マルハラ

最近の特に若い女性の間で、LINEなどのメッセージの最後に「。」が付いた返事をもらうと、相手が怒っているような印象を受けるらしいです。

昔のCMで、会話の最後に「マル」と言って締めくくるものがありました。そのときは別に特別な意味があったわけではなく、少し冗談交じりに「これで会話はおしまい」みたいなニュアンスだったように思います。

逆に文章ならば、丸がない方が間が抜けている用に感じることがあり、最後までしっかり表現するという意味では丁寧なように思うのですが、最近のチャット文化では、文章ならあって当然のものが威圧感を醸し出すのかもしれません。

確かに文章で書かれたものをそのまま会話で話すとしたら、多少は堅苦しくなるでしょうし、会話でも丁寧語とタメ口では、丁寧語の方に威圧感を感じるかもしれません。

しかしもっと気になるのは、最近は業務でLINEを使って社内伝達をしているのかということです。

友達同士のたわいない会話ならまだしも、企業機密も含まれるであろう業務伝達事項に、LINEチャットを使うということの方が驚きです。

ですから、そもそも堅苦しいはずの社内業務連絡に、チャットを使っていることにこそ問題があります。業務伝達が堅苦しくなるのは当たり前で、友達との楽しい会話と同じツールを使っていること自体が問題をはらんでいます。

最後に「マル」があってハラスメントを感じるのは、気楽に使えるLINEの問題であって、その違和感を何でもハラスメント扱いするのはちょっと安易ではなかろうかと思います。

そのうちLINEから大量に機密情報が漏れたら、自然と業務では使わなくなるでしょう。

「マル」を無意識に付ける人も、付けられてハラスメントと悩む人も、もう少しの辛抱かもしれません。

株価4万円超えでにわか投資家急増!

バブル期を超える株価に湧く市場ですが、それを見てにわかに投資を始める輩が増えているとか。

小学校にも投資の授業を導入して、国民総博打打ち化が始まろうとしています。

まあ確かに、社会の勉強として化石みたいな歴史を丸暗記させるより、より生きた社会活動である投資を教えることの方がより現実的で役に立つでしょう。

しかし、小学校での情報教育でさえ教員の育成もままならず、未だに成果を上げているようには思えませんから、投資を教育すると言っても無類なことは目に見えています。

情報教育は、失敗してもプログラムやシステムに弱い子が育つだけですから、それほど致命的ではありませんが、投資は失敗すると容易に生活保護者に陥落しますから、国を没落させるには一番近道かもしれません。

よく「貯蓄より投資の方が利回りがよい」と言われますが、それは儲かっている人だけの平均を取っているからであり、損をした人も合計したら証券会社の手数料分だけ赤字になるのですから、宝くじや競馬と何ら変わるものではありません。

損をした人の犠牲の上に成り立っている投資が、教育の科目として成り立つのでしょうか?

人のために役立つことをやってその見返りに報酬を得るというスキルを付けるのが教育だとしたら、人の失敗に乗じてその金品を巻き上げる投資という行為は、果たして教育に値するものなのでしょうか?

もちろん、どのような教科書で、どのような人が、どのように教えるのかによって、このような心配は杞憂に過ぎないのかもしれません。

しかし、教育改革で成果がないまま何十年も弄り回した教育現場を、ただいたずらに混乱させるだけでなく、意味のないさまざまな政策で病弊した経済活動の、息の根を止める事になってしまうのではないかと心配せずにはおれません。