小学校の教員不足

最近、小学校の教員が不足していて、ひどいところでは専任の担任がいないクラスもあるようです。

昔なら教員には恩給があって長い休みもあり、女性は結婚してからも同じように続けられる、数少ない男女平等の職場で人気がありましたが、いつの間にか嫌われる職業になってしまいました。

受験が厳しくなってきているとか、PTAからの突き上げが厳しいとか、情報や英語の教科が増えて大変だとか、以前に比べてしんどい職業になっているのは確かです。

しかし、受験が厳しいと言ってもこれだけ塾が繁栄しているのを見れば、小学校が受験指導を十分にしていないことは明らかですし、親は共稼ぎで忙しくてPTAをやっている時間的な余裕がなくなっています。

情報とか英語とかの教科が増えているのは確かに負担でしょうが、そもそも小学校教員が専門性がないところにたくさんの教科を教えることに無理があるので、情報と英語に限らずすべての教科はせめて文系・理系の専門性を持ち合わせた教師が教えるようにするべきでしょう。

そうすると、長い休みが夏、冬、春に取れてこれほど楽な仕事はないように思うのですが、それでも忙しいのだとしたら、意味のない無駄な仕事、校長と教頭と学年主任からのパワハラが、以前の風習のままか、あるいはさらに助長されて教員を苦しめているのではないかと思います。

一般の事務職や営業でも、ここ30年ぐらいでかなり効率を上げてきていると思いますが、学校教員の業務効率は以前並みか、さらに近年悪化しているのではないかと思います。

それで良い教育が提供されていればよいのですが、教育に関する問題点は増えることはあっても解決していく兆しがまったくありません。

ここは近年の教員不足もあることですから、一気に近代的な教育を目指して以下の改善を提案したいと思います。

  1. 校長、教頭を廃止して、教員を学年主任と学級担任の2階層にする。(パワハラの温床にしかならないから。)
  2. 教科の担当は、教師の専門に合わせて1教科か2教科に限定し、専門外の教科は担当しないようにする。(理解していない教師に生徒を理解させることは無理があるから。)
  3. 担当教師が足りない時、あるいはもっと積極的に広域で進度レベルを分けたオンライン授業を行う。リアルタイムで行う必要はなく、数年内には動画として必要な量のライブラリーが揃うであろう。(せっかくコロナ禍で高価なタブレットを税金で配ったのだから。)
  4. 理解度確認テストは、現在の中間テストや期末テストのように期間を区切るのではなく、単元ごとに行い、その都度理解を確認できるように工夫する。
    • ここは色々と試みながら仕組みを作り上げていく必要があると思います。
    • 対面による質問の受付を、現在の学童保育のような時間帯に行うとか、基本的に授業は午前中だけにして、午後は理解を深めるための時間にするなど。(みんな公文式に行くのはなぜか?)
  5. 学年末にどこまで完了したかによって、来年度のカリキュラムを柔軟に制定する。(いい加減バルク教育はやめて、生徒に合わせた教育をしてよ!)

要するに、小学校のうちから本人の適性に合わせて、確かな専門性を持った教師による授業を行い、対面による理解度確認を組み合わせる、ということでしょうか。

世の中には色々な教育方法が提唱されているのに、戦後から一切学校教育は変わっていない訳ですから、日本の学力レベルが世界から引き離されるのは当然でしょう。

世間ではデジタル化で世界から取り残されたのを、マイナンバーカード一つで巻き返そうとしていますが、戸籍や住民票や住居表示をアナログ、あるいはアートのような曖昧な情報を無理やりデジタル化したところで、結局曖昧な情報では役に立たない動かないコンピューターになりかねません。

若者が進んでなりたいと思うような夢のある仕事に、小学校教員を変えることが、児童にとって、学校にとって、日本にとって必要だと思います。

AIが家族代わりになる

よくInfoseek Newsなどに結婚相談所の相談員の方の体験談が載っているのですが、それを見ていて思うのは、最近は何でも契約社会になってきていて、保険契約や雇用契約と同じように結婚も契約の一種のなってきているように思います。

最近の人なら「そんなのは当たり前、何を今更!」と言われるかも知れませんが、昭和の時代なら家族というのは契約を超えたもので、言ってみれば契約と宗教の中間ぐらいに位置している感覚でした。

宗教に近づくと何か怪しく思われるかも知れませんが、契約のように文章で明確に記述できるものでなく、精神的な「契(ちぎり)」のような感じがあったのではないかと思います。

それを「絆」だの「愛」だのと言っていたのですが、どうも最近の結婚相談所の様子を伺っていると、生活をするための条件が一致するかどうかが重要で、ひとたび条件が合わなくなってきた途端すぐに離婚するしかないような、つまり契約の「解約」がすぐに出来てしまうようになってしまったように思います。

別のそれが合理的で生活しやすいのならそれで良いのですが、もう忘れかけている昭和の考え方からすれば味気がない、人間味がないような気がいたします。

社会は時間とともに変化しますから、それはそれで受け入れるしかないのですが、従来の家族の役割、つまり一緒に喜びや悲しみを分かち合ったり、お互いをいたわり、励まし、尊敬し合うということができなくなってしまうのではないかと心配になります。

ところでAIというと人工知能、すなわち知能としての利用が進んでいますが、従来の家族の役割を担うことは出来ないでしょうか?

寂しいとすぐにペットを思い出す人がいるかも知れませんが、AIがその代わりになるとしたらそれはそれで楽しいのではなかろうかと思います。

そのような映画はいくつもあって、恐ろしい結果になることが多いのですが、心温まる情景もたくさんありました。

ソニーのアイボがそれに近いものかも知れませんが、知能が十分でなく表現力もいまいちです。

AIなら話し相手にもなりますし、たまに間違えるとしても相談相手にもなるでしょう。また相手の性格を分析して合わせるところは合わせて、たまにはひねくれてみたり反発したりもできそうです。

老後の孤独問題も含めて、AIが家族のように話し相手になれば、大きな市場になるかも知れません。AIとアンドロイドの技術を組み合わせて、2~3年後にはたくさんの製品が溢れているかも知れません。

ただし、人造家族が現実になることが人類の進歩と言えるかどうか分かりませんが。

「食塩水の濃度」を計算できない訳

東洋経済ONLINEに、「大学生が”食塩水の濃度”を計算できない驚く事実」という記事が掲載されています。

食塩25gを水100gに溶かしたら、何パーセントの濃度の食塩水になるかという問題に、正しい答えである20%ではなく25%という答えを出す大学生が多いのは、公式の暗記に頼った教育の問題であると述べています。

まあ、正しい答えを出すだけなら別に公式丸暗記でもよいと思いますが、公式の丸暗記が時間の経過とともにうろ覚えになってしまうのは致し方がないことでしょう。

それよりも、普段一般人が使いもしない食塩の濃度を、教わってから何年も経って正しく回答できることが重要でしょうか?

薬剤師や食品関係者ならば、正確な濃度の計算を日常的に業務として行っているのでしょうが、小学校以来使いも聞きもしない食塩水の濃度の問題を、大学生が解けないことがそれほど問題だとは思いません。

小学校で習ったことを全て覚えているほど、大学生や大人は記憶力がよくありません。「まあ、そんな問題もやったことがあったかなぁ」程度に覚えていれば、説明を聞けばすぐに正しい答えを導くことができるのではないでしょうか?

記事では、公式の丸暗記が小学校教育の問題点であると書いてありましたが、そもそも小学校の先生が教本丸読みで、溶液の濃度について十分理解していないのではないかと思います。

理科なら理科を理解している教師に、国語なら国語を理解している教師に教わるべきで、理解のない教師から理解のある生徒を期待することはできません。

小学校教育に問題があるとしたら、まず教師の資質から正さなければならないでしょう。(と言われながら何十年も改善しないので、期待するのは無理なのでしょう。)

ところで、日常的には食塩はひとつまみ単位で計るので計算は必要ありませんが、大人に必要な濃度計算は何と言ってもアルコール度数でしょう。(酒飲み限定)

さて、以下の問題は解けますか?

アルコール度数5%の500ml缶ビールが1本あります。その中に含まれる純アルコールは何グラムですか?

500mlの5%なら 500ml * 0.05 = 25ml だから、アルコールの比重の 0.8g/ml を掛けて 25ml * 0.8g/ml = 20g で答えは20g です。

最近、健康に害を及ぼさない飲酒量が、1週間あたり純アルコール量で140gという説があり、正確にアルコール飲料中の純アルコール量を計算することが必要になっていて、上記の計算では1週間に7本飲んでも健康には害がないということになります。

ところが、小学校でこんなことを習った記憶はありませんか?

水とアルコールを混ぜると体積が減る。

水の分子の間にアルコールが入り込んで、水100mlとアルコール100mlを混ぜても200mlにはならないのです。

そうすると、5%のビール500mlは、25mlのアルコールと475mlの水(いやビール成分を含む液体)が混合されているわけではなく、実はアルコールは25mlより多いのではないかと思ったり、そもそも5%の度数は重さと体積のどっちなのかという疑問が湧いてくるわけです。

製品にはばらつきがあったり、製造工程でも5%や10%程度の測定誤差がありますから、細かいことを言っても仕方がないのですが、濃度の計算は思ったより複雑で奥が深いようです。

アルコール飲料の濃度に関しては、どこかのメーカーサイトにアルコール濃度の表示に関する規定を解説したページがあったのですが、読んだときは理解したのですがすっかり忘れてしまいました。

まあ、アルコール量を計算できなくなるほど飲むことが、健康を維持する秘訣だと言っておきましょう!(酒飲みの戯言)

企業の英語公用語化

企業の社内言語を英語に統一する動きが、また活発化して第2波が始まろうとしているというニュース。

海外から採用された従業員が増えてくると、予め英語を基準にして社内規定や手続きを作成していた方が効率的でしょう。

如何に中国人が世界のビジネス現場で席巻しているとはいえ、彼等も英語には不自由しませんから、どれか一つの言語と慣ればビジネス的には英語一択。

ましてや日本人は小学校から正規の教科として採用していますから、「ビジネスで英語を使うなんておちゃのこさいさい、言われんでも英語で仕事できるわ!」となるところですが、そうは問屋が卸さない!

実用的な英語が身についていないとは長らく言われ続けていますが、何十年も経ってもまだ英会話教室がCMあたりを流しているところを見ると、まだ発展途上というところですか。

しかし、考えてみれば、海外から優秀な(優秀でなくても)社員が来たり、海外との協業で否が応でも英語で話さないといけない環境なら、多少の上手い下手はあっても、少し時間をかければ英語に馴染んでくるものと思うのですが、それでは生ぬるいでしょうか?

もし業務で英語を使う機会が少なくて(会話でも文章でも)英語が上達しないというのなら、その職場はさほど英語を必要としていないのではないかと思います。

よく海外の大学に留学して1年とか2年経って日本に帰国したときに、思ったほど英語が上達していない人がいますが、それは海外にいても英語を使わずに住む環境にいたからで、本当に英語を話さなければ生活ができないとしたら、英語が話せるようになるか途中で諦めて帰国するかでしょう。

ですから社内公用語を決めるとしたら、社内の書類的なものを英語化するかどうかだけが重要であって、業務上一番効率が良い言語を使うのが正しいように思います。

日本人同士が英語を無理に使って仕事の効率を下げるほど、業績に余裕がある企業はないのではないかと思います。

社内業務に英語を使った方が効率が良ければ英語で仕事をする。日本語が良ければ日本語で仕事をする。

要は業務の評価を正しくする仕組みがないところに、真の問題が潜んでいるのではないでしょうか?

アルパを極める

最近は何でもパフォーマンスを求める傾向があります。

日常、スマートホンによって情報が溢れているため、それを処理するのに追われて時間が足りない人が増えております。

そこで、時間を効率的に使おうと「タイムパフォーマンス」(タイパ)なる言葉が出てきて、まさに「タイム・イズ・マネー」の様相を呈しております。

なんでも「パ」を付ければ効率を目指せるのなら、効率よくアルコールに酔えるアルコールパフォーマンス(アルパ)もありかなと思うわけです。

最近はアルコール度数9%のチューハイは当たり前のように売られていて、もはや市場では一定の支持を得ているようでありますが、「せんべろ」と言ったりもして、安く酔える方法を追求する人もそれなりの多いのではないかと思います。

まあ安く酔えればよいだけなら別にコスパで片付けても良いのですが、あえてアルパなる言葉を提案してみる訳です。

つまり、コスト以外にもアルコールならではの観点があるのではなかろうかと思うわけです。(「安く」だけでなく、「早く(速く)」、「うまく」、「おいしく」、「心地よく」、「漂いながら」、「夢心地で」などなど)

しかし、こればかりはその地方、その地域ごとに安売りの店があったりしますので、一概にどの商品がアルパが高いとは言い切れないのでありまして、具体的なアルコール1gあたりの金額を並べて比較することはあまり意味がなかろうかと思います。

ただ一般的にアルパが高いだろうと思い出すのは、ペットボトル入りの焼酎やウィスキーの類いで、もう燃料かと思うぐらいの大きなボトルで売られているものが如何にも安そうに思われます。

ただ、焼酎やウィスキーでもアルコール度数が高くなるにしたがって値段も上がる傾向があり、やはりアルコールを穀物などから発酵させて作り出すには、時間と労力がかかるのだということを実感するわけです。

で以前、地元のスーパーで実際に売られている価格で、いろいろなお酒のアルパを計算したところ、大きなペットボトルの焼酎やウィスキーに比べて、500mlアルミ缶の9%チューハイがほぼ同等のアルパを発揮した事がありましたので、それ以降あまり考えずに9%缶チューハイを愛飲しておりました。

チューハイには合成甘味料が入ったものも多く、後味が引っかることと腸内環境に良くないという指摘もあり、できるだけドライで甘味料が入らないものを求めておりました。

しかし、そろそろ飽きてきたこともあり、先日スーパーで他のお酒を物色しておりましたところ、ジンとかウォッカで高アルコール度数で安いものが目についたのです。

スミノフは、ウォッカで40%程度の度数で値段も安いのですが、生産国はイングランドのようですがラベルにロシアの文字があって、戦況に影響を及ぼしたら嫌なのでパス。

するとそのすぐ横に、同じくイングランド産のジンが並んでいて、値段も安いのですが度数がなんと50%と書かれています。

ジンといえば、癖の強い風味が特徴という先入観がありましたが、最近はそれほど癖が強いわけでもなさそうですし、何と言っても50%は魅力的! (5倍に薄めても10%もある!)

元々イギリス原産ということですから安心して飲めますし、アルパも9%チューハイに匹敵できるのではなかろうかと。

次回買おうと思います。(まだ買ってないんかい!)