相次ぐ政治家の不届きな言動に思う

ゴタゴタし続ける自民党の長老の威圧的な発言が問題視されています。

一方静岡県知事の発言にも苦言が相次いでいますが、どちらも自主的な辞任や立候補の辞退など、如何にも引け際が良い体裁を繕っています。

最後まで責任を果たさない、日本の政治家の悪癖を継承しているところが情けない限りです。

一方は老害と言われ、もう一方は特権意識と言われますが、そもそも選挙で選ばれた人ですから、そんな低次元な人が選ばれるはずがありません。

しかし、いつまで経ってもろくな人間が選挙で選ばれないのは、選挙制度に致命的な欠陥があると考えざるを得ないでしょう。

もしろくでもない人ばかりが立候補していて、その後にどんなに厳正に選んだところで、結果はいずれかのろくでもない人が当選してしまうのですから、それは選挙で選ばれたという無意味な烙印を与えただけに過ぎません。

確かにアメリカ大統領選挙のように、予備選挙を繰り返せば立派な人が選ばれるかと言えばそうでもありません。

今の選挙はハズレくじの中からマシなものを選ぶという感じですから、まずはハズレがない立候補者を揃えることが、まともな選挙の大前提です。

つまり、現代の選挙制度は全く社会のツールとして全く機能不全のまま、一票の重みとか投票率などに議論をすり替えられて来たわけです。

社会科学というからにはそこに何らかのサイエンス性があるはずですから、世界中の選挙制度を革新的に改善する理論を唱える社会科学者が登場すれば、ノーベル賞ものの価値があるのではないでしょうか?