雨の通勤電車

今朝は久しぶりの本格的な雨が降っていました。

そこで困るのが傘の持ち方。日本は雨が多いのでから、傘の持ち方は完璧に分かっているはずですが、なぜか人が持っている傘で迷惑を被ることが多いです。

私、私は折り畳み傘を駅に入るときに畳んでカバンに入れますから、傘は周りの人からは見えません。

さて、まず傘を振り回して歩く人。小学校低学年ではありません、いい大人が傘を持った手を元気に手を振るのは、よっぽど人口密度が低い地域ならいざしらず、日本の通勤時にはありえないはずです。

特に登り階段、傘の先端で後ろの人の顔を狙っているとしか思えない行動は、意図してやっているとしか思えません。

電車に乗っていたら、「傘の先端を人に突き刺すのは趣味ですか?」と聞きたくなるような醜態を晒している人がいるはいるは。(私が住む地域限定?)

ただでさえ混んでいるのですから、少しは危険で濡れている傘に先端には気を使えよと思います。

まあ先端(体のつま先から爪の先頭、てっぺんまでという意味)に神経を行き渡らせているファッショナブルな美しい人(女性男性問わず)ならば、そんな醜態を晒すことはないのでしょうが、それ以外の人は殆ど、あるいはまったく傘の先端が人のどこを突いているかなどお構いなし。

雨の日の満員電車は、周りの傘の先端を目で追いかけ続けて朝から疲れるのでした。

時差信号機は不親切

ついでに信号について苦情を言っておくと、「時差信号機」って中途半端。

本来は青色の矢印が点灯するべき状況なのに、「対面の車が止まっていたら右折はOKよ」ってことのようですが、それなら信号を設置しないで「ぶつからなければ勝手に進んでよし」と変わらないような気がします。

そもそも信号機の表示を、見た人がそれぞれ解釈しなければならないというのはどうでしょうか?

そこを通るのは地元民ばかりではなく、初めてその交差点を通る人もいるし、外国から来た人もいるでしょう。交通信号に世界標準があるのかどうか知りませんが、少なくとも日本ではこの基準で信号を設置していると言い切れるようでなければなりません。

時差信号と書いておけば、運転者が気を利かして勝手に判断して頂戴というのは、信号としての責任を一部放棄しているのでないだろうかと思うのです。

青色矢印の点灯がない時差信号は、経費を節約するためかもしれませんが、迷惑な信号と言えましょう。よくこれで日本人は文句も言わずに運転しているものだと思います。

まあ、アメリカなどではわざわざ進んではいけない方向に赤の矢印が点灯して、ほとんどの人が釣られてその方向に走り去っていくのも困りものですが。

もう数十年前になりますが、中国の上海の交差点ごとにおまわりさんが座っていて、完全手動で信号を切替えていました。現地の人に聞くと、自動で切り替えるより交通量を見てやったほうが最適なタイミングで切り替えられるとの説明。人口が多いので、少しでも公務員を増やしたいのでしょうか。

だから普段は1分間ぐらい青になっている交差点で10秒ぐらいで切り替わってしまうと、通りを渡りきれないおばさんが、交差点の真ん中に取り残されることもしばしばでした。(中国の人から昔の話はするなと言われそうですが。)

まあ、所変われば信号も変わります。誰が見ても同じ解釈になるように取り付けてもらいたいものです。