ラウンドアバウト(環状交差点)の存在価値

毎日通る構内道路に俗に言うランドアバウト(環状交差点)があるのですが、交差点を出るところで方向指示器の操作をする運転者がほとんどいないために、どこで交差点を出るのか分らず歩行者が右往左往しています。

そもそもランドアバウトのすぐ出口に横断歩道がある時点で、ランドアバウトとしての機能である途切れない車の通行を妨げてしまいますが、それほど交通量が多いわけではないのでまあ問題ないかと。

交通量が少ないならラウンドアバウトの必要がないではないかという意見もあるでしょうが、それはさておいて(さておくのか?)海外ではよく見かけるランドアバウトが、国内の道路交通法で制定されたのは2013年ということらしいので、まだ導入されてから10年しか経っていないので正しい利用方法も知れ渡っていないということなのでしょう。

ラウンドアバウトは信号機無しで平面交差を行うため、信号待ちせずに連続的に交差点に侵入できる利点があります。

つまり交通量街多いところで効果を発揮するわけですが、それなりに広いロータリーを形成しなければならないため、既存の道路を拡張して設置するのは難しいようです。

スペースに余裕がある箇所に限られてしまいためなかなか通りがかる機会がないので、ラウンドアバウトにどのような法規制があるのか知らない人が多いのではないかと思います。

基本的に環状交差点へは、環状部の交通が優先されるので徐行で進入し、出るときは手前の交差点を過ぎてすぐに左側の方向指示器を出して、目的の進路に進みます。

つまり流入時や環状路に留まっているときは、方向指示器は要らないというのが日本の法規のようです。

従来から利用している国々では、環状部で内回り方法への方向指示器を出し続けるイギリス式と環状部では出さないドイツ式があるようですが、その他にも国ごとに法律やしきたりがあるようです。

日本では侵入時に徐行となっていますが、本来USなどのようにこれから合流する流れを優先するYieldという概念が、日本の法規にも必要なのではないかと思います。

徐行と言われても許される速度が明確でなく、いくら徐行したところで安全確認を怠れば意味がありません。

今後日本でそれほどランドアバウトが普及するとは思えませんが、突如として目の前に現れたときに適切な対処ができるように、知識として知っておくのは必要だと思いました。

時代は核家族から個人家族へ

核家族化が進んだのは、昭和40年代からでしょうか?

都会の近郊に衛星都市が作られて、公団やその後マンションがどんどん建ち並ぶようになり、地方から都会に人が流れ込んでそれまでの生活が大きく変わった頃です。

その後、長らく核家族世帯が主流になっており、最近ではテレビで見る「サザエさん」の生活が、如何にも昭和の時代を色濃く反映していることに違和感を感じるほどになりました。

今どきおじいさん、おばあさんと孫が一緒に住んでいる家庭は、少なくなったのではないでしょうか?

ところで、近年は結婚をする年齢が上がっており、また結婚をしない人も増えているようです。

そうなってくると、核家族かから更に一人世帯で生活が完結する、個人家族なる生活形態が主流になってきます。

「家庭に愛はあるんか?」みたいなややこしい話は必要なく、愛だの恋だのも関係なく、経済的や合理的に同居した方が良いと判断したときだけ、パートナーとなった人と必要な期間だけ同居するような家族関係が、ごく一般的になってくるのでしょうか?

このあたりはテレビドラマの影響もあるのでしょうが、明らかにここ20年ぐらいで家族の関係について大きな変化が起こっているような気がします。

今やキャンプもお一人様で問題なく出来ますし、焼肉もすき焼きも一人前のメニューがどこにでもあります。

携帯電話やインターネットなどは家族で使い回すものではありませんし、コンピューターもパーソナルですから、生活上家族である必要性が昔ほど無いのかもしれません。

どんどん個人家族が普通に思えてくると、子どもを作るときだけパートナーを組んで、育てている最中に入れ替わったりするのもありかもしれません。

社会の仕組みが、これまでは核家族ありきで出来上がっていたものが、個人家族中心になってくると大きく変わることが予想されます。

教育問題や給与問題、社会保障の問題などを考えていく際に、個人家族の増加についても考慮していかなければならなくなるでしょう。

たとえ夫婦で老後まで一緒に過ごせたとしても、いずれは個人家族になります。

これからの基本となる個人家族について、真剣に考える時が来ているようです。