最近ニュースメディアの配信料を巡って、ポータルサイトと争っているという問題が報じられていました。
世界中にニュースを追って特派員を派遣しているメディアに対して、ニュースを配信しているだけのサイトが広告などで稼ぐ割に、ニュースメディアに対する報酬が少ないということだったと思います。
最近、インターネットによって20~30年前には伝わってこなかった世界中のニュースが、日本国内と同じスピードで駆け巡ってくるおかげで、日本と同じ問題を世界の国々も抱えていることを知ることができるようになりました。
その反面、あらゆるニュースがごった煮の状態になってしまって、本当に重要な事件なのか適当に流せばよい事件なのか分からなくなっています。
処理能力を超えた情報が常に入ってくるおかげで、情報を理解する時間がないうちに次々と新しい情報に書き換わってしまっていて、列車の窓から流れる景色を眺めているような状態になっています。
テレビやYouTubeでは、それらのニュースを分類してサマリーしながら解説する親切な番組もありますが、世間の出来事を鳥瞰しているような感じで、それも何か物足りなさを感じます。
以前なら遠い国の事件は、それなりの時間が経って顛末まで含めて聞き伝えしていましたから、それほど慌てて何かを考える必要はありませんでしたが、インターネットで直接リアルタイムにすべてのニュースが伝わってくると、どう処理したら良いか迷ってしまうことも出てきます。
その結果、全ての情報に対しての感性が鈍くなってしまい、何事にも動じない、あるいは世の中の動きに関心がなくなっていくような気がします。
せっかく世界中からタイムリーな情報が入ってくるテクノロジーがあるのですから、それを活かすのは大事ですが、もう少し入り口で分類する必要があるのではないかと思います。
もちろんポータルサイトで分類されていますが、情報量が多すぎて溢れてしまっている状態になってしまっていないでしょうか?(私の情報処理能力が低いだけ? うーん、そうかも知れません。)