リチウムイオン電池はリサイクルできない!

ちょっと前に東京の街なかで、電動アシスト自転車が燃え上がっているニュースがありました。

日常生活に溶け込んでいるリチウムイオン電池が、ひょっとしたことから火花が出ると、あっという間に燃え上がってしまうことを思い知らしめた事件でした。

これまでにもノートパソコンの電池が燃え上がる事件はたくさんありましたが、さらにワイヤレス機器が増えていますから、リチウムイオン電池の利用はますます増えていることでしょう。

更に、BEVと称して大容量のリチウムイオン電池を搭載した自動車が増えてきていますから、リチウムイオン電池の消費量はうなぎのぼりで、さぞかし大量の使い古したリチウムイオン電池の再生処理工場が繁盛しているのでしょう。

と思いきや、リチウムイオン電池の回収をしても結局焼却するしかなく、その結果リチウムなどの希少金属を回収するどころか、廃棄物として処理するしかないらしいです。

使用中でさえ火花が散ったら処置できない危険物ですから、安全に分解して再使用できる状態でリチウムなどを取り出すことは困難だということでしょう。

もちろん再資源化ができる方法を探ることはしているのでしょうが、現実的には焼却処理が基本だということのようです。

さらに悪いことに、回収するにも電池メーカーが主体となっていて、得体の知れないサードパーティ製の電池は回収さえしてもらえないらしく、かと言って生ゴミで排出するとどこで火を吹くか分からないという厄介者!

よくこんな危険で省資源でない製品を世の中に出したなと、今更ながら開発者の先見性のなさに呆れます。

製品として世界に供給するのなら、回収や再資源化まで考えて地球環境に対する影響を考慮するべきで、開発時にSDGsという考えが未発達だったとしても、すでにニッケルカドミウム電池が2次電池として環境問題を抱えていたのですから、もう少し賢く開発するべきでした。

さて、各家庭で眠っている使用済みの、しかも劣化した太ってしまったリチウムイオン電池はどうしましょうか?

あと数年もすれば、劣化して爆発するリチウムイオン電池による火災や汚染が、日常茶飯事になるかも知れません。

とりあえず今できることは、安定した再資源化の方法が実用化されるまで、これ以上リチウムイオン電池を使う製品を増やさないように、心がけるしかありません。(すでに遅かったかも知れないけど。)

愛知県警の失態

スラドで読んだ呆れた事件。

愛知県警でパトカーと民間人の車が衝突した際、パトカーは緊急自動車としてサイレンを鳴らしていなかったにも関わらず、鳴らしていたと虚偽の主張をした上で、証拠として提出されたドライブレコーダーの音声データを偽造していたと言うニュース。

開いた口が塞がらないとはこのことで、昔からある警察不信が再燃することは間違いありません。

その警察の悪巧みを暴いたのが東大理学部卒の裁判官と言うのですから、既に新ドラマの構想に入っているプロデューサーも居そうな気配です。

裁判官がドライブレコーダーの音声バイナリーデータを調べて、デジタルデータとして論理的に揃いすぎていると指摘したことで、愛知県警が嘘をつき通すことを断念したということです。

こんな裁判官が多くなれば、世の中がもっと明るくなりそうです。

裁判は、あくまで原告と被告が嘘をつかない前提です。(つまり性善説!)

提出された証拠や証言に嘘やインチキがない前提ですから、時として「その証拠ありえへんやろ」みたいな裁判がまかり通っています。

裁判官は、嘘を見抜くより数をこなすことに必死で、「悪を法で裁く番人」ではなく、「出来高を稼ぐ単純作業員」に落ちぶれています。

今回の愛知県警のあくどさとお粗末さにはたまげますが、この判例を見習ってまともな裁判を目指してもらいたいものです。

「何、控訴しただと?」

愛知県警はさらに醜態を世間に晒すのでしょうか?

Threads(スレッズ)の勝敗

近年SNSと言われるものが普及して、人々のインターネットとの交わりが大きく変わったのは疑う余地がありません。

配信された情報を受け取るだけでは、受け身である放送を受信しているのと同じですが、個々が自分の意志で発信することができるようになった点で、真の通信としてインターネットが使われだしたと言えるでしょう。

そのSNSで最も強烈な特徴を持っ(てい)たツィッターと、ほぼ同じ機能を提供するというThreadsが提供され始め、さっそくインスタグラムのアカウントを持っていた既存のユーザーが、率先してThreadsユーザーに名乗りを上げて利用が始まったようです。

SNSはインターネットを利用していると言っても、単なるアプリケーションのユーザーに過ぎず、そのアプリが許す範囲内で情報を発信するに過ぎないのですが、その簡易性が世界中からユーザーを集める原動力になります。

アプリケーションである限り、そのアプリの提供者の思惑に従うしかなく、政治や思想の形成に利用される可能性が高いのは、SNSはの宿命と言えるでしょう。

実際にツィッターがアメリカの選挙に影響を与えたと言われていたりすると、利用者はそれなりに注意はするでしょうが、いかんせん投稿された情報がフェイクであるかどうかなんて利用者に分かる訳がなく、そこはアプリケーションの提供者が信頼の置ける人(会社)かどうかの判断に委ねられるわけです。

その点において、メタという会社が信頼に相応しいかと聞けば、「信頼に足りる」という人もいれば「怪しいが多分問題ないと思う」という人もいるでしょうが、「よくわからない」という人が大半でしょう。私も分かりません。

よく分からないから使ってみるのか、よく分からないから使わないのか、おそらくよく分らなければ使わないのが正解なのですが、よく分らず使うからインターネットが危険なところなのでしょう。

さて、Threadsの最初の勢いはまだまだ続きそうですが、この手のアプリは2番手は消える運命にありますから、1~2年の内にはどちらかに軍配が上がるでしょう。

さて、あなたはどちらを選びますか?(SNSは嫌い? それもありです。)

新型コロナの第9波

最近、職場で海外に行った人が帰国すると、必ず次の日から新型コロナ陽性になってしまう状況が続いています。

行く場所にもよるでしょうが、かなり海外ではまん延しているのではなかろうかと。

新型コロナもこれまでのインフルエンザのように、定期的に羅漢するか、効果が疑わしいワクチンを打ち続けるかを、続けて行かなければならないのでしょうか?

社会活動は「ただの風邪の一種」という扱いに徹していて、勤務形態も出社が当然、混雑した電車などでもマスクは必要なしと、これまでの生活を維持することがとても大切なのでしょう。

少しぐらいは生活を改善する向きがあっても良さそうですが、改善して定着させることが如何に難しいかがよく分かります。

日本では、無駄なことでも踏襲することに価値があるのでしょう。日本の伝統がそのように形作られたということも納得できます。

物事を良いか悪いかで判断するのではなく、変わったか変わってないかで判断する。その方が、意見おばらつきが出にくくて、多数決を取りやすいのかもしれません。

確か90年代あたりでは、変化を来たすような標語がもてはやされたような記憶がありますが、最近はあまり変化が好まれない傾向があるような気がします。

それは、マイナンバーカードのように、変化が唐突で意義が理解できないものが多いからかもしれませんが、「変化するのは面倒なだけで意味がない」というムードが漂っているような気がします。

まずは第9波を乗り越えることが大事ですが、その先には希望が持てる変化が訪れることを期待したいです。

合成甘味料は危険か?

最近、合成甘味料の危険性を訴える海外の論文が話題になり、日本でも合成甘味料が入った食品についての議論が活発になってきました。

特に熱中症予防に飲み物が欠かせない時期ですので、スポーツドリンクなどの含まれる甘味料に注意を促す記事が多くなりました。

あるいはチューハイなどのアルコール飲料でも、合成甘味料が使われたものが多くあります。

1960年代後半に合成甘味料に発がん性が認められたとして、チクロが話題になったことがありました。当時は菓子や飲料に大量に使われていたようですが、内容物の表示義務がなかった時代ですから、ほとんどの人は自分が取得している事に気づいていなかったように思います。

その後、新しい合成甘味料が続々と開発されてきて、その危険性が叫ばれながらも継続して使用されてきました。

今回、改めて危険性が明らかになったのですが、どの程度使用が制限されるでしょうか?

元来、スポーツドリンクは当分の補給が目的の一つですから、合成甘味料は不要に思いますが、コストの関係から甘みを増強する必要があるのでしょう。

以前スポーツの後、限界近くまで喉が渇いて空腹のとき、自動販売機で目についたダイエットコークに手を出して、ひどい目にあったことがありました。

体は糖分を要求していて、味も甘さが十分あるのに血糖値が上がらないという矛盾に、体が悲鳴を上げていたのでしょう。

甘さがありながら、その甘味の正体がないのは、ダイエットにおいても却ってリバウンドなどの矛盾を起こすようですから、砂糖にも害はあるとしても、まともに糖分を補給した方が、健康には大きな害を来すことはなさそうです。

最近は、チューハイにもドライタイプは甘味料なしのものが増えてきました。

合成甘味料は変な後味が残ることがありますから好んで飲んでいますが、合成甘味料の害よりもアルコールの害の方が顕著になることがないように、飲み過ぎには注意が必要です。(自戒を込めて!)