

本来スキルは道具ですから、少ない数のスキルを駆使していろいろなものに仕立て上げていくはずですが、今や業務の数だけスキルが必要なのではないかと言うぐらい、スキルが世間に溢れかえっています。

それでそのスキルが長く利用できるものならば、それなりの時間をかけて習得に励むのもよいのですが、勉強に費やす時間に比べてそれほど役に立たないスキルも数多くあるわけで、やたらと手を出すのは禁物です。

スキルがたくさんありすぎて、どこかのゴミ屋敷のようになっています。

役に立たないスキルははっきり社会から捨て去って、本当に役に立つスキルだけを深めていきたいものですが、皆さんはゴミ屋敷のような社会の方がお好きですか?

マイナカードと健康保険

マイナンバーカードと健康保険証を連係させた途端、医療機関でマイナンバーカードで健康保険情報にアクセス出来ないトラブルが相次いでいるようです。

ある医療機関では、マイナンバーカードで参照できないケースが3割にも及んだと言いますから、動かないコンピューターそのものです。

しかし、いくらなんでも3割でアクセスできないというのはあり得ませんから、マイナンバーカードがあれば何もしなくても自動的に健康保険証としても使えると思い込んだ人が、多かっただけなのでしょう。

日本人のシステムへの理解度はその程度だと言うことを政府はもっと理解して、マイナンバーカードの普及を急ぎすぎないようにしなければなりません。

マイナンバーカードの普及を早めたいがために、いかにもマイナンバーカードさえあれば何でもできるがごとく宣伝しすぎたのかも知れません。

このようなトラブルでは、なかなかシステム開発業者の名前が公表されないものですが、今回はあっさりと富士通の名前が大々的に知れ渡ってしまいました。

悪い商習慣で、富士通は元請けだから技術力がないのは下請けだと言う人がいますが、下請けをレビューする事ができなければ、それは下請けを使う技術力がないということ。

健康保険証との連係トラブル以外にも、コンビニで住民票や印鑑証明書を印刷しようとして、他人の証明書が出てきたという問題もありました。

そもそも住民票や印鑑証明書をいくら役所以外で印刷できるようにしたところで、省力化やペーパーレスにはほとんど役立ちません。

その住民票や印鑑証明書は相変わらず紙に印刷されていて、それを郵便や手渡しで相手に送って手続きをすると行った処理が昔のままでは、印刷工程だけをシステム化をする意味がほとんどありません。

マイナンバーカードで新しい日本の行政システムを作るというのなら、住民票や印鑑証明書を廃止するところから手を付けるべきでしょう。

2段階認証や生体認証など、本人の認証システムはどんどん新しくなっているのに、いまだに住民票と印鑑証明書が必要でしょうか?

富士通は、一旦システムをシャットダウンして改善するそうですが、マイナンバーカードも含めて、システム全体を見直したほうが良いのではないかと思います。

新型コロナの追跡システムは短期間の一時しのぎでしたから、いい加減なシステムでも許されたかも知れませんが、マイナンバーカードは今後数十年は使い続けることになるでしょうから、もっと慎重に開発するべきでしょう。

このまま前時代的なシステムを将来に渡って世話をして行くなんて、勘弁してもらいたいものです。

借金は財産である!

昔、住宅購入のために銀行ローンを組もうとすると、「借金は財産である」とよく言われたものです。

借金は信用がなければできないから、借金がたくさんあるほど信用もたくさんあるということだ、などと言われていました。

まあ、これもバランスが取れているうちはよかったのですが、そのうち実力以上の、それは個人的な実力だけでなく日本経済としての実力も含めて、貸出が常態化するに至って焦げ付きが増えてしまったようです。

で、どうして現在の経済は借金まみれなのかということを、わかり易く解説した記事が東洋経済オンラインに掲載されています。

「わたしたちの経済はなぜ借金だらけ」なのか」という記事には、銀行の業務を椅子取りゲームに例えて、限りのない椅子取りゲームを続けなければならない現代の経済システムを説明しています。

分かりやすく説明していると書きましたが、私が理解できたのはその一部であって、現代の経済システムを一旦崩壊させて、新たな経済圏を立ち上げるという壮大な話に繋がっていきます。

確かに90年代に日本でバブル経済が弾けたときに、誰しも自由経済を自由に任せていたらこうなるのかと思い知ったわけですが、バブルなどという軽薄な言葉で片付けられて本当の問題点を隠してしまいました。

東西ドイツ統一で資本主義経済が勝利したように見えましたが、実は資本主義経済も崩壊しかかっていたのでしょう。

借金を必然とする経済成長がなければ成り立たない市場経済は、自然の恵みとその浄化作用を超えて成長しようとするために、地球温暖化や資源の枯渇を招いて環境を破壊しています。

記事では、地球を破壊し尽くす前に、新しい継続可能な経済体系を世界的に構築して、地球の自然が制御できる程度の、成長を目指さないが幸せに導ける経済活動を目指さなければならないと結んでいます。

薄々、経済活動が行き過ぎているのではないかと感づいている人もいるのではないかと思います。SGDsという言葉が盛んに叫ばれていますが、今の経済活動からはSDGsに結びつく要因は見当たりません。

地球温暖化や貧富の差、はたまた少子化まで、すべて現代の経済活動が生み出した歪と考えれば、新しい経済体系の誕生によってすべての問題が一気に解決するのかも知れません。

年金は2階建て?それとも屋根なしの平屋?

近年、老人の貧困が問題になることが多くなっています。

バブル経済の頃は「定年後は家族揃ってハワイ旅行だ!」なんていう話がまかり通っていて、現にそのようなテーマのドラマも数多く作られていました。

ですから、その頃に子供だった人からすれば、人生設計をそのようなものだと信じて、安易な生活を繰り返してきたとしても仕方がないかも知れません。

バブル経済当時に定年を迎えた人たちは、日本が貧しいときに成人して、それ以降働けば働くほど給料が増えて、退職金も想像以上に手に入った時代に生きていました。

安い値段(買った当時は高かったにしても)で買った住宅は、建物が古くなって価値がなくなったとしても土地の価値が数倍にもなりましたから、不動産を買って資産が増えることはあっても減るなんてことはなかったのです。

およそ経済という言葉が日本で使われるようになってから、ずっと拡大傾向が続いてきましたから、過去より今の方が必ず裕福になっていて、しかも日本中の人が皆中流気分を味わえる程不自由がなかったのです。

しかし、バブルが弾けると一変し、よほど知恵がある経営者以外は落ちぶれていき、よくて現状維持、悪ければ撤退・倒産するような産業や企業が増えていったのです。

過去と同じつもりで住宅を購入してしまうと、年月が経つと明らかに資産価値が目減りするにも関わらず、住宅価格の高騰から高額のローンを長期間かけて返済する義務が生じてしまいます。

そこに期待したほど退職金がないとなり、更には年金も生活に足りるほどではないことが定年間際にわかったとしても、もう対策の施しようがありません。

政府は、老後資金は投資で貯めようなどと呑気なことを言っていますが、投資は賭けですから、スッテンテンになるリスクを負える人以外は手を出してはいけません。

生活費のための投資などあり得ない!

このように見ていくと、よく日本の年金制度は2階建てやら3階建てなどと説明されていますが、せいぜい屋根のない平屋程度だと考えるべきで、雨露をしのぎたければ屋根を作れるぐらいの自己資金を貯めておかなければならないということです。

最近も「年金制度は2階建て」という説明が積極的にされているかどうか分かりませんが、借金にまみれた政府の言うことを鵜呑みにせず、無駄遣いはせずに、せっせと老後に備えて貯蓄と学習に励みましょう。(学習ってなんだ?)