メール1往復主義

Yahoo!ニュースにダイヤモンド・オンラインの記事として、最近のビジネスメールは1往復で終わってしまうことが増えてきたと言う記事が掲載されています。

以前なら実質的な内容を伴うやり取りの後に、必ず最後のあいさつ的な締めのメールがやってきたのに、最近はそのようなやり取りが少なくなってきたという話のようです。

パフォーマンス重視の若い世代なら、普段のチャット的な通信手段からすると、締めの挨拶などは意味がなく無駄なものに思えるのかもしれません。

締めといえば、「締めのご飯」や「締めのデザート」などがありますが、最後にこれを食べなければ食べた気がしないと思う方も多いのではないでしょうか?

メールでも、最後にきっちりとした締めの言葉を発さないと、中途半端な感じを引きずってしまう人も多いでしょう。

最近はテレビ番組でも1つの番組が終わったやいなや、すぐに画面が切り替わって次の番組が始まっていることがあります。前の番組の視聴率の良さを活かそうとする手法なのかもしれませんが、気持ちの切り替えが追いつかないことがあり、帰ってそれぞれの番組の印象が薄くなってしまうのではないでしょうか?

わざわざ別のメールで締めくくるのが面倒なら、内容のあるメールの最後に決めのセリフを入れれば良いのかもしれません。

そのような万能な決めのセリフが普及するまでは、尻切れトンボのメールのやり取りに早く慣れるようにしないといけないのかもしれません。

自動車損害保険の忖度合戦

最近ビッグモーターの名前をニュースで聞かなくなったと思ったら、今度はトヨタ系の整備工場でも不正な修理代金を搾取していたという話が出てまいりました。

不要な修理を行うということは、社会的に無駄を生み出しているだけでなく、無駄な保険料金の高騰を招きますから、健全な社会とは言えません。

損害保険会社が整備工場に必要以上に支払った金額は、そのまま保険契約者の保険料として跳ね返ってきます。

損害保険会社を野放しにしていたために、日本の保険制度が崩壊しかかっています。

では隣国のUSAの自動車保険がまともかというと、こっちはまた別の意味で崩壊していて、保険制度として成り立っていないのが自由経済社会の限界を呈していると言えましょう。

USAでは事故で修理が発生しても、保険会社がなんだかんだとごねて、結局保険金が降りない事例が多いと聞きます。特に大手の保険会社に不払い傾向が強いようで、大手だと信頼できると早合点して契約すると、痛い目に遭うことがあるそうです。

無駄な修理をして契約者に負担を強いる社会と、保険料だけ取って修理代金の支払いを拒む社会とどっちもどっちですが、日本もUSAのもお粗末と言うしかありません。

安心して暮らせる社会になるには、まだまだ時間がかかりそうです。