新型コロナだと思ったらインフルエンザだった!

新型コロナ対策も、やっと慣れてきたせいか電車の中でマスクをする人が少なくなってきました。

まだ通勤時間帯ではマスクをする人の方が多いように思いますが、休日の電車ではその率はかなり低くなっているようです。

そのような中で先週末に送別会と同窓会という、新型コロナ全盛期なら一番危険な行為を連続してやったものですから、見事に翌日から高熱で寝込むことになってしまいました。

大勢の中でマスクを外して会話することは久しぶりで、人数の割に狭い会場で、換気もそれほど積極的にやっているようではありませんでしたから、そりゃ新型コロナにかかっても仕方はないというものです。

ところが、新型コロナの抗原検査キットを購入してテストをしてみたところ、新型コロナは陰性! 「ありゃ?」

日本はまだ公衆の新型コロナ羅漢による免疫取得率が50%ほどで、諸外国に比べて低いと言われていたので、そろそろ一度かかっておかなければならない時期だと思っていたのですが、免疫がそれほど欲しくないインフルエンザにかかろうとは思いませんでした。

しかし、これでこれまではマスクのおかけで助かっていたのだということを実感いたしました。

とりあえず1週間休んで、来週からまた新型コロナの恐怖に怯えながら生きていくしかありません。

飽きられる観光資源

中国からの団体旅行が解禁されて、インバウンドが最盛期と同じぐらい増えることが一部の業界では期待されていますが、一方でオーバーツーリズムによる生活への影響が心配されています。

オーバーツーリズムは、観光客で儲かる人とただ単に迷惑を被る人が別だから問題になるわけで、儲かっていれば多少の不自由は我慢できるでしょうし、何のメリットもない人はただ生活が不便になるだけでおもしろいことは何もありません。

だいぶ昔のことになりますが、海外から京都に来ていた御婦人に、京都には寺と神社以外に見るものはないのかと聞かれたことがありました。

どこに行っても同じような寺と神社ばかりで、まともな博物館や美術館、動物園などがないことを憂いていました。

そもそも京都の神社仏閣は、観光客のために作られたわけではありませんから、その配置や観光としての利便性が考えられていません。

ディズニーランドのように、初めから人の流れや所要時間、待ち行列の施し方など、設計して作り込まれたものとは違いますから、海外から来て観光するのには、興味を持って効率よく回ることを工夫しなければ、疲れるばかりで退屈な旅行になる可能性があります。

ところで、最近は東京や京都などの都会ではなく、地方都市や自然の風景を楽しもうとする海外旅行客が増えているそうです。

それだけ日本の観光資源が豊富であると捉えることもできますが、逆に都会の観光資源はすでに飽きられている可能性もあります。

旅行が異文化や未経験なことに触れるのが目的だとしたら、日本の都会の景色はそれほど世界の他の都市と変わるものでもなく、日本の伝統が息づく地方の方が異文化を感じやすいのかもしれません。

京都の寺や神社も、海外にもっと深く理解してもらえるよう文化や伝統を深く印象づけるような志向を凝らさなければ、海外旅行の興味の対象として選ばれなくなる可能性があるでしょう。

インバウンドで経済が潤うのを喜ぶだけでなく、日本の観光資源を磨き続ける努力が必要なのかもしれません。

解決するより誤魔化す時代

最近日本にはどうにも解決しがたい問題が山積しています。

とりあえず筋がある問題の場合は、あれやこれや試行錯誤をしているうちに本質的な解決につながる道が見えてくるわけですが、筋が悪い問題の場合、どうにもこうにもいつまで経っても解決らしい道が見えないまま右往左往することになります。

例えばマイナンバーカードやNHKの受信料問題のように、何度も何度も新聞を賑わしている割には一向に解決しない状態が続きます。

これらは本当に解決策を示そうとしているのではなくて、世間の反応を伺いながら解決策を繕っているに過ぎないことが多々あります。

おそらく、正当な解決方法が取れない理由は一部の既得権益者がいて、そもそもその問題自体がその既得権益者が原因だったりする訳です。

ですから、世間一般が考えるような解決方法は、社会から見れば妥当なものに見えても、彼らからすれば既得権益が侵食されるために受け入れ難いということなのでしょう。

正当な解決方法には、その既得権益者を滅ぼすことが前提になってしまうので、議論をそちらの方向に流れないように、あらゆる手段を使って存続の道を探るわけです。

ですから、本来なら短期間で解決できるものを、色々な手段を使って権益の存続のための誤魔化しのテクニックを駆使し、結果として国民は問題の本質を見失いがちになり、結論が見えないまま既得権益が保存されてしまうのです。

当然そのために失われる利便性は莫大なものとなり、時代遅れの既得権益を保存するための損失は多大なものになります。

そのようなことばかりしているから、日本の生産性が低いまま世界から取り残されてしまったと言えるでしょう。

世界に追いつく切り札になるべきマイナカードが、かえって社会のお荷物になりつつあるのは皮肉なことです。

日本の社会を良くしたいのなら、既得権益者をいったん解散して、新しい制度から過去のしがらみをなくすことが必要だと思います。

在宅勤務は定着しなかった?

マイナビニュースに、コロナ禍で定着したかのように見えたテレワークが、最近の調査では22.2%まで減少してしまい、コロナ禍以前のレベルに近づいて来たというニュースが掲載されています。

様々な勤務形態の3万人以上のコロナ禍前後のテレワーク率を比較したそうです。

外出の制限からテレワークが始まった2020年3月は13.2%のテレワーク率で、2020年4月以降25%を下回らなかったが、2023年7月は22.2%に下がったということです。

下がったと言っても22.2%とコロナ禍以前に比べると高いですが、今後徐々に下がっていくことが予想されます。

従業員規模で分けた統計も出ていましたが、大企業が40%前後の実施率であっても、小規模の企業の場合は再考でも15%程度とかなりの隔たりがあります。

またテレワークの実施とは何を指しているかというのも曖昧で、どこまでこのアンケートの結果が正しいのか分かりませんが、電車に乗っている感覚からするとそれなりに正しい雰囲気はあります。

全業務時間の5分の1がテレワークで行われていると解釈すると、かなり利用されていると考えられます。

業務の寄って在宅勤務で問題がなかったり、かえって効率が上がるものもあるでしょうが、共同作業が多い場合やコミュニケーションや討論が主体の業務なら、テレワークが向いていないことがはっきりしたのかもしれません。

企業の中には慌てて本社の規模を半分にしたところや、従業員でも郊外にマンションを購入したりした人もいて、社会が大きく変わる期待もありましたが、それほど極端な社会変化は起こらなかったということでしょうか?

本当は。テレワークが拡大した機会に社内手続きの簡略化や印鑑の廃止などを行えば、コロナ禍によって経費削減や業務の効率化が同時に行えたのでしょう。

そのような「災い転じて福となす」ことを実践できた企業はどれぐらいあるでしょうか?

日本は祝日が多い

今日から盆休みが開けた人が多いのか、少し空いていた朝の電車が以前のように混み合うようになりました。

長い間日本人は欧米人と比較して、夏休みのバカンスが短いと言われて来ましたが、日本には日本の流儀がありますから、お盆休みは故郷に帰るという風情ある風習はそのまま残せばよいと思います。

一方海外の避暑地やビーチに出かける人も多いので、それはそれでバカンスらしくてよいでしょう。人の目を気にせずにやっとそれぞれの楽しみ方を選べるようにやっとなったということでしょうか?

さて、80年代に日本の輸出が絶好調なとき、米国は大変不況でした。失業率はもとより、企業の業績も特に自動車産業の落ち込みはひどく、街には閉鎖されたホテルチェーンの建物が点在していました。

米国の街を走る車はボロボロで、車体に穴が空いて車体を通して道路が見えている車も珍しくありませんでした。

当時、日本人は不当に働きすぎだと欧米諸国から不満が募っており、日本人を「エコノミックアニマル」と呼んでいたのは記憶に新しいところです。

エコノミックは仕方がないとしても、アニマル呼ばわりされてよく日本人は怒らなかったものです。

その働きすぎとレッテルを貼られた代償に、米国からの圧力で日本の祝日がどんどん増やされて、そのおかげかどうか分かりませんが、日本人の生産性はどんどん低下して、現在の経済の不調の一因になっていると言えましょう。

企業によっては祝日を返上して出勤したり、そもそも有給休暇の取得率が低かったりして、実際の日本人の休日数は相変わらず少ないかもしれません。

最近の経済力の低下は、単に働き方の問題なのか、昔より裕福になってあくせく働く必要が何くなったのか分かりませんが、少子化や女性の社会進出と合わせて考えていく必要があるでしょう。

コロナ禍が落ち着いた途端に、在宅勤務が低調になっているそうですから、働き方を少しでも変えるというのは容易いことではなさそうです。

お盆休みが終わって、人は残暑に耐えながらまた職場に向かうのでした。