やり直し選挙で再選は意味があるか?

前橋市長選で前職の不祥事に伴う再選挙の結果、再選されました。兵庫県知事線でも同様のことがありましたが、一方伊東市長選では再選されませんでした。この違いは一体何なのでしょう?

個々の案件毎に事情が異なりますが、再選挙ともなると税金が費やされ、同じ人が再選することが自明なら税金の無駄ですから避けるべきです。

特に開票直後に当選確実となった今回の前橋市長選の場合は、本当に選挙を行う必要があったのか疑問に思います。

確かに選挙によって禊は終わったというけじめがついて、今後の市政に失態が影響しない効果はあるでしょうが、逆にこれまでと同じようにラブホ会議を市民が許容した事にならないでしょうか?

同じ再選結果を見ても人によって捉え方が違うでしょうが、何か茶番劇を見せられているようで、市政とはそんないい加減なものなのかと感じてしまいます。

一方学歴詐欺を働いた伊東市長に対しては、市民は許さず再選を果たすことができませんでしたが、おそらく本人は再選できるものと踏んでいたのではないでしょうか?

業務として不正行為を働いた前橋市長が再選できて、業務に関係がない学歴を詐称した市長が再選できないことにも、どちらが正しい選挙なのかと疑問に思います。

確かに選挙は相手の出来次第で結果が変わりますから、それそれの市長の運不運があったのは確かかもしれません。

しかし、何も実績もない人を表向きの経歴だけで選ぶ方法は、そろそろオワコンになるべきでないかと思います。

マッキンゼーが人員削減?

コンサルタント業のマッキンゼーが人員削減に転じるというニュース。

USでは「ついにコンサルタントも人員削減っか?」という反応以上に、これまでのコンサルタント業界に対する不満が巻き起こっているそうです。

企業を立て直すのが本業であるコンサルタント業が、自分自身を立て直すために人員削減を行うのを見て、「そうなる前に何か対策しておけなかったのか? 専門家だろ?」という指摘も当然です。

クライアント企業に人員削減を提案しまくってっきたツケが、ついに自分にも回ってきたということでしょうか?

昔から「ハゲ薬屋のおやじがハゲ」というのが定番であるように(そもそもハゲ薬専門店があるのかさえも疑問があるところですが)、「カッパの川流れ」的な比喩をそのまま適用できる事件です。

そもそもコンサルタント企業にコンサルタントをする能力があったのかどうかさえ疑問ですが(つまりカッパでさえなかった?)、彼らにしてみれば定石に従って対策したに過ぎないだけなのかもしれません。

コンサルタントと言えども部外者であるわけで、部外者だからこそできる過激な対策を提案しているだけで、自分はまったく犠牲を払っていないのですから好きなことが言えるわけです。

ほぼ占い師と同じです!

この事件を機会に、コンサルタントに頼って経営者のふりをしている愚かな経営者が、コンサルタントは知ったかぶりの素人だということを思い知ってもらいたいものです。

CESがコンシューマー・エレクトロニクス・ショーではなくなった?

数十年前なら、家電が新技術の公開の場として華やかでした。

新規に開発された技術はまっ先に家電に採用され、それまでの機種との違いを広く消費者に説明できる展示会として、広く認知されていたと思います。

電卓然り、デジカメ然り、液晶テレビ然り、スマホ然り、、、

しかし近年、これらの耐久消費財と言われていた製品群はその新規性を失い、使い捨ての、以前ならタオルかハンカチ程度の耐久性しかない消費財となり下がりました。

そうするとショーを開いてまでお披露目する価値がないので、今ではロボットやEVなどがその新規技術のショーケースとしてもてはやされるようになったのでしょう。

今ではCESという名前を積極的には使っていないそうです。そのうちになにか別の呼称が考え出されることと思います。

今年はAIを採用したロボットなどが展示の中心になっているようですが、確かに賢いロボットが1台あれば別に家電が賢い必要はなく、ロボットが旧式の洗濯機を使って汗水も垂らさずに洗濯に励めばよいのですから、優秀なロボットはすべての最新家電を駆逐するのかもしれません。

テレビ番組で、最近のスマホは80年、90年代に最新技術だったクォーツ時計、カメラ、携帯電話、電子辞書、翻訳機、電子ブック、パソコンなどをすべて1台に集約してしまったといっていましたが、今後は1台のロボットにすべての家電設備が統合されてしまうことになる可能性があります。

企業なら従業員たる人間もロボットに統合される可能性がありますから、これからは私達が統合する側ではなくて、統合される側になってしまうことを危惧しなければなりません。

お金の貯め過ぎが本当に問題なら

老後に必要な貯蓄額が話題になることがあります。

「老後2000万円問題」を発端として、フィナンシャルプランナーや士業業界の方々から、その妥当性や不合理性が唱えられることがあります。

「そんなに貯蓄がなくても大丈夫」だとか、「世間の平均貯蓄額はもっと低いよ」なんていうコメントが溢れていますが、一方で「50歳を過ぎたら老後資金の貯蓄はNISAで」などという貯蓄症例キャンペーンも盛んです。

確かに会社員や公務員で十分働いた方なら、年金だけでほとんどの生活費は賄えるかもしれません。

しかし、生活費と言っても人それぞれに必要な金額が違いますから、どこまでが十分でどこからが不十分かなんて人それぞれです。

また老人が貯めた老後資金を、子どもが貪り合うといった悲惨な事例も報道されています。

つまり、自分の老後を保証してくれる人や制度がないことが根本的な問題なわけです。

これは銀行や証券会社では解決できないので、保険会社が本領を発揮しなければなりません。

満たすべき要求は2つだけ。

  1. 老人が貯めたお金で、贅沢でなくても十分な生活環境と、適切なサポートを受けられること。当然食事、住居、医療、その他の娯楽までも含めた総合的な生活を保障しなければなりません。
  2. もしお金が余ったときは、親族に適切に残ったお金を配分できること。

これを信託銀行や弁護士がしゃしゃり出てきて解決しようとすると、問題が複雑になるだけでいざこざが発生します。

何のことはない、保険で解決すればよいのです。

世帯平均の支出率で計算された生活費と平均余命から保険料を計算し、さらにどのような住居・施設を終の棲家にするか、医療費はどのように分担するか、最後は残ったお金をどのように親族に配分するかだけをオプションとして決めてしまえば良いのです。

無駄にお金を残して、世話にもなっていない、あげたくもない親族に相続した挙句、法外な相続税を国に摂取されることもなくなるでしょう。

実際の問題として、いつまで生きられるか分からないところが一番難しいところで、その確率的にしか論じられない寿命に対して、一番最適解が出せるのは保険制度です。

確率的にどれだけの保険料が必要になるのか計算するのは、保険会社のお得意分野です。

現在の老人ホームにはリスクがあって、何歳以上まで生きてしまうと初期の入居金が切れてしまいます。

金の切れ目が縁苑の切れ目! 追加で支払うか見捨てられるか?

今の老人ホームの運営は恐ろしい状況です。姥捨山以外の何物でもありません。

それが保険なら確率論で裏付けられた保険料を払うだけで、一生涯の保証を得ることができるのです。

名付けて「終身生活保険」!

実に安っぽい名前ですが、老人には一番安心できるのではないでしょうか? 

ふつうに生活することが最も困難なのです。

自転車の反則金制度

改正道路交通法の施行から、法律の周知に十分時間をかけたということでしょう、2026年4月から反則金制度が運用されます。

いくつかの改正点があって、乗車中のスマホや右側通行など教えられなくても明らかに違反と分かるものも多いのです。しかし、実際の道路状況を考えると、歩道の通行を基本的に禁止して車道を通行させることに関しては、かなり無理があるように思います。

「就学前の子どもや70歳以上の老人なら歩道通行可」などという条件付きのルールは、タバコの喫煙ルールでも同様でしたが抜け穴になることが多いです。

また自転車専用道路や通行帯の整備が進んでいるとは思えず、以前あった交差点の歩道横の自転車通行帯も近年唐突に消されていることが多いようです。

自転車の利用者は地元民が多いことは確かで、そのため地元の道路でどこが通れてどこが通れないかを把握している人もいるでしょうが、100Km以上走るようなローディに対しては、ローカル限定でしか通用しない貧弱な標識では十分ではありません。

まだまだ道路や標識の整備が追いついていない状況での反則金制度導入は、急増する自転車事故に対して早急に対策を講じる必要があったにせよ、抜本的な自転車の安全通行を継続的に講じることが望まれていると思います。