政治と宗教は話題にできない

よく話題として、政治と宗教は相応しくないと言われる場面があります。

就職の面接でもそうですし、仲間内の他愛のない話題としても相応しくないとされています。

それだけ結論が出ない話題であるのですが、簡単に結論が出てはかえって困ることにもなりそうです。

宗教的なテーマは、数々の映画で長年に渡ってテーマにされてきましたし、だからといって結論が出たという話は聞いたことがありません。

つまり宗教的な話題には結論が出ないのが常でありまして、それほど根が深いテーマだということに世間の理解が一致しているわけです。

政治の世界においても、そもそも論理的に話し合えば結論が出そうなものですが、論理的な結論は一向に見えてこない傾向があります。

それほど政治の世界が奥深いとは思えないのですが、底が見えない井戸のように奥がどうなっているのか一向に見えません。

単に濁っているだけで、意外と底が浅いのかも知れません。

これらのように、あまり世間には晒してはいけないという習慣があると、如何にもたいそうな難しいもののように思えてしまうのですが、本来は明瞭完結に説明できるものでなければならないはずです。

人々の生活を快適に豊かにするのに、それほど複雑な方程式を解かなければならないほど、社会は複雑なはずがありません。

単に凡人に分かりにくくしてごまかすために、ややこしい制度を作りまくっているだけ。

で、政治や宗教を話題にしてしまうと喧嘩(戦争)になるのは、本質が論理的な議論では結論が出ないほど非論理的であるということに他なりません。

ですから、話題にしてはいけないのです。

心の支えというのはそんなものです。ナンノコッチャ?

傘の持ち方

これからしばらくは梅雨で傘を持ち歩くことが多くなりますが、J-CASTニュースに眼科医の傘の持ち方への提言が掲載されています。

眼科医が傘の持ち方を指南する時点で、人の目を突いてしまう危険性があることを伺わせますが、確かにどうしてこう無頓着に傘を振り回して歩けるのだろうと、疑問を感じる人に出くわすことがあります。

日本は雨が多い気候で傘を持ち歩くことに慣れているはずですが、人混みにおける傘の持ち方が相変わらず下手です。

英国紳士は長傘で周りの人を突いたりしないのではなかろうかと。

傘で人の目を傷付けるのなら、傘の設計が悪いと開き直るつもりでしょうか?

先が尖っているのは持っている人なら自明ですから、たとえ設計がまずいとしても、それを見て知って持ち歩く人に責任があります。

「後ろに人がいると思わなかった」とか「傘の先端が目に当たるとは思わなかった」などという言い訳を並べそうですが、このようなことは小学生でも分かることですから、ほぼ故意に危害を加えようとしていると認定されても仕方ありません。

どうも日本人は他人の領域を平気で侵食する傾向があると思います。

島国だからでしょうか、隣国に領土を攻め込まれないためか、自分の体や持ち物の一部が他人に当たっても一向に気にしません。これは老若男女問わずです。

このようなときは、裁判の厳しい判決が出ないとことの重大さに気づかないのが、日本人の常なのでしょう。

マナー以前の問題です。

無意識のうちなら他人に甚大な危害を及ぼしても、自分に責がないという教育を受けてきたのでしょうか?

もう少し自分が周辺にどのような影響を及ぼしているのか、考える必要がありそうです。

  1. 傘の先端が後ろの人の目を突こうとしている!
  2. 振り回した自分のリュックサックの紐が、隣の人の頬をひっぱたいている!
  3. 開いている新聞が隣の人の顔をこすっている!
  4. コックリ居眠りをして隣人に髪の毛ごと委ねている!
  5. かかってきた電話で知らぬ間に大声でほぼ怒鳴っている!
  6. 少しだけと思ってスナックを食べたら強烈な匂いを撒き散らしている!
  7. コーヒーを持ち込んだら急に揺れて溢れてしまった!
  8. そのほか自分では些細なことだと思っているが実は大迷惑なことが、、、