AIは知ったかぶり(2)プログラミングが得意

AIはプログラミングも得意だと評判です。

簡単なアルゴリズムで一からプログラムを書くなら、自分でうんうん考えるより余程完結でシンプルなコードを生成します。

これまでなら、インターネットを検索しまくって集めた情報を、貼り合わせてコーディングしなければならなかったものが、AIが提示するコードをコピーするだけで即実行に移せます。

おそらくインターネット上に存在するアルゴリズムの中で、最も熟れたコードを一瞬で手に入れることができるでしょう。

最近は文系の人でもプログラムが作れる(ような)、ノーコードという手法が企業で採用されつつありますが、実際は何らかのコードが影で動作するわけですから、AIが作ったコードを実行するのと変わりはありません。

どちらが後々のメンテナンス性に優れるかと言う観点は大事ですが、そもそもAIに指示しただけでできたコードを、わざわざ人手でメインテナンスする必要もないでしょうから、システムのメインテナンスという言葉さえも死語になる可能性があるいます。

オープンソースでデータの加工が簡単にできる、Apache NiFiというものがあります。

ワードやパワーポイントを使うように、必要な処理を選んで内容を設定し、処理間を接続します。

すると大量のデータから必要なものだけを抜き出して、いろいろな処理を加えた後、指定した形式で保存することができます。

これらの設定が、グラフィックユーザーインターフェースによって、フローチャートを書くだけでプログラムが完成するのです。

ところが処理の設定には複雑なものがあって、Geminiが言うやり方ではエラーが出続けて、何度やっても先に進めません。

そこでChatGPTにエラーの内容を伝えたところ、その処理は条件をコンテナとして保存するので、処理名を付けてその中に処理内容を記載すればよいと指示されました。

確かにChatGPTをのやり方は正解で、エラーが消えて先に進めることができました。

まあ、頭の良い二人のクラスメートに聞いたら、違うことを教えられたなんてことはよくあります。

同じ質問を別のクラスメートに聞き直すのは、人間なら気を悪くしそうですが、AIはその辺りはドライです。

気兼ねなく聞き比べられるのもAIの長所かもしれません。

AIは知ったかぶり(1)年末調整

AIが将来、人間の仕事を奪うという話がだんだん現実的人っていて、これまでテクノロジーで犠牲になってきたブルーカラーだけでなく、ホワイトカラーにも矛先が向いてきました。

ただ最近のニュースを見ていると、人間の能力が低下してきているのではないかと思えるような事件も多く、AIのや自動化をもっと早く進めないと人間の生活に支障が出てくるのではないかと思ってしまいます。

時に年末調整の時期が来て手当の過払を払い戻すことになり、それによる所得税額の計算を複数年に渡ってやろうとしたのです。

ところが、事の複雑さにうんざりして、これはAIに任せるに限ると各種控除や税率の計算を任せてみたのでした。

そもそも所得税の計算が複雑になっているのは、今年、来年と続く所得税制の変更が原因なのですが、毎年控除額が変わったり、扶養控除がなくなったりと、以前からの常識が通用しなくなっております。

GeminiとChatGPTを並行して試してみたのですが、こちらの条件を入れた文章をうまく読み取って、複数年の控除額や税率をうまく組み合わせて、表形式で結果を出してくれます。

あっという間に比較して計算結果を出してくれるものですから、これからはAIにすべてお任せだなと思ったところ、今年から施行された控除額を誤って計算している箇所があります。

この点を指摘すると、AIは「うっかりしておりました」とすぐに訂正した結果を表示してくれるのですが、再び確認すると子供の扶養控除が以前のように引かれています。

どうもAIはそれらしく速く計算することは得意なのですが、正しく計算することは苦手のようです。

人間でも、何でも知っているような顔をして得意顔で説明するも、肝心なところで抜けている人っていますよね。

まさにそれです!

雑談する相手としては良いのかもしれませんが、明らかに正解がある問題の答えを導き出すには、まだあまり期待してはいけないようです。

複雑な問題を理解して、その答えを迅速に導き出すのは見事ですが、あくまで正確性はいとわない、おおらかな態度が必要なようです。

テクノロジー軽視の日本

日本のテクノロジー関連の貿易収支が、数十兆円いや数百兆円の赤字だというニュースがあります。

日本がいくら自動車などの製品を一生懸命作って輸出しても、USの巨大IT企業に支払う利用料が巨額で、トランプ氏が言っているほどUSの赤字は厳しくないのです。

スマートホンがアップルとグーグル、パソコンがマイクロソフトと、誰でも容易にUSに貢いで事に気づきます。

自動車のような最終工業製品なら、それを買わない人は貢がないわけですが、スマートホンやパソコンのOSとなると、産業だけでなく普段の生活からビッタリ沼にはまり込んでいますから、否応なしにUSに貢まくっているということでしょう。

それを受けて、よくなぜ日本がテクノロジーの開発でUSに負けているのかという疑問が出てきて、やれ理系をもっと増やせなどという方向に議論が向きがちですが、おそらく理系の優越などはそれほど影響せず、投資の考え方や政治的戦略などが決定的に違うことが影響しているのだと思います。

とくに最近の企業経営は株主重視が顕著で、たかが数年株を保有するような株主にへつらうために、長年ともに歩む従業員の給与を低く抑え、その結果従業員は転職を繰り返し、企業の業績は頭打ちになってしまうのです。

要するに日本では、USのような投資を短期で繰り返して成長していくという方法論は向いておらず、長く丁寧に仲間と一緒に育てていくという方法論が向いているのでしょう。

逆にUSの人を見ていると、「長く丁寧に」がいかにも相応しくないわけで、一発逆転を狙う方が性分にあっているわけです。

90年代は株主優先、経営者優遇を打ち出して、良い株主と良い経営者を集めると企業は成長すると考えましたが、それは日本には相応しくなかった愚策だったと反省して、日本的な企業経営、経営者も従業員もともに成長でいるような産業構造にしていかなければなりません。

電話による詐欺被害

相変わらずニュースでは警視庁や警察官を装った詐欺が頻発していると注意を促しています。

最近は老若男女を問わずスマホを持っている事が多いですから、スマホでできることは何でも詐欺のツールとして利用されてしまいます。

海外から電話をかけることが以前より簡便になっていますから、海外を拠点として犯罪組織によって片っ端から餌食を探し回っているようです。

かかってくる電話のもとになる情報は、いわゆる個人情報が不正な方法で抜き取られて、個人情報名簿として闇の世界に出回っているわけです。

犯罪の多重化というか、1つの犯罪によって新たな犯罪が連鎖的に繰り返されていくのは、恐ろしい世の中になったものです。

犯罪が効率的に増えていくのに合わせて、私達も効率的に対処できるようになっていかなければならないでしょう。

問題なのは、詐欺にあった人の金はその後善意のもとに利用されるわけではなく、犯罪組織の元手として更に高度な犯罪に使われてしまうということです。

詐欺にあわれた方は被害者ではありますが、その結果として犯罪が助長されている側面は否定できません。

以前なら留守番電話にメッセージを残すなどの手口が多かったのですが、最近はスマホの普及に伴ってLINEやZOOMなどの電話会議システムが利用されることが多いようです。

これらのシステムも何らかの方法で詐欺であることを検知して、被害者に対して警告を自動的に流すなどの対策をするべきでしょう。詐欺を助長している認識が足りないような気がします。

私達は協力し合って、あらゆる詐欺に対して耐性を持たなければなりません。

大阪万博2025が終了して

開幕前から揉め事が多かった大阪万博でしたが、終わってみたら十分な入場者と運営費が黒字になったことで、万博の成功を祝う言葉もたくさん飛び交うようになりました。

関西限定で盛り上がっていたという話もありますが、インバウンドの影響もあって宿泊を伴う国内力に対するハードルが上がっていますから、日帰り旅行限定になってしまうのは仕方がないことかもしれません。

ニュースでインタビューされている人の中には、20回以上訪れたという人も多く感じますが、最初からそのつもりで通期パスや季節パスを購入していれば、自ずと訪問回数は増えるでしょうから、総入場者数も少し差っ引いて考えないといけないかもしれません。

開催費用や開催テーマ、大屋根の建設コストや3億円トイレなど、最初のうちは無駄な税金の使い方の避難が集中していましたが、実際に利用してみるとそれぞれの価値を認識するようになって、不満が徐々に収まってきたようです。

半年の会期が終われば解体撤去される前提で作られたパビリオンなどは多いのですが、2割ぐらいは解体移転後再利用されるそうですから、それなりにサステイナブルを考慮しているのではないかと思います。

ただ、再利用というといかにも低コストで資源を大切にしているように感じますが、大屋根に関しては残すことがサステイナブルかどうか怪しいところです。

1970年の大阪万博でも、閉幕当初は保存前提の鉄鋼館に加えて、日本館と大屋根も残すはずでしたが、いざ保存して行くとメインテナンス費用が巨額で、数年の後に日本感と大屋根は撤去されることになりました。

今回の大屋根も、期間中のように大勢の人が上って歩き回るのなら存続の意味はあるのでしょうが、閑散とした記念公園にたまに散歩に来る人が利用するだけでは、維持できるでしょうか?

場所が不便なだけに、記念公園にしても余程高い入場料を取らなければ、大屋根のメインテナンスコストを賄う事は到底できないでしょう。

奇をてらったバカでかい木造建築が、ここにきて仇になってしまう可能性が高いです。

今回の大阪万博が、最後の最後に行政の長年の重荷になってしまわないように、入場料が黒字だったと浮かれていないで、今後の維持コストについても真剣に考えていただきたいものです。