記憶力検査に大した意味はない

通勤電車に乗っていて定期テストの時期になると、電車の中で友達とテスト勉強に励む中高生を見かけることがあります。

もちろん時期にお構いなしに、勉強はそっちのけでスマホでゲームに耽っている中高生もいますが、一応受験校と言われているような中レベル以上の学校に通う生徒は、友達と問題を出し合ってお互いの理解度を確認し合ったりしています。

勉強に励んでいるのはとても良いことだと思いますが、友達と出し合っている問題があまりにも低次元です。

これは生徒が低次元なのではなくて、学校教育が低次元なのでしょうが、今更何戦争が西暦何年に始まっただとか、イオン化傾向を順番に並べる知識が必要でしょうか?

そんなのものは教科書やネットで調べれば良いのであって、もっと人間にしかできないことを磨くべきでしょう。

ましてやIT教育の必要性が叫ばれている昨今、日本人しか知らない歴史の年号や表にしたら済むような化学の記憶などが重要だとは思えません。

かく言う私も中学の時に、人間の人体を構成する元素を覚えたことがあっていまだに覚えているのですが、その元素を覚えても50年来全くなんの役にも立たなかった訳です。おまけに科学が進歩すると常識も変わって、最近では元素が増えたりしています。

歴史が好きな人は、歴史が現代を形作っているから大切なんだと説きますが、では現代のどこに平安京の794年が影響しているのでしょうか? それが794年か795年か間違えずに言えることに意味があるのでしょうか?

平成が西暦何年から始まったかでさえインターネットで調べているのに、「鳴くよ鶯平安京」って、本当に平安時代は春に始まったのでしょうか?

当時、平安時代が始まってから数年は知らないまま生きていた人たちも多かったのではないでしょうか?

せいぜい江戸時代あたりから現代の風習や文化ができたでしょうから、それまでの歴史はせいぜい中学1年の1学期でさっと済ませて、明治以降の歴史を中心に勉強する方が現代を理解するのに役立ちます。

決して戦国時代を軽んじるわけではありませんが、それほど古い出来事を検証するのは困難で、もはやほとんどがフィクションです。テレビドラマの娯楽としてはありですが、学問や初等教育として相応しい情報とは思えません。

それよりも将来の世界に役立つ経済やIT教育のの知識の方が、戦国時代の年号をむやみに覚えることよりよほど重要でしょう。

いやっ、誰も歴史がほとんどフィクションで役に全くたたないことは知っているのです。ただ、歴史を職業とする人たちの既得権益を守るために、仕方なく50年、いや100年近くも歴史が社会で重要だと言い張ってきたのでしょう。

まるで役に立たないと分かっていても、惰性で続けているバリウム胃透視検査のようです。

教育改革をするたびにずっこけていますが、そろそろ何が必要化が文科省にも見えてくる頃ではないでしょうか?

自動運転の定義

自動運転とは何でしょうか?

レベル1~5の自動運転の程度の定義はあるみたいですが、そもそも完全自動のレベル5、すなわち運転者が何もしなくても目的地に着けるという自動運転の定義が曖昧な感じがします。

各自動車メーカーがしのぎを削って開発中ですが、だいたい新技術の開発というのは数年経つと疲れてきていい加減になるものです。

今の自動運転もその状況に入っていて、自動運転タクシーが米国や中国で当たり前になりつつあるようですが、それなりに社会の犠牲のもとに成り立っているように見えます。

米国と中国はどちらも似たところがあって、多少の犠牲はものともしない姿勢があります。

社会の進歩には犠牲(人柱)が必然であって、その前提のもとにできそうもないことに突き進め無傾向があります。

ですから、アメリカ合衆国で無人のタクシーが走り回っていても、日本人からしたら実環境で実証実験をしていると捉えるべきでしょう。

ですから不要に近づくとやけどをします。

すでに気付いておられるでしょうが、一部のUSの企業、例えばGoogleやAppleなどは未完成のものをまず社会に出して、実環境でテストを平気でする企業です。

Googleのツールで最初から完成して提供されたものはほとんどなく、どれも未完成不完全な状態でリリースされて、後から徐々に改善されていく姿をご存知でしょう。

Appleにしても同様で、初期のiPhoneやiPodTouchの酷さは完成度30%ぐらいではないかと思えるほど酷いものでした。

日本の企業ではそうはいきません。

最初から社内でテストを繰り返した後、製品として発売して市場で欠陥が発見されたものなら、犯罪者のような社会の仕打ちが待っています。

どちらが良い悪いの論議ではなく、社会は完全なものより新しいものを要求しているということでしょう。日本人の感性にはマッチしなくなっています。

日本人の失敗を許さない精神ややり直しの効かない体制が、現代のグローバルな症状にそぐわなくなっています。

「良い悪い」の判断は真実が分かっている事象に限り、変化の激しい分野では「良い悪い」には目をつぶる事が必要なのかもしれません。